第393話:ワインボルト
しかしそれでも、智天使級ともなればそれ相応の実力を兼ね備えている事は疑いようも無い事実。これ迄にも既に三柱の智天使級天使との戦闘経験があるからこそ、それは確固たる確信として頷けるのだった。
だからこそ彼は、心中で最大限の警戒心を抱く。智天使級、即ち上位三隊に区分される天使が相手では今尚勝ち目が薄い事もあり、現にこうして成す術も無く攫われてしまった事もあり、如何しても不安と恐怖が脳裏に渦巻いてしまうのだ。
加えて、今尚こうして彼らが執拗に対立する目的も、こうして自分を攫った理由も、その全てが殆ど不明。そういう事もあって、これからどんな目に遭わされるのだろうか、という絶望感にも似た恐怖が思考を支配しそうになる。
だが、クオンとしては、それは御免被りたいのが事実。抑、こんな事をされて喜ぶ者なんている筈無いし、仮にいたとしたら相当な変わり者だろう。
だからこそ、クオンとしては、この場からの脱出をさっさとしてしまいたかった。こんな陰鬱としている上に聖力が充満する空間なんて、一刻も早く立ち去りたかった。
その為、如何にかしてこの拘束から逃れようと、彼は彼是思案しつつ藻掻き続ける。或いは、魔力を流し込んだり龍脈を刻み込んでみたり龍魔力をぶつけてみたりして、聖拘鎖を破壊しようと策を講じるのだった。
しかし、どれだけ足掻いてみても、結果は代わり映えしない。聖拘鎖は依然として堅牢且つ妖艶な暁闇色に輝いており、破断処か傷一つ見受けられない儘だった。
だが、そんな事で今更へこたれる様なクオンでは無い。抑が一介の人間でしかないクオンにとって、天使の力が自身の能力を上回っているのは当然の事。それは、仮令魔力と龍脈を使える様になってからも変わらない。どれだけ力を増しても本質的な面に於いては人間の儘であり、価値観とはそう簡単に移り変われるものでは無いのだ。
だからこそ、彼は決して諦める事は無い。寧ろ、簡単に破壊出来無かった方が却って安心する迄ある。この方が寧ろ、純粋な天使の力がきちんと介在しているんだな、という信頼をも抱いてしまう。
それは、短くとも濃い敵対の関係を築いてきたからこそ抱ける複雑怪奇な信頼と信用。決して嬉しくは無いし、有難迷惑な事この上無いが、しかしこういう時はちょっとした心の支えにすらなってくれている様な気さえしてしまう。
そうしてクオンは、そんな奇妙な信頼で理性を保ちつつ、如何にかこの鎖を破壊してやろう、と凡ゆる手段の限りを尽くす。それは最早、鎖を破壊するという手段が目的へと移り変わってしまっていそうな程。しかしそれを自覚する事で、辛うじて目的と手段を履き違えない様に、彼は思考の軌道を修正するのだった。
「その魔力……懐かしいな。アルピナにスクーデリアにクィクィに……それにヴェネーノか?」
そんな時、不意にクオンは暗闇の奥底から語り掛けられる。まさかこんな所に自分以外の誰かがいるとは思いも寄らず、加えて周囲に展開される聖力の障壁による影響か、龍魔眼でもその存在を認識出来ていなかった。
その為、クオンはその言葉に対して咄嗟に上手く言葉を返せなかった。言葉に成らない声を漏らしつつ、暗闇から齎された言葉の意味を繰り返し反芻する事で、その意味を正確に理解しようと努めるのだった。
そして、客観的には短くも主観的にはそこそこの時間が経過した後、クオンは如何にか絞り出す様にして言葉を返す。
「アルピナを知ってるのか?」
果たして、この問い掛けが本当に正しい問いなのかはクオンにも分からない。もっと他にも言うべき事があったんじゃないか、とも思ったりするが、しかし一度発した言葉は決して元には戻らない。その為、仕方無い、とばかりに見切りを付ける事で、無理矢理己の行動を正当化するのだった。
