第39話:天羽の楔
「眼のコントロールに慣れない間は無理をするな。……とは言ったが、これはシャルエルの力そのもの。この程度に慣れておかなければ、アイツとまともに戦うことなど不可能か」
「これは何だ?」
目を薄ら開けつつクオンは扉を見上げる。頭に響く疼痛に顔を歪めるが、今後の戦いを念慮して我慢を続ける。
「この先がこの古砦における最奥の間。つまり、魔界と地界が間断なく接続される地。ここだけはより一層の守護が必要だった。これは、そのための扉だ。生半可な力では開けられない様になっていたが、どうやらシャルエルが支配権を強奪したようだ」
しかし……アイツは小手先の技術が杜撰だった記憶があるが……。成長した、と捉えるべきか?
その時、背後から彼女を呼び止める声が反響する。それは明朗快活で、彼女にとってもよく聞きなれた声だった。
「あれ、アルピナ公じゃないっスか」
懐かしさに微笑を浮かべつつ、彼女は振り向く。フワリと揺れる長丈な衣服の裾が活発な彼女の性格を表現し、雪色の肌が光球の光を浴びる。
「久しいな、リリナエル。フサキエルなら神界だ。ここではない」
「あっ、やっぱりアルピナ公だったっスか?」
体格が非常に似通った二柱の神の子は互いに視線をぶつけ合う。明朗快活なリリナエルと傲岸不遜なアルピナ。相反する様でどこか気の合うところがあるのだろうか、両者の間に不思議と不快感の波は立たない。対立する種族でありながらもどこか友人と会った時のような朗らかさすら垣間見える。
ところで、とリリナエルはアルピナの横に並び立つクオンを指さす。
「その横にいる人間はどうしたんスか?」
神の子の中にただ一人放り込まれた異質な存在であるヒトの子クオン。リリナエルでも、その存在は無視しかねるものだった。首を傾げつつ、金色の聖眼で対象の魂を見透かす。しかし、どれだけ目を凝らしても他のヒトの子と何ら大差ないように見える。悪魔公ともあろう存在が何故ヒトの子と行動を共にしているのか、リリナエルは皆目見当がつかなかった。
「やはり、君の眼にも見通せないか。無意識か、或いは必然か。いずれにせよ、こちらとしては好都合だ」
「……何の話っスか?」
「こちらの話だ。生憎、まだその時が訪れていないからな」
さて、とアルピナは魔力を滲出させる。具現化された魔力の武器が右手に握られ、黄昏色の殺気を輝かせる。光球に照らされた彼女の顔が、暗闇の中で妖しく浮かび上がり、可憐な瞳と重なって恐怖を増強させた。
「君はこれから何をする? いまここでワタシを止めるか?」
切っ先を向けるアルピナに対抗するように、リリナエルは聖剣を顕現させる。額には冷汗が浮かび、相好は緊張感と覚悟で曇る。飄々とした態度は鳴りを潜め、一柱の天使としての自負に心の拠り所を探す。
しかし、彼女はその相好を崩して先程までと変わらない陽気な態度を取り戻す。聖剣は消え、聖力が希薄する。
「止めとくっス。今アルピナ公と戦っても勝ち目なんてないっスからね。それなら、この先でシャルエル様と一緒に戦った方がまだ可能性はあるっスよ」
リリナエルは、そのままクオンとアルピナの横を通り過ぎて扉の前に立つ。濃密な聖力が溢出するそれに優しく触れると、その身体は液体のように溶け込んで扉の奥へ消える。その場には、クオンとアルピナだけが残された。
「……何だったんだ?」
「ここでどれだけ予測しても、所詮は予想の域を越えない。ならば、直截本人を問いただせばいいだけだ」
アルピナは、右手を伸ばして扉に触れる。しかし、リリナエルの時とは異なり、アルピナの身体に変化もなければ扉が開くこともない。ただ静謐な扉が彼女の眼前に佇んでいる。
