第463話:人間と魔王③
『ほぅ。相変わらず、君は随分と優しい性格をしている様だな』
嘲笑う様に、或いは感心する様に、将又呆れる様に、アルピナは言葉を紡ぐ。直接顔を窺う事が出来ず声色と口調とでしか相手の様子を把握出来無い精神感応越しであるが故に、アルピナがそれを如何いう心情の基呟いたのか、ヴェネーノには判断し兼ねた。
それでも、何れにせよ、怒っている訳ではない事だけは何となくだが伝わった。抑として彼女が心の底から怒りを露わにしている場面をそれ程多く目撃した事がある訳では無い為に、必ずしも今回がそうではないと判断するのは不可能だが、しかし長年の付き合いがそれを可能にしていたのだ。
だが、理解出来るのは良くも悪くもそこ迄であり、それ以上の本心というのは彼には掴み切れなかった。只でさえ、彼女は常日頃から何を考えているのか良く分からないのだ。今回だって、一体あの態度振る舞いの背後で何を考え何を企み何を為しているのかなんて、彼には全く以て予想が付かない。或いは予想を付ける事を初めから諦めている節すらある始末。
だからこそ、アルピナのその言葉に対して、ヴェネーノは直ぐ様言葉を返す事が出来無かった。一体如何答えるのが正解なのか、何を選んでも問題なのは分かっているが、それでも地位階級の違いから無意識の内に萎縮してしまっていた。
『そりゃどうも。だがな、同じ状況ならお前だって同じ事になってたと思うぞ。幾ら天使の介入があるとはいえ、クオンの件もあるし、何より無関係のヒトの子を粗雑に扱える性格じゃないだろ?』
『さぁ、どうだろうか? 少なくとも、全ての魂を一欠片の取り零しも無く適切に処理出来るのであれば、ワタシからは何も言わないでおいてやろう。所詮、我々は一管理者としての範疇にしかないのだからな』
微かにとぼけつつ、立場や階級による責任を一時的に無視する様に、彼女はそれとなく呟く。それでいて、まるでこの状況を楽しんでいるかの様であり、彼女の持ち前の意地悪な色香が精神感応越しでも微かに認められるのをヴェネーノは自覚した。
悪魔公という立場はいわば中間管理職であり、如何してもありと凡ゆる責任問題が付き纏う。抑として神の子という種族が全生命の魂を管理する職務を有する手前、やはり全ヒトの子が宿命付けられている生や死という概念とは切っても切り離せない程に密接。且つ、それら二つの概念がその役割上如何しても繊細な代物であるが故に、それを行使する立場として相応の重積が圧し掛かるのだ。
それは仮令、神の子という上位種族の中でも名実共に最上位階級に含まれ、しかも悠久とも称される時を流れの中を過ごしてきたアルピナであろうとも同様の事。
一見して傲岸不遜で冷酷無慈悲な性格がその儘肉体を有したかの様に誤解される事の多い彼女もまた、生と死の概念及びそれらを前にしたヒトの子から向けられる敵意というのは、如何しても気が滅入ってしまう。繊細、というよりは面倒という感情が勝ってしまう程には、辟易とした思いがその都度魂を揺す振ってくるのだ。
だからこそ、それから逃れようとするが余り、こうして遊び半分な態度振る舞いを表出させてしまうのだ。或いは、余りにも長い時間それを受け続けてきたが故に、最早焦燥するという感情をも摩耗させてしまっていたのかも知れない。
また、何より、クオンとの出会いも大きいだろう。これ迄ヒトの事契約を結んだ事の無かった彼女にとって、ヒトの子とは管理すべき対象という側面から溢出する事は無かった。それが今回、こうしてクオンと契約を結んだことにより、ヒトの子に対する視座が大きく変わった……のかも知れない。それにより、ヒトの子に対する当たりがやや軟化した可能性だって有るのかもしれない。
何れにせよ、悪魔公として、彼女はヴェネーノの前に立ち塞がるヒトの子の魂に対して適切な結論を下していた。上存在として下位存在を時には残酷な迄に切り捨てるその決断は、改めて彼女人間としての枠組みに収まらない存在である事を窺わせてくれる。尤も、それを聞くヴェネーノもまた人間としての枠組みに収まらない存在であるが故に、然程の歪さすらそこには存在していなかったのだが。
『なら良いが……それでも、なるべく穏便に済ませられる様には努力するよ。只でさえ天使との抗争で手が一杯なのに、ヒトの子との争い迄生まれたら、流石に面倒が過ぎるからね。それに、セナ達に何か不都合が生まれても申し訳無いからさ』
そういうと、ヴェネーノは精神感応を切断する。改めて、魔眼が機能せず魂の所在もはっきりとしていないのによく精神感応が繋げられたな、という思いが脳内を満たす。それでも、余りそういう余計な思考ばかりに意識を流さず、改めて眼前の人間へと意識を取り戻す。
「さて、と。君達の意見は尤もだし、聞き続けるのは耳が痛くなるなぁ。でも、用事が出来たから、ちょっと無理にでも押し通らせてもらおうかな? 悪い様にはしないし、なるべく穏便に済ませるからさ」
そういうと、ヴェネーノは一歩ずつ前へ歩み出る。大胆に、且つ静謐に、それはまるで風が戦いでいるかと錯覚してしまいそうな空気感であり、しかし同時鎌を担いだ死神が顕現したかのような不穏然も同時に存在していた。
故に、人間達は自ずと尻込みする。或いは、後退りする。先程迄の威勢は何処へやら、スッカリと萎縮してしまっている様だった。
それにも構わず、ヴェネーノは更に周囲を取り囲む人間達に近付く。上空を旋回する天使達にも絶えず警戒を払いつつ、速やかにこの状況を均せる様な準備を着実に構築する。そして、直ぐ様にでもアルピナの元へ迎える様に、早速彼は穏便な行動を開始したのだった。
次回、第464話は2/25公開予定です。