そして同時に、クオンは持ち前の龍魔眼を凝らす事で、その暗闇の奥にいる人物の正体を明らかにしようとする。幸いにして魔眼も龍眼も龍魔眼も肉眼とは原理が異なる為、光の有無が視界に影響を及ぼす事は無い。その為、肉眼では全く見通せないその暗闇の奥底も、龍魔眼を介せば容易に明らかにする事が出来た。
そんな暗闇の奥底。そこにいたのは男。見た目は何処にでもいそうな、比較的顔立ちが整った普通の成人男性。クオンの身近で例えるなら、ヴェネーノと同年代の様に見える。
しかし、それはあくまでも外見上の話。それに対して、クオンが現在龍魔眼を介して見ているのは内面。つまり、魂である。その為、外見的特徴はこの際何ら意味を齎さない。
そんな彼の魂を見透かした時、その正体はその見た目と反して人間ではないという事に、クオンは自ずと気付かされる。より正確に言えば、ヒトの子ではなかった。
つまり、神の子。その中でも悪魔と呼ばれる種族。それが彼の正体だった。
これ迄にも沢山見てきた神の子達の魂が持つ波長。各個体毎の差異は勿論の事、各種族毎の特徴やその差異等も、今や正確に見分けられる程に、彼は神の子の魂に見慣れていた。
そして故に、だからこそ、今正にクオンが発したその問い掛けは、無難でありつつも何ら生産性の無い微妙な質問だったと判明する。というのも、悪魔である以上、彼がアルピナを知らない筈が無いのだ。それ処か、神の子であると判明した時点で、その問い掛けには首肯以外の選択肢が生まれない筈なのだ。
しかしそれでも、その男性形悪魔は、クオンの問い掛けに対して静かに首肯する。決して嘲笑する事無く、決して呆れる事無く、優しくありつつも冷静に、彼はその問い掛けに対して言葉を返した。
「俺も悪魔だ。名はワインボルト。若しアルピナ達から話を聞いているのであれば、神龍大戦を生き残った五柱の悪魔の一柱だ、と言えば分かるか?」
神龍大戦を生き残った五柱の悪魔。それを聞いた瞬間。クオンはその意味を正確に把握出来た。
というのも、龍魂の欠片収集と並行して行われているスクーデリアの救出劇から始まる一連の旅路の目的に関しては、粗方アルピナ達から話を聞いていたのだ。神龍大戦そのものについては既に過ぎ去りし過去の話でしかない上に、アルピナ達からしても未だ秘密にしておきたい側面がある為に殆ど聞いていないものの、しかしそれを生き残った悪魔がいて、そんな彼彼女らと再会したい、というアルピナの目的意識に関しては既に共有されているのだ。何より、それが抑として龍魂の欠片集めに必要な事だからこそ、聞かない訳にはいかなかったのだ。
「そうか。アイツから話は聞いてる。俺はクオン・アルフェイン。アルピナ達と契約を交わした只の人間だ」
だからこそ、ワインボルトの自己紹介に対して、クオンもまた手短に自己紹介を返す。ワインボルトの事を多少は知っている事、自分がアルピナ達と契約を交わしている事、そして本質的には只の人間、即ちヒトの子である事……。必要最低限ではあるものの、しかしワインボルトは純粋な悪魔。立場上、たったそれだけの情報でも、そこから得られる認識は確かなもの。まるで直接これ迄の彼是を観測してきたかの様な正確性で、その内容を正確に把握するのだった。
しかし同時に、ワインボルトの相好に湧出するのは、微かな笑み。決して大笑いする事は無かったものの、しかしその可笑しさから自然と笑みが零れてしまっていた。
勿論、決してクオンを侮辱しようという意図がある訳では無い。しかし、悪魔だからこそ知っている真実に照らし合わせれば、如何しても面白可笑しさを見出さずにはいられなかったのだ。
次回、第394話は11/9公開予定です。




