第44話:決戦④
それは、素直な感心ではなく敵愾心故の煽動。嘲笑に近い笑顔は嘘偽りのペルソナ。巫山戯た態度だ、と批判するアルピナの相好はどこか柔和に富む。まるで懐かしさに心躍らせているかのようなそれは、稚い少女のような儚さと可憐さを振り撒いていた。相反する殺気と綯交にされたそれは、彼女の本質であり彼女の建前でもある。或いは、彼女が無意識に希う夢の萌芽かもしれない。
その最中、クオンは遺剣を振りかざしつつリリナエルに問いかける。
「そろそろ終わりにしようか、リリナエル?」
「へへっ、望むところっスよ」
深く腰を落としたリリナエルの瞳から光が消える。空白の静寂がクオンとリリナエルの間を取り囲み、来るべき時を見定めた二柱の無言の攻防が間断なく繰り広げられる。部屋の何処かでは同時進行でアルピナとシャルエルの攻防が繰り広げられているが、しかし二柱の意識には届かない。二柱にとって耳が痛くなるほどの静寂は、その驚異的な集中力と覚悟を言外に語る。
神の子にとっては儚く、ヒトの子にとっては冗長に感じられる戦いの中のやり取りも、こうして血と汗を交える内に特別な感情として昇華される。クオンにとって、それはたとえどんな贖罪があろうとも許されざる敵であることには相違ない。しかし、それでもこうして剣を交えている内にその事情を慮る程度の余裕を齎してくれていた。
しかし、どれだけ奇妙な友情を築き上げようとも互いが互いを敵と見做している限りその終わりというのは確実に訪れなければならない。両者は互いに、その魂の内奥に宿る聖力と魔力を惜しみなく湧出させ、遺剣に宿る龍脈もそれに応える様に輝きを増す。
〈風刃聖昇斬〉
〈天龍破斬〉
永久にも刹那にも感じる静寂を破り、クオンとリリナエルは同時に斬りかかる。食いしばる歯は猛獣のように鋭利に輝き、背後に靡く髪がその速度を可視化する。
初めて繰り出すクオンの技に、戦いに傾倒していたアルピナも思わず注意を向ける。最早意識的に守る必要もなさそうだ、とその実力に信頼感を覚えつつ、彼女は微笑を浮かべて事の成り行きを見届ける。
「さあ、クオン。君の力を見せてみろ」
余裕と好奇心の瞳を輝かせるアルピナに対し、その技の強大さと凶悪さを瞬時に理解したシャルエルは無意識のうちに叫ぶ。
「リリナエルッ‼」
二つの刃が衝突し、眩い閃光と共に聖力と魔力の余波が室内を暴れまわる。その衝撃は古砦全体を激震させ、シャルエルは思わず顔を腕で覆い隠す。対して、アルピナはその好奇心に満ちた相好を崩すことなく一心にその衝突点を見つめ、かつての大戦を思い出す高揚感に魂が染め上がる。
やがて光が収まり、部屋は再び仄明るい暗闇が取り戻される。いくつかの蝋燭は灯が消し飛ばされているが、魔眼や聖眼のおかげでそれほど不都合はない。アルピナは、猫のように大きくやや吊り挙がった瞳で眼下に広がる埃煙の奥を見据える。
「ほう」
晴れ上がる埃煙の奥を、その強力な魔眼で見定めたアルピナは感心の声を零した。それは、彼の実力をかねてから知っていたかのような信頼感と奇妙な安心感が齎している様であった。
「ハァ……ハァ……」
晴れ上がる埃煙の中から聞こえてくるのはクオンの荒い呼息。疲労感に全身が苛まれているかのような荒々しくもか細い息が、その結果を語る。
「……やったか⁉」
生存フラグを一切の遠慮なく悠然と語りながら、クオンは剣を支持物にして睥睨する。薄暗いその先を魔眼で見定めつつ、リリナエルの動きをあらゆる可能性から予測する。
しかし、その眼前に崩れ落ちる黒焦げた物体は一向に動く素振りを見せない。それはもはや生きた肉体とは呼べず、原形を留めていない屍となった骸がそこに転がっていた。強敵と呼んで差し支えない天使リリナエルの肉体的死を確信したクオンは、そこで漸く胸を撫で下ろす。
しかし、死した天使の魂の行方を理解しているクオンは完全たる安堵を獲得できずにいた。肉眼には映らない魂をどうにかその魔眼に捉えようと、必死に眼を凝らして室内を探る。
……あれか⁉
