第382話:龍王達の困惑③
それから程無くして、ある程度精神的に落ち着きを取り戻しつつあった龍の都在住の龍達は、其々《それぞれ》の活動に戻りつつあった。興味のある者は引き続き地界を観察し、興味のない者は自分達の活動に戻る。果たして何方が良いとも何方が悪いというのは特に無く、別に彼彼女らが何方を選ぶのも全て自由だった。
そんな中、龍王ログホーツと龍王補佐ノーレイティア、そしてその場に居合わせている只の龍シンクレアは、引き続き地界の様子を具に観察していた。いや、正確には地界にいる悪魔達の動静を見張っていたと言うべきだろう。
というのも、彼彼女らは、別に地界そのものやそこに住まうヒトの子に然したる興味を示していない。天使や悪魔の様に魂の管理業務を与えられている訳でも無い故に、別にそれらが如何なろうとも彼彼女らの知った事では無いのだ。
だが、悪魔は別だ。彼彼女らは神龍大戦を共に戦った嘗ての仲間であり、そうでなくとも同じ神の子としてそれなりに関りが深い。勿論、天使もまた同様にそれなりの間柄ではあるのだが、やはり神龍大戦で対立していたという歴史的観点がその友情を阻害する。
だからこそ、彼彼女ら三柱の瞳は、何時に無く真剣だった。金色に染まる龍眼を燦然と輝かせ、琥珀色に染まる空の向こうに位置している地界をその視界に投影する。
そんな時、不意に悪魔達に動きが生じた事に彼彼女らは揃って気が付いた。尤も、龍眼を開いて具に観察していれば気付くのは当然であり、別にその気付きそのもの自体は大した事では無い。しかし、彼女らに何らかの動静があったという事実こそが何よりも大事だった。
「スクーデリアが動き出したみたいね」
最初に呟いたのは、ノーレイティア。彼女はスクーデリアよりは若いものの、この三者の中では唯一となる草創の108柱であり、スクーデリアとは非常に縁深い。それこそ、シンクレアとヴェネーノが共に相棒として神龍大戦を戦い抜いた様に、スクーデリアにとっての相棒がこのノーレイティアなのだ。
だからこそ、彼女もまたスクーデリアの事は非常に気に掛けており、彼女が一時期消息を絶った時には非常に狼狽したものだった。それこそ、この龍の都が更地になるのではないか、と迄噂された程であり、そうした経験も相まって彼女の一挙手一投足には過剰な迄に反応してしまう傾向すらある様だった。
「如何やら魔界に移動する様だが……」
地界と魔界。遠く離れた二地点に同時に構築された空間移動用の渦を確認し、シンクレアは呟く。
それは決して物珍しいものでは無く、神の子なら誰でも容易に構築可能な代物。しかし、構築が容易であるという事は非常に簡素な術式だという事であり、それは即ち観測も容易だという事。その為、空間移動に於ける始点と終点を大した苦労も無く突き止め、その理由を疑う。
「或いは、魔界を経由した後に外へ出る積もりかも知れない。先日、アルピナとセツナエルが神界へ赴く際に、其々《それぞれ》魔界乃至天界を経由していたからな」
そういえば、とばかりに先日の一件を思い出しつつ、ログホーツは別の可能性を引き出す。
だが、果たしてどの予測が正解なのか、或いは何れの思考もまた不正解と掃き捨てられるのか、それは誰にも分からなかった。それを為す当事者だけが知る所であり、基本的に部外者でしかない龍達で如何にか出来る次元の話では無かった。
故に、ログホーツもノーレイティアもシンクレアも、黙ってスクーデリアの動向を追う事しか出来無かった。出来れば巻き込まれたくないな、と其々《それぞれ》表面にこそ出さないものの其々《それぞれ》揃ってこっそりと思いつつあり、しかしそれを悟られない様に如何にかこうにかして覆い隠すのだった。
【龍脈にて】
