第385話:龍王と侯爵級悪魔③
そんな彼女は、尚も一人心中で思考を回している。ダメ元で訪れた龍の都で悪くない回答を得られた結果、彼女の脳裏に燻っていた不快な靄は瞬く間に晴れ上がった。
「でも、それが分かった所で魂が見えないのなら意味無いのでは?」
ノーレイティアが首を傾げ乍ら問い掛ける。
彼女もまた草創の108柱に名を連ねる者として、それに相応しいだけの力と才を有している。加えて、単純な相性差と総合的な実力さの兼ね合いから、彼女はラムエルもアウロラエルも然したる脅威とは見做していない。
だからこそ、彼女はあくまでも冷静さを維持した儘、大切な友人にそれを尋ねたのだ。
そして、それを受けるスクーデリアもまた、そんな事は初めから承知している。彼女もまたノーレイティアと同じ草創の108柱であり、何よりアルピナクィクィの様に感情で動静を決める程短絡的な思考回路は宿していない。
だからこそ、そう問われる事は想定内であり、それを覆せるだけの合理的な回答もまた既に確保されていた。
「問題無いわ。最悪、虱潰しに探せば良いもの。それに、態々《わざわざ》そこ迄しなくても、あの子達が行きそうな場所ならある程度目星は付いているわよ」
ふふっ、と微笑むスクーデリアの相好は、しかし決して微笑ましいとは言えない恐ろしいもの。氷より冷たく、雷より鋭く、炎より激しい感情がそこからは滲み出ており、それに見据えられる龍達は挙って身を強張らせる。仮令それが自分達に向けられたものでは無いとは分かっていても、しかし無意識的且つ潜在的な恐怖感情には抗えなかったのだ。
だが、それは今回が初めての事では無い。何より、悪魔-龍間の相性の都合上、龍が悪魔へ恐怖を抱くのは当然の事。故に、それは如何しようも無く付き纏う本質的な問題でもあった。
だからこそ、それは最早慣れたものであり、ログホーツもノーレイティアもシンクレアも、其々《それぞれ》立ち処に平静を取り戻すのだった。
「あら、そう。それなら良いのだけれど、それでも無理はしない事よ。貴女ならきっと大丈夫でしょうけど、本来悪魔は天使に対して相性上不利なのだから」
ノーレイティアは、本心からの心配を口にする。それは、大切な友人の無事を願う彼女なりの想いであり、何より過去数千年に亘って行方知れずになっていたからこその心配心だった。
そして、そんな言葉を投げ掛けられるスクーデリアとしても、その心配は尤もだと理解している。彼女としてもノーレイティアは大切な友人にして相棒でもあり、アルピナ達と同じくらいに大事にしている。だからこそ、若しこれで立場が逆なら自分もまた同じ事をしているだろう事は容易に想像が出来る。
故に、彼女はそんなノーレイティアの言葉に対して優しく微笑みを浮かべる。感謝と喜びに温かくなる心情をその儘表出したかの如きその相好は正しく彼女の本心であり、そこには一切の嘘偽りは存在していなかった。
「ありがとう、ノーレイティア。精々気を付けるわ。でも、私はもう負けないわよ」
「それは、あの子にもか?」
微笑ましい彼女らの遣り取りに口を挟む様にして問い掛けるのは、他でもない龍王ログホーツ。立場上、或いは経験上、彼はスクーデリアやアルピナの周囲環境にもそれなりに精通している。だからこそ、彼は彼なりの疑問をその場で提示する。
「……そうね。一応は昔の誼があるから、多少は如何にでもなるでしょうね。それに、あの子自身、そこ迄対立に積極的ではないみたいだし。でも、事と次第によってはそう簡単にはいかないでしょうね」
それでも、とスクーデリアは、小さく息を吐き零して直前の自身の言葉を否定する。その瞳は何処か憂慮の色が覗いており、或いは不安に駆られている様にも感じられる。だが、それをも包み隠す様に、彼女は気持ちを切り替える。
