第493話:捕縛
それでも、年上として、或いは相性上の優位者として、彼女は無理矢理に対応する。それは力業とでも言うべきか、将又経験の賜物とでもいうべきか。少々不格好乍らも、結果だけに着目すれば悪くない出来栄えだろう。
ラムエルの顔に、僅か乍らの余裕が帰還する。最悪の一点は過ぎ去った。そこを無事に遣り過ごせたのだから、少しばかりの余裕を感じられるのは至極当然の帰結。フラットな視座で比較すれば此方に優位性の軍配は上がるのだから、それは何ら不思議な事では無かった。
そう、彼女は思っていた。或いは、そうなる予定の筈だった。しかし、現実は如何だろうか? 何という事だろうか、理想という名の薄氷の上に浮かべた笑みは脆くも崩れ落ち、予想外の苦戦が彼女の相好を不自然に歪めていた。
「なんでッ……!?」
クィクィの猛攻を捌き切れず、ラムエルは困惑の声を漏らす。理想と現実との間で静かに口を開き始めた乖離が、彼女の心身から余裕の色香を吸い尽くす様に蠢いていた。
それでも、神の子である以上決して打ち消す事の出来無い三竦みの相性関係で以て、彼女は最低限の敗北だけは辛うじて回避し続ける。矜持の為、下命の為、彼女は必死になって命を繋ぎ止める。
だが、どれだけそうして手段の限りを尽くそうとも、その結果が覆る事は無い。クィクィの猛攻を前にして、彼女はその優位性を奪い返す事が出来ず、攻と防の割合が着実に逆転していく。幻影巨体と生身という大きな差が本質的に存在しているにも関わらず、それはまるで初めから存在していないかの様に鳴りを潜めていた。
「君達……というかルシエルのお陰かな? あの子がボクを天羽の楔で支配してくれたお陰で、ボクも少しは強くなれたんだよ。ていうか、君達天使って、戦争の後も前も最中も、大体のんびりしてばっかりだったでしょ? アルピナお姉ちゃんとかジルニアお兄ちゃんに振り回され続けてたボクが、何時迄も君達と同じレベルな訳無いじゃん」
やれやれ、とでも言いたげな、そんな小バカにした様な相好と共に、クィクィは溜息を零す。同時に、その口元には自信たっぷりな笑みが溢れており、自身が大嫌いな天使という種に対して優位に立てている事を喜んでいる節がありありと伝わる。
その外見的稚さを存分に利用した、それでいて精神的老練さを重ね合わせた歪な印象でもって、彼女はラムエルを無言で挑発する。腹立たしい程に可愛らしいそれは、しかしそれを相手取るラムエルからすれば何とも可愛げの無い態度振る舞いであり、今直ぐにでも消し飛ばしてしまいたい衝動に駆られる。
だが、それを含めてクィクィの思い通りである。故に、それも相まって、非常に煩わしい。憖、それを認識し、理解し、納得出来ているからこそ、無知の儘でいられない苦しみは、何物にも代えがたい憤懣とやるせなさを創出するのに一役買う。
チッ、とラムエルは舌打ちを隠す事無く吐き零す。上品だとか下品だとか、そんな客観的な品格を気にしていられる場合では無かった。確かに、この場に於いてこの態度振る舞いを見ている者は殆どいないから、というのもあるが、それ以上に、そうでもしなければ他にこの気分を均せる方法が存在しなかっただけである。癇癪を起して喚き散らしたりこそしないものの、真っ当な戦闘を継続する為にも、真っ当な理性は最低限維持しなければならないのだ。
「やっぱり可愛げが無いなぁ、クィクィは。やっぱり、前に戦った時にでも殺しておくんだった」
過去を顧み、みすみす逃した好機に対して、ラムエルはソッと呟く。仮令神であろうとも時の流れには逆らう事が出来無いという絶対の原則が存在する以上、それは到底敵わない願望であり、詰まる所無いものねだりに他ならない。
とはいえ、それは生命としての枠組みに於ける上位格に位置する神の子にとっては、比較的一般常識に近しい基礎。寧ろ、ヒトの子たる人間の方が、時間跳躍や時間遡行とかいうくだらない夢想を本気で信じている節がある。無知とは即ちそういう事であり、勿論それは立場上しかない事であり決して恥ずかしがるべき事柄ではないが、少なくともそういう意味ではヒトの事神の子は本質的に価値観や立ち位置が異なるのだと実感させられる。
ラムエルは、小さく息を吐き零す。或いは、それによって感情に一区切りをつける。どれだけ悪態を付いた所で、過去が変わらないのは周知の通り。なればこそ、最早それに対してイチイチ感情を左右される事無く、再度眼前の敵に対して真っ向から挑むだけの事。それで以て、その過ぎ去りし過去を清算すれば良いのだ。
〈天聖槍矢〉
〈魔衝拳〉
ラムエルの聖力が生み出す聖なる槍と、クィクィが自身の拳に纏わせた魔力の塊が、轟音を立てて衝突する。鎌鼬の如き突風が吹き荒び、周囲の一切合切を薙ぎ倒さんとする。天を穿ち、地を割り、天変地異にも相応しい光景が、そこには残された。
その一瞬の攻防は、しかしけっして一瞬などでは無かった。正確には、一方は一瞬の攻防だと思っていたのに対し、もう一方はそうでは無かった。一瞬の攻防に見せかけた細工がそこには密かに張り巡らされており、虎視眈々とその好機を待ち望んでいたのだ。
〈魔拘鎖〉
「捕まえたっ!」