上下左右前後に至る凡ゆる方向を琥珀色に染められている不思議な領域。空気も無く、聖力も無く、魔力も無く、そこを構築するのは力としての龍脈のみ。何処迄行っても代わり映えしない琥珀色一色な虚無の領域であり、後は精々遠巻きに見れば天界と魔界と地界を球体として識別出来る程度。
果てし無く広大であり、果てし無くつまらない空間。それこそが、領域としての龍脈であり、三界及び龍の都を包み込む形で一つの世界を形成する特殊な構造体だった。
そんな何も無い琥珀色の領域の中に、一柱の長身な麗女が浮かぶ。
柔らにウェーブを描く鈍色の長髪は腰に至る程長く、煌びやかな宝石細工を彷彿とさせる瞳は狼の様な妖艶さと氷の女王の様な冷徹さを合わせ含む。しかし、身に纏う淡色のドレスワンピースが彼女の上品さと賢才さを土台する事で、それを補って余りある気品を身に纏っていた。
そんな彼女、侯爵級悪魔スクーデリアは、自身が所属する階級を示す二対四枚の漆黒色の翼を数度羽ばたかせつつ、二度と消せない不閉の魔眼を燦然と輝かせて周囲をグルリと一瞥する。
……龍脈に出るのは久し振りね。何年振りかしら?
他愛の無い事で適当に思考を濁しつつ、彼女は代わり映えの無いつまらない視界に対して懐かしさを含む溜息を零す。
だが、それは決して龍脈という空間を侮辱している訳では無い。確かに空間自体がつまらないのは事実だが、しかし同時に変わらないからこそ感じられる昔懐かしい温かみがそこにはあるのだ。
移ろう良さに対する移ろわない良さ。不変が不変であるからこそ存在する、ある種の安心感の様なものだった。
しかし、そんな悠長な事を言っていられない事もまた事実。感傷に浸るのは用事が全て済んでからでなくてはならず、必要は全てに於いて最優先で処理されなければならない。
当然、悪魔として凡ゆる生命の上位に君臨しつつそれを管理する立場にある彼女がそれに気付かぬ筈も無い。さて、と小さく息を吐き零す事で、彼女は改めて気持ちを切り替えるのだった。
「余り悠長な事はしていられないわね。……恐らくこの辺りに龍の都がある筈なのだけれど……」
キョロキョロ、と周囲を見渡しつつ、彼女は改めて龍の都を探す。
抑、龍の都は重厚且つ堅牢な秘匿龍法が施されている。加えて、構造体としての龍脈の流動によって絶えずその位置は変化している。
その為、龍の案内も無ければ龍の様に帰巣本能が無い彼女ではその正確な位置を割り出す事は出来ず、如何してもこうしてある程度は虱潰しによる捜索が必須だった。加えて、その秘匿龍法のお陰で魔眼に捉える事も出来ず、捜索と一括りに言っても、非常に原始的で非効率的な目視による捜索が絶対だった。
何ともくだらない面倒な手間でしか無いが、しかししなければならないのだ。此処でどれだけ文句垂れても状況が好転する事は決して有り得ず、口を動かす暇があったら目を動かす方が何倍も合理的だった。
そして漸く、彼女は目的となる龍の都を発見した。
とは言っても、肉眼にその全貌が映る訳では無い。やはり、秘匿龍法は非常に緻密であり、一見して只空間が微かに歪んでいる様にしか見えない。しかも、空間全体は代わり映えの無い琥珀色一色であり、余程目を凝らさないとその歪みにも気付かない。加えて、構造体としての龍脈の内部には力としての龍脈が空気の様に充満しており、龍法が零す龍脈を上手くカモフラージュしている。
だが、そこはやはり経験がものをいう。これ迄幾度と無く龍の都は訪れた事があるのだ。それこそ、龍の案内が無くとも、暇潰し感覚で足繁く通ったものだ。その経験が、龍の都捜索という意外に難しい案件に対して一日の長を齎してくれたのだ。
ふふっ、龍の都は久し振りね。皆、元気にしているかしら?
次回、第383話は10/25公開予定です。




