第391話:邪悪なる異端の審問者
【輝皇暦1657年7月21日 プレラハル王国:サバト】
プレラハル王国東方地区の一角に存在する小さな町。王都やレインザード等と異なり、その全体的な雰囲気や建物一つ一つの外観は非常に古臭い。或いは、歴史を尊重していると表現した方が良いのかも知れない。
何れにせよ、その町は、プレラハル王国内であり乍ら何処か異国を髣髴とさせる雰囲気を醸し出していた。
だが、それはあくまでも外観の話。そこに住まう民草に関しては他の町と相違無い。勿論、カルス・アムラでは無い為に龍人こそ住んでいないものの、それは他の町でも同様の為、それを含めて、〝今この時代の人間の町〟としての機能は正常に働いていた。
そして、そんな小さく古い町の中で、人間達は今日もまた何時もと何ら変わらない生活を送っている。相変わらず魔獣の脅威が去る気配は無いし、魔王などという未知の脅威による不安だって付き纏っているが、それでも、人間が人間らしくいられる最低限度の文化的生活だけはしっかりと確保されていた。不安や恐怖の中に微かな希望と喜びを見出し、それを最大限主観的に増幅させる事で、自分自身をも騙くらかす様にし、少しでも一日一日を楽しもうとするのだった。
しかし、彼彼女らのそんな微かな平和は、今や見る影も無い。無垢な民草の誰も彼もが、仮初の平穏と享楽すら見出す事は出来ず、失意と絶望の狭間の中で、一日一日を如何にか生き残れます様に、と祈る事しか出来ていなかった。
「ねぇ、ママは何処に行っちゃったの?」
何処かの家に住む誰かの子供が、自分の父親にそう尋ねる。しかし、当の父親は何も答えない。いや、〝答えない〟のではなく〝答えられない〟と表現する方が、この際は適切だろう。こんな年端もいかない純朴な幼子に現実を教えるのは、流石に未だ残酷が過ぎる。
いや、年齢などこの際関係無いのかも知れない。男も女も、大人も子供も、誰だって辛いものは辛いし、悲しいものは悲しい。それを年齢や性別で線引きして一方的に優劣を付けるのは、セクシズムやエイジズムの類へと堕落してしまう。
果たして、この町に何があったのか? それは、この東方地区全体に古くから根強く蔓延っている、卑劣で陰湿な悪意の塊によるものだった。
抑、ここ東方地区は、プレラハル王国全体で見ても取り分け宗教的な香りが濃い地域。教会や、遺跡や、その他諸々など、宗教に関連する歴史的価値を含んだ彼是が最も多く存在しており、取り分けサバトに関してはその傾向が極めて高いとされている。
また、何より、国教の聖地があるのも此処サバトであり、天巫女の就任式を始めとするその他重要な儀式は基本的に王都では無くサバトで執り行われるのが仕来りとして残っている。
その為、生活と宗教が密接に関連しており、信仰心が高くなる程民は国の東に寄りたがる、という説話すら真しやかに囁かれている程。
しかし、だからこそ、宗教が必然的に宿している時代錯誤的な負の側面もまた、この地には非常に多く残されている。憖、文明の中心地である王都を対内的にも対外的にも清廉に見せる必要がある事から、負の側面だけが犠牲的にこの地に集約されているという見方だってされているのだ。
では、そんな負の側面とは一体何だろうか? 宗教は一見して人間の心を土台する拠り所としての立ち位置が大きいが、だからこそ、そうでは無い一面とはどんな邪な感情が渦巻いているのだろうか?
