第414話:シャフリエル
腰に手を添え、猫の様に大きな蒼玉色の瞳で上空に浮かぶ天使を睥睨しながら、アルピナはワザとらしく呟く。それは、一見して感心の様に聞こえつつも本心では嘲笑しているのだ、と暗に示している様なもの。圧倒的上位者として持つ隔絶された実力の開きが生み出す、圧倒的な傲慢さに土台された圧倒的な迄の余裕だった。
しかし、彼女のそんな言葉に対して、そう語り掛けられた男性型天使シャフリエルは決して感情を露わにする事無く受け流す。顔色一つ変えず、声一つ発さず、その一対二枚の翼を羽ばたかせ乍ら上空に浮かび続けていた。
柳色の短髪が静かに戦ぐ。それと同色の瞳は金色の聖眼へと染め替えられており、アルピナの魂を見透かそうとにらみを利かせている。また、法衣を髣髴とさせる衣装には一切の汚れも綻びも無く、天使が天使たる所以を存分に発揮する神聖さと清らかさを醸し出している。
だが、そんな平静とした態度振る舞いに反し、しかし内面は決して穏やかとは言い切れない。
というのも、こうして聖力による障壁で魔力の使用を制限しているにも関わらず、当然の様にその聖眼でアルピナの魂を見透かす事が出来無いのだ。
それは偏に、彼我の実力差が余りにも大きすぎる為に他ならない。
アルピナは最早誰もが知っての通り草創の108柱にして公爵級悪魔。詰まる所、最上位階級に属する存在。それに対し、シャフリエルは精々が主天使級。つまり、熾天使・智天使。座天使に次ぐ第四位階であり、天使全体で言う所の中の上と言った所。
天使も悪魔も何れも神の子である以上、生きた時間がその儘実力に反映される。それは、人間が良く言う人生経験などという優しい代物では無く、文字通り存在そのものの格が大きく移り変わってしまう程。
その為、第一次神龍大戦が始まる少し前である数億年前に生まれ彼如きでは、仮令天使が逆転しようともアルピナに追い縋る事は不可能。だからこそ、どれだけ聖力を凝らし、どれだけその聖力を欺瞞して彼女を出し抜こうとも、決して彼女の魂に掛けられた保護を突破する事は不可能なのだ。
抑、彼女と同世代の他の神の子ですら、彼女の魂を見透かす事は容易ではない。秘密主義者であると自他ともに認める彼女は自身の魂を秘匿する事を最優先事項に置いており、だからこそ生半可な覚悟でそれを突破出来る筈も無いのだ。
実際、スクーデリアの不閉の魔眼ですらアルピナの魂を見るのは骨が折れる。決して魔力操作技術は高くないものの、しかしその桁外れに膨大な魔力量がそれを可能にしているのだ。
「覚えていただき光栄です。しかし、その傲慢な態度が果たして何時迄維持できるでしょうか? この聖力の支配下、流石のアルピナ公と雖も満足には動けないでしょう?」
暁闇色に輝く聖剣を構築し乍らシャフリエルは見下す様に発言する。魂から聖力を迸らせ、それと同等の覇気を剣身からも零す事で、不可視の威圧感を周囲にまき散らす。
勿論、魔眼が機能しないアルピナは元より、人間でしかないエフェメラにもそれを視認する事は出来無い。しかし、それでも、肌感覚としてそれを朧気乍らに知覚する事だけは出来る。
とはいえ、だからと言ってアルピナの心に動揺が齎される事は無い。確かに、今までと異なり聖力を視認できない事に対する心許無さはあるものの、しかしシャフリエルの実力は知悉している。その為、見えなくても想像する事は容易であり、後は肌感覚との誤差を修正すれば容易に対応できる程のものでしか無かった。
それに対して、エフェメラはというと、彼女は彼女は何処か普通ではない様子。
確かに彼女は人間の姿形と人間の肉体と人間の心を持ち合わせているが、しかし眼前に突如として現れた天使に対して一切の臆する素振りを見せていないという違和感を抱き合わせている。その為、果たして彼女の心中にはどの様な想いが渦巻いているのだろうか、という疑問が如何しても頭を過ぎってしまうのだ。
そんな彼女は、挙句の果てに、如何やら微かな笑みすら浮かべている始末。たかが人間如きが天使を前にしてこうも余裕の残る態度振る舞いを維持出来た事例が未だ嘗てあっただろうか? 生憎、戦間期に余り地界へ赴いてヒトの子と関わる様な事を殆どしてこなかったアルピナには理解が及ばない領域ではあるが、しかし裏事情がある事だけは容易に理解出来る。
だからこそ、アルピナはそんなエフェメラの態度振る舞いに対しては何も言う事は無かったし感情を露わにする事も無かった。只静かにそれを一瞥すると、改めてシャフリエルの方へと意識を戻すだけだった。
「さぁ、如何だろうか? キミがそれを望むのであれば、今ここで試してみるのも良いかも知れない」
アルピナは魂から魔力を迸らせて威圧する。悪魔公としての位階を存分に見せつけるそれは凡ゆる神の子を踏み潰し得るだけの格を有しており。だからこそそれが仮令原理不明な聖力に護られたシャフリエルであろうと例外なく作用させられる。
次回、第415話は12/8公開予定です。