しかし、いくらその存在を認識できたところでクオンにはどうすることもできない。魔力を有するとはいえ、その実態は悪魔から力の一端を借り受けただけの契約者。神の子ではないクオンには、その魂を処理する権能を持ち合わせていない。故に、クオンはただその魂の行き先を見守る事しか出来なかった。
確か、肉体を失った魂は近くの生きた肉体に宿ろうとするとかアルピナが言ってたな。つまり、次にリリナエルの魂が取る行動は一つ……。
例えそれが完全な徒労だとわかっていても、クオンは形式上の警戒態勢を取る。たとえ無駄足となったとしても、せめてもの抵抗姿勢だけは取っておこうと心に決めてその魂の行き先を見届ける。
やがて、その魂はクオンの予想通りの動きを見せる。肉体を失ったリリナエルの魂はそこから最も近い生きた肉体、即ちクオンの肉体に宿ろうとその身を蠢動させる。
生きた肉体に死んだ魂が宿った場合、魂を宿した生きた肉体に肉体を持たない魂が宿った場合、元からその肉体に宿っていた魂はどうなるのか。新たに宿った魂が主導権を握るのか、或いは元からある魂に追い払われるのか、それとも二つの魂が綯交ぜにされて第三の人格と成り変わるのか。
解決しない問題が一瞬頭を過ったクオンは、その思考を虚空に捨て去る。そして、迫りくる魂に改めて警戒の糸を張りつめる。
しかし、クオンのその警戒はやはり徒労に終わる。迫りくるリリナエルの魂は、気づかぬ間に二者の間に立っていたアルピナによって捕らえられ、彼女の手掌で拘束される。
「そういえば、君に魂の管理権限はないのだったな。魂が綯交されてしまえば、さすがのワタシもどうなるかは知らないからな。悪いが事前に阻止させてもらおう」
悲痛と後悔の叫びが無音の声となって聞こえてきそうなほど魂が手掌で暴れ狂う。しかし、アルピナの強大な魔力の前では如何なる対処も無駄となる。彼女がその手を握り締めると、拘束されたリリナエルの魂は儚く飛散する。粒子となったそれは、肉体を伴って地界を抜けて神界へと帰還するのだった。
「助かった、アルピナ」
「安心するには時期尚早だ、クオン。リリナエルは数多くいる天使達の中でも階級は中の下程度。シャルエルの足元にも及ばない雑兵だ」
「つまり、正念場はこれからというわけか」
嫌になるな、とばかりに笑うクオンは決して楽しいわけではない。寧ろ絶望感から来る諦観の境地に近い乾いた笑いだった。つい先ほどまで苦労していた敵が雑兵と片付けられては当然の反応とも言えるのだが、それを含めて神の子の強大さと隔絶された壁の高さを実感させられる。
「たかだかヒトの子を管理するだけなのに、神の子は随分と過剰な力を持ってるな」
呆気にも似たそれはクオンの独り言として処理され、アルピナもシャルエルも具体的な反論には出てこない。ただ虚空にクオンの声は消え、シャルエルは無言でクオンとアルピナを睥睨していた。
さて、とアルピナは服装を整えつつシャルエルに向き直る。平和な相好は消え去り、再び戦いの顔つきになった彼女の瞳は暗闇の中でも鮮明な金色に輝いていた。
「悪魔や龍ほどではないが、お前さんのせいで天使の人手不足が加速するな」
「多少は我々の苦労を味わってみるのだな」
「終戦後、ただの一度もこの世界に居なかったお前が言えたことじゃないだろ?」
正論でアルピナの反論を切り伏せるシャルエルは、やれやれとばかりに溜息を零す。深刻な人手不足は自らの責任で招いたとはいえ、慢性的なそれは心身ともにかなりの負担となる。思いやられる向こう数十万年の苦労に嫌気を差しつつ、彼はそれでも意識を今この瞬間に取り戻す。
「いや、そんな先の話よりもまずは眼前の敵を処理することを考えなきゃならんな」
「そろそろ終わりにしようか、シャルエル。リリナエルに関しても、早ければまた数十万年ほどすれば戻ってくるだろう」
「だろうな」
シャルエルは聖剣を構える。クオンもまた二柱に引きずられるように遺剣を構え、かつてない強大な衝突波に心身を硬直させる。天使に対抗できるようになったことで魂に付いた僅かな自信を真っ向から粉砕する様なそれに、彼はもはや恐怖すら抱けなかった。そんな余裕もないほどに隔絶された力を前に、冷汗を浮かべながら動くべき時を無言で耐え忍ぶ事しか出来なかった。
次回、第45話は11/11 21:00公開予定です