それは、人間による人間への差別。信仰の差異やお告げなど、凡ゆる目的意識でその手段を肯定化し、人間という単一種族内で劣悪な優劣を付けたり外見の差異を侮辱判したりする事で他者を虐げるという行為が、然も当然の様に繰り広げられていたのだ。
抑、人間は自分より下の存在がいる事で初めて安堵を覚える。或いは、そうする事で優越感を獲得する事が出来、それによる快楽が麻薬となって更なる快楽を求めようと更なる下を見出そうとする。
その結果、人間が人間を虐げるという歪な光景が然も当然の様に受け入れられる事になるのだ。
それは、何とも醜く疎かな光景だろうか。ヒトの子という下等な種族故の無知蒙昧さが育んだ劣悪な思想は、本来あるべきではない醜悪さを当然の様に具現化して止まなかった。
これは、神の子達では考えられない光景。抑、神の子達には、人間達の様な正当性を無視した強引且つ一方的なアンシャン=レジームでは無く、より明確に定められた客観的な上下関係を有している。
例えば、熾天使級から始まり天使級に至る迄の全九つの階級に区分された天使。例えば、公爵級から始まり男爵級に至る迄の全五つの階級に区分された悪魔。
そんな彼彼女ら——取り分け天使——の階級に由来する明確な上下関係は、基本的には完全なる上意下達が徹底されている。しかし、人間達が宗教を隠れ蓑にしたり免罪符にしたりして迄正当化しようとする悪辣な差別行動は一切存在しない。其々の階級が其々の階級を最大限尊重し、其々の階級に見合った態度振る舞いを徹底しているのだ。
だが、そんな天使の存在を宗教的側面でしか認めていない彼彼女らは、己の行動を、宗教的側面から認められた合理的且つ正当性に富んだものだと信じて止まない。十字架を振り翳し、法衣の裾を振り靡かせ、感情の赴く儘に無関係な民草を虐げて溜飲を下す事を日常としていたのだった。
そして、当初こそ、そんなちょっとしたストレス発散程度でしか無かった行動も、今や完全に常軌を逸した狂気へと変質している。
人間が人間を殺し、剰え、正義の名の下に悪の萌芽を阻止したのだ、と声高らかに叫び、その私財を没収する事で私腹を肥やす。そうして肥えた私欲で更なる快楽を得ようと更なる狂気を働こうとする。そんな負の螺旋階段が、過去から現在に至る迄、一切の解決の兆しも無く延々と続けられてきているのだ。
だが、何故そんな悪質な行動が咎められる事無く存在しているのか? 人間が人間を殺し、その私財を奪い、そうして私腹を肥やしつつ恐怖で他者を束縛する、という行為が、何故この御時世になって尚続けられているのだろうか?
それは偏に、情報の統制が非常に上手いからに他ならない。只でさえ情報通信技術がそれ程発達していないこの世界で、その数少ない情報さえ支配下に置く事が出来れば、最早その行為が外部に漏れ出る事は無い。寧ろ、意図的に好意的側面だけを龍出させれば、何も知れない騙されただけの人材が外部から供給される迄ある始末。
そうして、〝邪悪なる異端の審問者〟と自称する彼彼女ら一団は、今日もまた手頃な人間達に信仰の名の下に独善的な捌きを下す。魔女狩り、とも揶揄されるそれにより無垢の民草は残虐に虐げられ、或いは殺害され、しかしそれを隠す様に平和的な香りを町中に充満させるのだった。
*** ***
そんな中、町中のとある場所。そこは、その邪教徒だけしか知らない秘密の空間。そこに、一人の女性が足を踏み入れる。榛摺色の髪と瞳を持ち、すれ違えば思わず振り向いて凝視してしまいそうになる様な美貌を兼ね備えている。
だが、何より、一際目を引くのはその美貌ではない。勿論、その美貌も然る事乍ら、それ以上に目を引くのはその背中。純白色の二対四枚の翼が大きく伸び、優雅且つ大胆に羽ばたく事で、その存在感を主張する。
それはつまり、彼女が人間では無く天使である事の証。それも何より、単なる天使では無く、全九つのヒエラルキーの中で上から二番目である智天使級天使に君臨する存在だった。
次回、第392話は11/7公開予定です。




