第406話:中庭にて②
そしてその儘、両者の間に短い沈黙が流れる。敢えて直ぐには言葉を続けないエフェメラと、敢えてその言葉を急かさないアルピナ。両者共に心中には複雑な思いが交差しており、まるで言葉を用いないコミュニケーションが交わされているかの様だった。
それでも、その沈黙に不快感は無い。また、不気味さも無い。まるで、それは初めから仕組まれていたかの様な、或いはそれが然も当然であるかの様な雰囲気を抱いており、寧ろ却って心を昂らせてさえいた。
その後、漸くと言った具合にエフェメラは口を開く。その声色と口調はまるで幼気な童を遇っているかの様な軽やかさであり、宛らアルピナをそういう存在だと見做しているかの様でもあった。
勿論、本心からそう思っている訳では無い。あくまでも体裁だけがそういう雰囲気を宿しているだけであり、一聖職者としての最低限の礼節だけは如何なる相手であろうとも確保されている。
「何も無い、というのは少々見落としがある様ですよ」
ほら、とばかりにエフェメラはアルピナの視線を誘導する。人間に良い様に言動を誘導されるのは何とも癪に障るが、しかしそれを為したのがこのエフェメラともあれば、アルピナとしても素直に従うしかない。それ程迄に、エフェメラという存在はアルピナ達にとっても無視出来兼ねるものであり、だからこそそれを白日の下に晒すのは時期と場所を見極めなければならないのだ。
それは兎も角として、だからこそアルピナは、改めてエフェメラに促される方向を凝視する。魔眼は使い物にならない為にあくまでも肉眼での確認に留まるが、それでも普通の人間よりは視力的にも優れている為、そういう意味では何も問題無かった。
しかし、それは案外見つからないものである。若しかしたら冗談を言って揶揄っているのではないか、という苛立ちが微かに湧出してくる迄ある。だが、それでも、まさかこの状況下に於いてそんな事をする筈が無い、という仮定を胸に秘め、今一度その方向を凝視する。
「成る程、そういう事か」
ほぅ、と感心とも呆れとも断定出来無いどっち付かずな声を漏らしつつ、アルピナは漸くそこに何があるのかを見極める。そして、それと同時に、その余りにもくだらない真相を知覚し、それに気付けなかった自身の耄碌さを心中で嘲笑するのだった。
「ふふっ、漸く気付きましたか?」
魔王とは雖も案外大した事無いのですね、という嘲笑が言外に含まれていそうな微笑みを零しつつ、エフェメラの茜色の瞳はアルピナの蒼玉色の瞳を見据えていた。また、対極する漆黒色のコートと純白色の法衣が風に揺れて交差し、相反する立場故の目に見えない隔たりを暗に示す。
それでも、エフェメラのそんな言葉に、アルピナは敢えて反応を見せる事無く無視を決め込む。別に正面切って反論しても良いのだが、それはそれで子供っぽい様な気がして如何しても躊躇われたのだ。
如何やら、幾ら彼女が感情を行動原理の由来とする性格をしている生命としての上位存在とは雖も、その程度の恥じらいだけはある様だった。或いは、感情を行動の指針としているからこそ、そういう感情の機微には敏感なのかも知れない。寧ろ、状況や理論による静止ではなく、こうして恥じらいという感情を抑止力の源流としているからこそ、その可能性の方が大きい迄ある。
そんなアルピナの内面心理は扨置き、エフェメラが指し示しアルピナが気付いた場所、そこは一見して何の変哲も無い中庭の一角。それこそ、アルピナが見逃してしまうのも無理無い話だろう、とさえ思ってしまう程。或いは、魔眼を封じられて不慣れな肉眼での捜索を強いられてしまったが故の見逃しという可能性だってあるかも知れないが、何方にせよ彼女でさえ見逃してしまうという結果に違和感が無い程だという事だけは揺るぎようの無い事実だった。
それでも、確かに良く見れば違和感らしきものはある。それこそ、非常に小さな変化でしかないし、非常に巧妙に隠されているが、確かにそこにそれらしき痕跡がある事は確かだった。
だからこそ、アルピナは漸く見つけたそれに対して何の躊躇いも無く歩み寄る。
しかし、些かの警戒心も抱かないその所作は実に彼女らしいが、果たしてそれで大丈夫なのだろうか? いや、確かに彼女は悪魔という種族に於ける頂点であり、神の子全体で見ても上位五本指に入る程度には強者である。
それでも、聖力の障壁により魔力の使用が制限され、何処かに天使達が潜伏し、何ならエフェメラ達聖職者の中から幾らでも天使達が出現している現状に於いて、それは余裕ではなく完全な慢心でしかないのではないだろうか?
勿論、アルピナだってそんな事は自覚している。これが天使による策略かも知れない、という予測が立てられない程バカになった覚えは無い。
だがそれでも、こうして比較的余裕を以て普段通りの態度振る舞いを維持出来ているのは、単純にそれが自身にとって脅威とは成り得無いから。幾らそれが天使による罠だったとしても、それこそセツナエルによる直接攻撃でも無い限り、彼女にとっては痛くも痒くもないのだ。
確かに、天使は悪魔に強く、悪魔は龍に強く、龍は天使に強い、という三竦みの原則は今尚正常に機能している。この星の暦で今から凡そ100,000,000年前にセツナエルによって天魔の理が破壊され第一次神龍大戦が開戦したとは雖も、それは確かな事。悪魔公として悪魔という種族全体を管理しているからこそ、それはアルピナ自身が保証出来る。
それでも、それはあくまでも各種族間の実力差が正しく確保されている場合に限られる。拮抗していたり、或いは逆転していたりすれば、その三竦みは正常に機能する筈も無いのだ。
その為、全悪魔処か神の子全体で見ても最初期に創造されたアルピナは、生きた時間と実力が比例する神の子の特徴上、基本的に凡ゆる神の子よりも単純に強いのだ。言ってしまえば、彼女より年上の天使ともなれば初代天使長か現天使長しか存在せず、だからこそ凡ゆる天使に対して相性差を無視した優位性を確保出来るのだ。
因みに、余談だが、相性上有利なジルニアに一度たりとも勝った事がないのは、偏にその原則が存在する為に他ならない。抑ジルニアは早々の108柱の序列一位、即ち神により創造された最初の生命。その為、全ての神の子より単純に強く、最初に創造されたからこその粗削りで手探りな調整のお陰で、何方かと言えば神の子よりも神に近しい性能を有していたりする。
だからこそ、アルピナ如きでは、仮令神の子三種族間の実力差が正常に機能していようとも、仮令天地がひっくり返ろうとも、決してジルニアに勝ち切る事は出来無いのだ。確かに努力次第では年齢差や階級差を越権した実力を身に着ける事も可能だが、それだけでは埋め切れられない程の隔絶した差が二柱の間には存在しているのだ。
それは扨置き、そういう事情があるからこそ、アルピナはその儘悠々と近付いていく。両手をコートのポケットに入れた儘の態度振る舞いは非常に隙だらけだが、それでも良く見れば何処にも隙が存在していない事を、エフェメラは彼女の背中を見つめつつ実感する。
そんなアルピナは、それでも一応念押しで蒼玉色の瞳を金色の魔眼に染め替える。何も見えないという情報が見えるだけで却って邪魔でしか無いが、やはり臨戦態勢に入って尚魔眼を開かないのは如何にも違和感が拭いきれないのだ。言い換えればある種のルーティンの様なものであり、こればかりは仕方無いとして諦める他無かった。
次回、第407話は11/28公開予定です。