「先ずは眼前の問題を解決する事が先決ね。あの子に関しては、またその時になってから考えれば良いわ。どの道、アルピナとクオンがいないとどれだけ議論してもまるで意味が無いもの」
それじゃあ、とスクーデリアは会話を強制的且つ一方的に切り上げる。出来る事ならもっとのんびりとお話ししていたかったのだが、しかしこれ以上話しても何ら生産性が無い事は目に見えていた。寧ろ、完全な無駄骨にならなかったのだから、これだけでも十分過ぎる成果だった。
そしてその儘、彼女はふわりと空中に浮かび上がる。背中から伸びる二対四枚の翼を羽ばたかせ、しかしそれを全く利用する事無く魔法によって空中を揺蕩う彼女は、その儘窓辺から龍王の間の外へ出る。
尚、入室時は律儀に入り口を使用していたが、しかし態々《わざわざ》別れの際もそれに従う必要は無い。あれはあくまでも再会に際した礼節でしか無く、常日頃から守り続けている訳でも無い。
それに、彼女らは太古よりの付き合い。それこそ、ヒトの子が創造されるより遥か以前の、神話と呼ぶ事すら憚られる程に古い時代からの友人同士。故に、今更そんな礼節を弁える様な間柄でも無かったのだ。
「聞きたい事は聞けたし、私はそろそろ戻らせてもらうわ」
それだけ言うと、彼女の姿は龍王の間から消失する。何ともあっさりとした身勝手過ぎる別れな気もするが、しかしそれも含めて悪魔としての本質なのだろう。一見して知的で賢才な美女の様にしか見えないが、やはり本性を曝け出せる気心知れた環境下では如何しても本性が露わになってしまっている様だった。
だが、同じ神の子として、或いは旧時代からの友人として、ログホーツ達もそんな彼女の言動には既に慣れ切っている。寧ろ、数千万年前と比較すれば随分と丸くなった方でさえあるだろう。それ程迄に、彼女の中では何かが変わりつつある様だった。
「行ったか……」
「相変わらず、悪魔というのは如何にも自分勝手が過ぎるな……」
「でも、前よりは幾分か大人しくなった方じゃないかしら?」
ログホーツ、ノーレイティア、シンクレアは、其々《それぞれ》思い思いに感想を漏らす。呆れる者、微笑ましく思う者、その対応は様々であり三者の中でも解釈がまるで異なっている様だった。
だがそれも無理無い事だろう。
というのも、この三柱では生まれた時代や生きてきた時間がまるで異なる。草創期に生まれたノーレイティア、それよりは若く旧時代に生まれたログホーツ、そしてギリギリ旧時代ではあるもののほぼ新時代に生まれたシンクレア。生まれた時代の背景環境がまるで異なる彼彼女らでは、そこに育まれる価値観がそれに合わせてまるで異なるのは当然の事なのだ。
そして、だからこそ、異なる価値観を持つ者が零す感想に対しては、自身の価値観に合わないからこその違和感を覚えてしまう。勿論、何方かが正しくて何方かが誤っている、という短絡的な思考迄は抱かないものの、しかし違和感を抱いてしまう事だけは如何しても避けられなかった。
「前よりって……いつの時代の話だ?」
だからこそ、三柱の中で最も若いシンクレアは、呆れた様に呟く。余りにも違い過ぎる時間感覚のせいで、前という抽象的な言葉だけではその程度を限定する事は出来無いのだ。
「そうね、500,000,000年程前かしら?」
遥か遠い過去を覆い出す様に遠くを見つめた儘、ノーレイティアはあっけらかんと答える。やはり、草創期に生まれたという事もあり、時間感覚は相当に長い様だった。だからこそ、それを聞くシンクレアとしては、大きな溜息が無意識の内に零出してしまっていた。
「はぁ……俺が生まれるよりずっと前、それ処か第一次神龍大戦すら未だ始まっていない頃か。道理で、俺に既視感が無い訳だ」
次回、第386話は10/30公開予定です。




