第496話:決着
遂に、ヴェネーノとワインボルトの件は、ラムエルの実体へと到達する。幻影巨体の最奥部、外部からは決して手が届かないその場所で幾重にも重なる聖力の保護膜で入念な防御措置を施された彼女の肉体に、彼らの剣は確かに届いたのだ。
呆れる程に長い道のりだった。実力的にも階級的にも年齢的にも随分な下の身分であるにも関わらず真っ向からの戦闘を敵からも味方からも強要され、生と死の狭間で右往左往し乍ら辛うじて戦闘という行為を繋ぎ続けてきた。それが漸く、こうして決着を迎え、喜ばしい筈の勝利を確実なものにする。
だが、崩れ落ちるラムエルの幻影巨体に飲み込まれる様に共に落下するヴェネーノとワインボルトの心中に、その喜びは無い。いや、有るには有る筈なのだが、最早それを素直に実感出来るだけの体力も気力も残されていなかった。
やったのか?、と薄れつつある意識の中で、ヴェネーノとワインボルトは其々思考する。出来ていた場合で出来ていなかった場合、其々に対して相異なる結果が待ち受けている事は誰にとっても明白。片や最上の結果であり、片や最悪の結果だろう。
果たして、結果は如何なったのか? 崩れ落ちる幻影巨体の影に埋もれつつある事を考えれば、恐らくラムエルを斃す事は出来たのだろう。だが、若しかしたら、あくまでも幻影巨体を維持出来無くなっただけであり、命そのものは未だ続いている可能性だって有り得る。
しかし、只でさえ体力も気力も使い果たしてしまっている上に、最早魔眼を構築するだけの魔力だって残っていない。残滓というにも憚られる、そんな残り滓程度の力しか残っていなかった。故に、ラムエルが如何なったのか、それを知る事は彼らには出来無かった。
そして、一方、そんな彼らを視界の片隅で一瞥するクィクィは、魔拘鎖を霧散させつつ、つい先程迄それが繋がっていた先をジッと見据える。
音も立てず静かに崩壊する幻影巨体の深奥は、依然として深い聖力に包まれている。肉眼では良く見えず、まるで深淵を覗いているかの様な気分すら抱かせられる。とても神聖を売りにする天使を見ているとは思えない程に不明瞭であり、だからこそ彼女は自身の天使嫌いな側面に由来する不快感を昂らせる。
「さぁて、如何なったかな?」
クィクィは、自身の瞳を、緋黄色の肉眼から金色の魔眼へと染め替える。悪魔を悪魔足らしめる魔力によって修飾されたその瞳は、神の子を神の子足らしめる特殊な瞳であり、肉眼では捉えられないものをも詳らかに出来るだけの力を有している。彼女はスクーデリアの様に特別魔眼の力に秀でている訳では無いが、しかしそれでも年齢相応の力は最低限持っているし、この状況に於いては十分過ぎる程の性能は約束されていた。
とはいえ、この周囲一帯は聖力による深い阻害因子が張り巡らされており、魔眼の使用は殆ど不可能だった。それこそ、スクーデリアが持つ不平の魔眼なら辛うじて微かに機能するかも知れない、といった程度でしかなく、況してやクィクィの魔眼など話にならないレベルで使い物にはならなかった。
だが、それでも、クィクィは魔眼を開いた。それこそ、何の躊躇も無く。それは、決して聖力による阻害がある事を忘れていたからという訳では無い。確かに、長い長い時を生きてきた経験によって染み付いた癖によって無意識に開いてしまったという側面も全く無いとは言い切れないかも知れない。それでも、それ以上に、魔眼を開くに損は無いという確信があったのだ。
「やっぱり。ちゃんと出来てるみたい。流石だね、二柱とも」
にこやかに頬を綻ばせつつ、クィクィは魔眼越しの確証を得る。その金色の瞳には崩れ落ちる幻影巨体の深奥部が確かに映っており、聖力による魔眼の疎外を受ける事無く鮮明な視界が広がっていた。
そこに映るのは、ヴェネーノとワインボルトによる同時攻撃を受けて肉体的死を受けたラムエルの姿。最早肉体が肉体としての形を留めているといって良いのか曖昧な姿形であり、何方かといえば魂そのものが露呈していると言った方が良い迄ある始末。
そして何より、聖力による阻害が消えたというのが、彼女の肉体的死をより確実なものへと昇華させてくれる。阻害因子の展開者が死を迎えたのだ。阻害因子の消失とは即ちそれを維持する者がいなくなったという事であり、詰まる所彼女が確実に死を迎えた、或いは今正に死を迎えようとしている事を物語ってくれているのだ。
彼女は徐に、そんなラムエルの許へと近づく。同胞としては、ヴェネーノとワインボルトを助けつつ労うべきだろうが、しかし彼女にそんな一般論は通用しない。アルピナと同じく、彼女は自身の我が儘を押し通す性質の生命なのだ。
「ふぅん、案外しぶといんだね。まだ生きてる」
眼前で崩れ落ちるラムエルの肉体をマジマジと見つめつつ、クィクィは感心する。一応、神龍大戦時に飽きる程見てきた天使の死に様だが、相変わらず天使はしぶといものである。いや、神の子という種族そのものかも知れない。何方にせよ、ヒトの子なら即死しているであろう程のダメージを受けつつ、依然として式だけは未だ繋ぎ止めている様だった。




