第405話:中庭にて
一方、そうしてクィクィが人間達と思いの外愉快で心温まる一時を過ごしている頃、アルピナとエフェメラは敷地内の小さな広場に到着した。そこは、四方を壁に囲まれた閉鎖的な中庭の様な場所であり、青々とした植物達が聖伸びをして陽光を求めている。また、小鳥達が数羽の群れを成して枝木に留まり、可愛らしくも美しいハミングを奏でて彼女達を出迎えていた。
そんな風景に囲まれつつ、またそれに一時の安らぎを心の奥底で感じつつ、アルピナは改めて魔眼を開く。猫の様に大きな蒼玉色の瞳を金色に輝かせ、肉眼には捉えられない不可視の存在に至る迄の一切合切を掌上の事の様に把握しようと意識を集中させる。
しかし、相変わらずとでも言うべきか、どれだけ魔眼を凝らそうとも、どれだけ魔力を魔眼に集約させ様とも、その瞳にはまるで何も映らない。見えない何かに綺麗サッパリ覆い尽くされたかの様に視界を阻まれ、見えないという事実だけがクッキリと映り込む。
それは寧ろ、倒錯的な気味の悪さすら感じてしまう始末。見えないという事実だけが見えるという実態は、何も見えないよりも質が悪い。却って思考を混乱させられてしまい、正常な感覚が失調してしまいそうになるのだ。
……やはり、魔眼は頼りにならない……か。やれやれ、面倒な事だな。
だからこそ、アルピナは魔眼での情報収集をサッサと切り上げてしまう。金色に染めていた瞳を彼女本来の蒼玉色に染め戻し、瞳に流し込んでいた魔力も魂へと帰還させる。そして、ふぅ、と息を吐き零しつつ、自身の心を蝕む如何しようも無いもどかしさを静かに自覚するのだった。
そのもどかしさとは、即ち虚空感。その種族的性質上、アルピナは常日頃から魔眼を介した視覚情報に基づく処理及び行動の選択を基本としていた。実際、肉眼越しで得られる視覚情報よりも魔眼を介して得られる情報の方が圧倒的に正確だし緻密だし何より広範囲に及ぶのだから、それは当然の選択だろう。
その為、こうして肉眼にしか頼れないという事は、それだけ視野狭窄に陥っている様なものなのだ。何時もなら見える筈のものが見えず、何時もなら知覚出来る筈のものが出来ず、何時もなら見抜ける筈のものが見抜けず、広大な砂漠のど真ん中で迷子になったかの様な寂しさが心を襲撃するのだ。
だが、それでも、こうした中庭の様な比較的開けた空間というのは、多少とはいえ安堵出来る空間だったりする。六面を囲われた閉鎖空間だったり、単純に入り組んでいたり見通しが悪かったりする様な場所とは異なり、こういう場所なら多少は肉眼でもなんとかなったりするのだ。
だからこそ、ふぅ、と小さく息を吐き零しつつ、アルピナはもどかしい気持ちを少しでも解消する様に視線を動かす。魔眼が頼りにならないのであればならないなりに肉眼で代償すれば良い、と肝に銘じつつ、少しでも気になるものがあればそれを決して見逃さない様に、気持ちを引き締めるのだった。
そして、そんな彼女の視線やそれに伴う首の回旋に伴う様に、彼女の濡羽色の髪や漆黒色の衣服の裾もフワリと揺れる。そんな仕草から漂う彼女の印象は、その見た目通りな可憐さを宿しており、しかし一方で非常に隙だらけな様にも感じてしまう。
だが、そんな彼女の蒼玉色の瞳だけは非常に鋭利に輝いており、同時に凡ゆるものを射竦める悪魔らしい冷徹さもまた醸し出している。姿形こそ人間と同一なれども、しかしそこはかとない異生物感を感じるそれは、決して人間には再現出来無い代物だった。
「此処にも何も無い様だな」
しかし、そんな彼女がどれだけその冷徹な瞳を凝らして周囲を見渡そうとも、それらしい何かが見つかる事は無い。勿論、この中庭に必ずしも何かがあると決まっている訳では無い為、目星いものが何も無いからと言って必ずしも落胆する必要は無いのだが、それでも、彼女としてはその失意を隠し切れなかった。