アルピナは、右手から魔力をその扉に流し込む。彼女の魔力と扉に含まれているシャルエルの聖力、その二つが激しく鬩ぎ合い停滞する空気が渦となって吹き荒ぶ。クオンは両上肢で身体を覆い、アルピナは無言で手を翳し続けた。その間も、アルピナは心中で扉の先に待つ敵に思いを馳せる。
シャルエルか……。いくらワタシでもあの階級の天使を相手にするのは骨が折れるな。いや、憂慮すべきはワタシではなくクオンか。まったく……せめて悪魔がもう一柱でも生き残っていたら多少は戦い易かったのだがな。
小さく溜息を零したアルピナは、クオンを横目で一瞥する。琥珀色の瞳に見据えられ、彼女は微笑を浮かべる。古く懐かしい記憶が彼女の心を洗浄し、昂る精神を落ち着かせる。
さて、とアルピナはより一層の魔力を一度に流し込む。暴流する魔力の波に押し流されたシャルエルの聖力は霧散し、扉の支配権限はアルピナの手に戻る。
ふぅ、と大きく息を吐いて、彼女は扉を見上げる。猫の様な蒼眼が玲瓏に輝き、可憐な相好が僅かに綻ぶ。腰に手を当て、扉の奥に潜む戦いの予感を睥睨した。
「さあ、クオン。あの龍人の兄も、我が友も、ワタシの探し物も、君の仇の一端も、全てがこの先に待っている」
アルピナが指を鳴らすと、扉は徐に開かれる。年代を感じる軋音とともに、更なる暗闇が大口を開いて彼らの入場を歓迎する。
「ああ、覚悟はとうにできてるさ」
クオンとアルピナは同時に足を踏み出す。共に睥睨する先の闇は、これから待ち受ける死闘を思わせる不安定な彩りだった。
二者は、扉を潜り抜けた先に伸びる細長い通路を進む。狭く単調なそれは、距離感を失調させ、時間感覚を鈍麻させる。一定のリズムで鳴る靴音は、軽快と警戒を両立させることにより不必要な緊張感を増強させる。
通路の両壁に飾られた種々の絵画から、無数の双眸が彼らを見つめる。無機質な生命体に込められた偽りの魂が精神を揺さぶり、最上位の芸術性がそれを宥める。
「悪魔といっても、意外と人間味があるんだな」
「ここに飾られている芸術品は、物好きな悪魔が取集した人間の作品が大半を占める。悪魔は人間と契約を結ぶ性質がある以上、人間の文化文明に染まり易い性質があるからな。一方天使は、楔による主従関係を結ぶ性質がある」
「楔?」
クオンは首をかしげて言葉を反復する。その仕草に微笑みつつ、アルピナは彼に知識を授ける。
「正式名称は“天羽の楔”と呼ぶ。それにより、一方的な主従関係を結ぶことで、我々悪魔が人間と契約を結ぶ事とほぼ同一のことが可能だ」
神の子は、ヒトの子の魂を管理する義務を有すことから必然的に彼らと関わらざるを得なくなる。その為の手段として保有する権能が楔と契約。どちらもヒトの子の魂に介入することで円滑な魂の輪廻転生を促す。しかし、天使は天使としての矜持があり悪魔は悪魔としての矜持を抱く。
天使は神の意志を遂行する代行者として、毅然とした上位意志を提供することをその目的意志として自負する。それに対し、悪魔は天使の対抗としての立場やヒトの子よりの本能を行動の礎とする。つまり、天使は天使を意志の中心に据え悪魔は対象を意志の中心に据えることが大抵なのだ。
そのため、十把一絡げに関与といったところで、その本質は対極しているのだ。
「つまり、今後は天使に隷従する人間が敵となる可能性もあるということか?」
「可能性は捨てきれない。しかし、天使の抑止力としてヒトの子を管理する悪魔と異なり天使は神の軍勢としてヒトの子を管理する。つまり、人間をはじめとするヒトの子と積極的な関わりを持つのは大抵悪魔に由来する」
面倒だな、とそれぞれの心中では呟いていた。
次回、第40話は11/6 21:00公開予定です




