第450話:脱出
「さて、少し離れるとするか。ワタシやワインボルトは慣れているから問題は無いだろうが、しかし君はそうでは無い。幾ら龍魔力で心身及び魂を保護しているとはいえ、全く以て無事とは限らないだろうからな」
そう言うと、アルピナはそそくさと都の場を後にしようと踵を返す。今尚依然として強大な勢力を放ちつつ何かを為そうとしているラムエルを放置し、それはまるで彼女の姿が見えていないかの様な自然さでもあった。
故に、クオンもワインボルトもつい反応が遅れてしまう。特にクオンに関しては、只でさえアルピナとの付き合いが短い上に、この短い旅路の中でも幾度と無く振り回され続けてきた事もあって、すっかりそんな反応が板についてきた様だった。
また、ワインボルトもまた、クオン程では無いものの、それなりに虚を疲れた様子。それでも、ラムエルが見せているこの挙動は神龍大戦でも何度か見た事があるものであり、だからこそまだ頭がそれを覚えている。故に、身体もまたそれに合わせてある程度自然に反応する。
加えて、アルピナに振り回され続けているのは彼もまた同様。しかも、クオンの様なたかが数ヶ月程度の付き合いでは無く、それこそ10,000,000年規模での付き合いなのだ。今更この程度の事で酷く困惑する程、物覚えが悪くなった覚えない。
クオンとワインボルトは、其々やや早足になってアルピの背中を押す。周囲と歩調を合わせる素振りが無いのは何時もの事故に最早御愛嬌なのだが、しかし今回は何時にも増してアルピナの足取りが速い。まるで猛獣から逃げる草食動物の背中を見ている様な気分であり、とても平静状態とは言えなかった。
とはいえ、一見してそれを感じさせない所作を崩さないのもまた、アルピナらしいとも言える。冷徹さと傲慢さを曝け出し、まるで投棄されたゴミを見捨てるかの如きその所作は、何時もの彼女と何ら変わらない様にも感じさせられる。恐らく、彼女の事を良く知らない者だったら、そんあ表面的な態度振る舞いに騙されて裏の本意に気付かなかったかもしれない。
「お。おい! 何処迄行くんだ?」
クオンはアルピナの背中に追い付こうとやや早足になりつつ、彼女の背中に対して問い掛ける。コツコツ、という靴音が幾重にも反響し、その足取りの速さを物語っていた。通路の狭さ故に飛行出来無いのが煩わしくて敵わない、という感情を顔面に貼付した儘、しかしそれも仕方無い事だ、と言わんばかりに溜息を零す。
そんな彼の一方後ろをワインボルトは無言の儘追いかけているが、如何やら背後に依然として見えるラムエルの様子が気になる様子。最早人間と呼ぶには異形と断定して差し支え無い程にその姿形が大きくなったラムエルは、まるでアルピナ達をその儘地下通路ごと飲み込んでしまおうと聖力を零し続けている様だった。
「地上だ。流石にあれを相手にするのにこの様な狭い地下では分が悪い。ワタシ一人なら勝てない訳では無いが、しかし君もいるとなれば話は別だ。後になって崩落した地下から君を引っ張り上げる手間を考えたら、この儘大人しく地上迄戻った後に改めて戦った方が効率的だ」
やれやれ、と分かり易く大きな溜息を零すアルピナの瞳から、そんな面倒臭さ漂う感情の色がハッキリと滲出していた。基本的に戦う事が好きな彼女がこんな感情を抱くなんて珍しい事もあるものだな、という思いがクオンの脳裏を過ぎる。
そして、それは微笑ましくもある一方、同時に得体の知れない恐ろしさも知覚させてくれる。あれ程迄好戦的で傲慢で勝手気儘な彼女をこれ程迄に辟易とさせるラムエルの策とは一体何であろうか? 抑として神の子が何たるかを殆ど把握出来てないクオンにとっては、何もかもが知らない事ばかりだった。
旅を始めて数ヶ月。寝食の全てを神の子の一角である悪魔と共にしているが、それでも未だ知らない事の方が断然多かった。抑として同じ人間内であっても知っている事よりも知らない事の方が多いのだ。況してや異種族に関してなら知らない事の方が多くても全く以て不思議ではない。只でさえ神の子とヒトの子の間には根本的な乖離が存在するのだから、それは尚の事だろう。
「地上? でも地上にはスクーデリア達がいるんだろ? 良いのか、それで?」
クオンの脳裏には何時も旅路を共にしている悪魔の姿が思い浮かんでいた。スクーデリア、クィクィ、ヴェネーノ。何れも最早クオンにとっては大切な仲間であり、抑としての契約主である。今更到底無視する事は出来無い。
とはいえ、それは決して彼女達の力を弱いと思っている訳では無い。それ処か、彼女達の力は誰よりも信用しているし、信頼している。自分程度では到底敵わない程に隔絶された開きが存在している事は、如何なる情況であろうとも崩れる事の無い確証として魂に刻み込まれている。
それでも、彼がそうして心配してしまったのは、それとはまた別の理由。寧ろ、信用し信頼しているからこそ抱かれる、彼が人間であるが故の人間的思考とも言えるものだった。
次回、第451話は1/29公開予定です。