やはり、クオンという大切な相棒の無事を願う彼女の想いが、彼女自身から時間的余裕を失落させているのだろうか? だが、それに彼女自身が気付く事は無い。只只管に、漠然とした何かを求めて瞳を凝らし続けるだけだった。
だからこそ、若しかしたら此処は欺瞞なのではないか、という不安が徐々にではあるものの沸々と浮かび上がってくる。生憎魔眼が機能せず事の本質が掴み切れない以上、何も見えないからという都合だけでこの場所を目的の場所だと見定めるのは焦燥が過ぎたのではないだろうか? それこそ、何でもない場所を適当に聖力で覆い隠しているだけかも知れない。
若しそうであれば、それを確認するのは至難だろう。無い事の証明は悪魔の証明と呼称される程に難解であり、正真正銘の悪魔としては何とも言えない複雑な感情を抱くものの、それは兎も角として本当に此処にクオンがいない事を証明するのは事実として困難である。
言ってしまえば、若しかしたら未だ見つかっていないだけかも知れない、という仮定を崩すには、それこそ辺り一面を全て吹き飛ばして物理的に確証を得るしかないのだ。
だが、流石のアルピナと雖もこの辺り一帯を吹き飛ばす事は少々憚られる。確かに実力の観点で言えば非常に容易だし、それこそこの星程度なら何時でも破壊出来るのだが、しかしクオンを巻き込み兼ねないという懸念がそれを抑制するのだ。
というのも、幾ら彼が魔力と龍脈を得て人間としての理から逸脱しているとは雖も、言い換えれば所詮はその程度でしかないのだ。つまり、クオン程度では、この辺り一帯を吹き飛ばす様なアルピナの一撃を受けて無事でいられる保証は何処にも無いのだ。或いは、彼を捕らえていると目されるラムエル及びアウロラエルなら耐えられるだろうが、味方を排して敵だけ残してしまうのは本末転倒である。
だからこそ、こうして地道に探すしか無いのであり、地道に探すしか無いからこそ、そういう細かなもどかしさとは如何頑張っても縁を切れないのだ。
故に、そんな不安と焦燥感に駆られるアルピナの魂からは、黄昏色の魔力が少しずつだが漏れ出し始める。何時もなら余裕を以て抑えられる筈のそれは、感情に比例して濃度と出力を増し、感情に比例して制御を失いつつあった。
だが、彼女自身それには一切気付いていない。そうした焦りと不安が彼女の視野を狭窄し、結果的に魔力操作技術を一時的乍らも低下させていたのだ。
しかし、それが魔力にだろうが聖力だろうが龍脈だろうが、人間を含むヒトの子達には知覚する事は出来無い。あくまでも影響を受けるだけであり、しかし仮令悪魔公の魔力であろうともこの程度であれば人間に影響を及ぼす事は未だ無い。
だからこそ、或いはそうでは無くとも、エフェメラは何かを気にする様な素振りは見せない。猫の様に大きな優しく垂れた茜色の瞳でアルピナと同じ様に周囲を見渡しつつ、彼女の独り言に対して言葉を返す。
「そうですね、どこから如何見ても、随分昔に投棄された施設にしか見えません。狂信者達が根城にしているという情報を元に訪れた私達としては随分と拍子抜けですが——」
しかし、とエフェメラは自身の言葉に反駁を重ねる。ふふっ、と柔らに微笑み、改めてアルピナの方を向く。そして、そんなアルピナもまた彼女の行動に気が付いたのか、それに応える様に向きを変える。
蒼玉色と茜色が交差する。何方も同程度の背丈、同程度の体格、同程度の外見年齢。まるで姉妹の様に類似点が多く、対極する色と瞳の形状が却って美しいコントラストを織り成していた。
次回、第406話は11/27公開予定です。




