第434話:変化と覚悟
軈て、それからどれくらいの時間が経過しただろうか? 数分か、或いは十数分か、将又数十分経過しているかもしれない。どれだけ歩こうとも一切変わる事が無ければ単純に狭く陰鬱としている景色、神の子故にちょっと歩いた程度では欠片たりとも減らない体力、神の子故に本能として持ち合わせていないこの星の時間間隔。それらが上手く噛み合わさる事により、彼女から直線的時間間隔を失調させてしまっていたのだ。
それでも、歩き続けている限り、何れは何処かしらのゴールに辿り着ける事だけは確実である。神の子の生活範囲でさえ空間は有限なのだ。周囲に満ちる不可視の聖力を始点とする聖法で多少空間が歪められていたとしても、此処がヒトの子の生活範囲内である以上はそう遠くない内に限界が訪れなければならないのだ。
その為、だからこそ、アルピナは途中でめげる事無く進み続ける。面倒な事この上無いが、これもクオン及び龍魂の欠片の為なのだ。どれだけ苦しかろうとも、どれだけ面倒だろうとも、途中で投げ出す事だけは断じてあり得なかった。それが、嘗て第二次神龍大戦終戦時にジルニアと結んだ約束なのだから。
コツコツ、と靴音が通路上に幾重にも重なって反響する。耳に五月蠅い程の静けさの中に落ちるそれは、ある種の此処驪良ささえ感じさせてくれる。子供が母親の心臓の鼓動を聞いて心落ち着かされる様な、そんな感覚に近いだろうか? アルピナの心からは、静謐の直中に放り込まれている時の様な落ち着きの無さは感じられなかった。
そして遂に、或いは漸く、これ迄変わり映えしなかった殺風景で陰鬱とした周囲環境に変化が到来する。一切の光源が存在しないこの地下通路に於いてそれを肉眼で視認する事は本来想定されていない筈だが、しかし現在此処を根城にしている天使も、こうして闊歩している悪魔も、何方もヒトの子ではない事が幸いだろう。こんな漆黒の中であっても、真昼と変わらない視界でその変化をしっかりと認識していた。
「漸く景色が変わったか。やれやれ、思いの外長かったな。」
ワザとらしく、しかし本心から、アルピナは溜息を零す。何時迄も変わり映えしない退屈感やクオンの無事を願う焦燥感に駆られ、如何しても絶対時間以上に体感時間が長く感じられてしまっていたのだ。
加えて、単純に、アルピナがセツナエルを除く凡ゆる天使より上位に位置しているというのも大きい。凡ゆる天使より上に立つという事は、凡ゆる天使を格下としてみれるという事であり、だからこそ彼彼女らの為す一切合切が面白みの無い茶番にしか感じられなかったのだ。
その為、周囲環境の変化の無さも合わさる事で精神的な起伏が得られず、結果的に異様な迄の退屈感を味わわされる事となってしまっていたのだ。
しかし、それも最早終わりの鐘が鳴らされた。今現在彼女の眼前に聳えるのは、堅牢な扉。宛ら地下牢を彷彿とさせるそれは、ヒトの子レベルなら如何なる凶悪犯罪者や猛獣でも破壊出来無さそうな頑丈さを露わにしている。
如何やら、この敷地が依然として人間によって使用されていた時代、此処は地下牢としての役割を兼ねていたのかも知れない。緊急時における要人の脱出路を犯罪者の収容所と兼ねるのは防衛の観点からしてみれば非常に危険であり、とても賢い選択とは思えないが、それを確認する術はもうない。或いは、そうだったからこそ、こうして放棄されたのかも知れない。
最早それを確認する術は無く、かといってアルピナからしても如何でも良い事事の上無い。その為、この真相は今後永久に亘って未解明のまま終わるだろう。余程の好奇心でも無い限り、後世の役に立つ可能性だって低いのだ。人間がこの程度の事に研究の優先順位を高く見積もる事も無いだろう。
よって、アルピナはその扉に対して、それ以上深い考察を進める事は無かった。扉があり、雰囲気が変わり、つまりその先に何かがあるかも知れない。そんな淡い期待さえ浮かべられたら、それで十分だった。只でさえ諸々の不安で情緒が不安定になっている現状、微かな期待乃至希望が与えられるのであれば、それ以上の望みは無かった。
そして、その儘、彼女は扉に手を掛ける。一切の逡巡も無く、何時もと変わらない態度振る舞いを身に纏い、彼女はそれを為した。こんな所で躊躇したって、何の意味も無いのだ。それだったら、やるだけやって後から挽回及び反省をすれば良いだけの話。彼女には、それが出来るだけの力が備わっているのだから。
さて、一体何が出迎えているのやら。ラムエルの事だ。何事も無く平穏無事に出迎えてくれる筈も無いだろう。
ラムエルとは旧知の仲……とは余り言いたくは無いが、しかし現実としてはそれを否定出来無い。彼女とアルピナは、それこそこの星の暦で換算して数十億年の顔見知りであり、単純な時間比較で言えばクィクィよりも長い付き合い。
その為、互いの事を勝手知ったる間柄であり、詰まる所互いの考えている事ややろうとしている事は朧気にでも気付いてしまう。
果たしてそれが良い事なのか悪い事なのか、その何方かに限定する事は出来無いが、しかし少なくともこうして備えられるという点に於いては良い事なのだろう。だからこそ、アルピナは、扉に先に待ち受けているかもしれない何かに対して、必要十分な覚悟を魂の深奥から湧出させるのだった。
次回、第435話は1/5公開予定です。




