第373話:クオンなりの予測
これは……馬車か?
考え込むクオンの脳内に浮かび上がるのは、一つの仮定。何かしら陳述出来る根拠がある訳では無いが、しかし身体に染み付いた振動の感覚が、確信を穿つ予想を齎してくれた。
だが、未だ足りない。確かに此処が場所の中だと分かっただけでも、此処が地上である事が分かるという点で有意義なもの。だが、一言で地上とは言ってもその範囲は非常に広い。更なる絞り込みが求められた。
だからこそ、クオンは決してその気付きだけに満足する事無く、その振動に意識を集中させる。より詳細に、より明確に。何か一欠片でも手掛かりを得られるのであれば、そこからこの状況を打破出来る何かが手に入れられるかも知れない。
……足音からして平原ではないな。岩地か? それに、引馬の数は……二頭か……? だとすれば、それなりに大型且つそれなりに豪勢な馬車。だが、それにしては歩調が揃ってないし落ち着きが無いな。それに揺れも酷いし、材質も劣悪だし建付けも悪いな。
ザックリとした評価だが、ある程度は読み取れた。勿論、これらが全て正確な評価とは限らないし、これで全てだとは思わない。若しかしたら何処かしらで読み違えている部分があるかも知れないし、或いは見落としている側面だってあるかも知れない。
しかし、真偽の程はこの際捨て置くとして、得られた限りの情報からでもある程度なら絞れる事は事実。
例えば、蹄音から岩場地帯である事を予測したが、仮に此処がプレラハル王国内だとすれば北方地区の山岳地帯か東方地区の荒地地帯に範囲が絞られる。それ以外だと基本的に岩場ではないか、将又岩場であっても馬車が通れる様な地形ではないかの何方か。
加えて、馬の状態と馬車の形態のチグハグ具合も良い判断材料。引馬が二頭もいる辺りからして馬車の持ち主はそれなりの上位カーストに属している筈だが、しかしそれ以外の要素が余りにもお粗末。馬の状態や御者の練度等、言い換えれば側だけがやたらと豪華絢爛なハリボテの様な印象を受ける。
つまり、体裁だけを如何にか取り繕っただけの偽りか、或いは馬車の持ち主が使い捨ての人間を雇い入れてこの状況を生み出している可能性が考えられる。
だが、考え得る可能性だけが幾つか浮かぶばかりであり、明確な唯一つの真相には至らない。寧ろ、中途半端に宙ぶらりんになった仮定だけが乱立する事で思考を阻害し、只でさえ不安と困惑に思考が支配されている事も相まって、真面な理性が何処かへ消し飛んでしまいそうだった。
……いや、此処で彼是考えても埒が明かないか。
故に、クオンは、そうして考え付いた仮定を、勿体無いが一度手放す。これ以上考えても状況が改善する訳も無く、寧ろ混濁した思考が冷静な対応を損ねてしまい兼ねなかった。
だからこそ、彼は適当に大きな深呼吸を零す事で、一度思考を整理する。そして、改めて彼は今出来る事が何かを考える。
……龍魔眼が使えない以上、少なくとも神の子の力が介在している事は確実。取り敢えず、龍魂の欠片と遺剣だけは異空収納に隠しておくか。
寧ろ、気を失っている間にこれらが奪われなかっただけでも有り難かった。それ処か、有り難いを通り越して疑問ですらある。
だが、これもまた考えても埒の明かないもの。故に此処は一つ素直になって直感通りに行動するしかない。
幸い、遺剣を異空収納の中に仕舞った儘でも龍脈を操る事は可能。とはいえ非常に効率は悪くなるし、非効率なそれに意識を傾ける暇があるぐらいなら、一層の事魔力だけに意識を集中させて物事に当たった方が安全な迄ある。
何れにせよ、最悪奪われなければ如何にかなる。きっと今頃はアルピナがきっと何らかの対応策を練っているか実行に移している頃。彼女に丸投げする訳では無いが、彼女を信頼して身を任せる事に悪い気はしなかった。
尤も、クオンは知らなかったし気付けなかった。クオンがいなくなった事に気付いたアルピナが王都を半壊させる程に暴れ散らかしていたという事実を。また、それに伴い、対応策を練っているのがアルピナではなくスクーデリアであるという事を。
しかし、そんな事は些細な違いに過ぎなかった。アルピナだろうがスクーデリアだろうが、勿論クィクィや他の悪魔であろうが、クオンを助ける為に動いているという事実迄は揺るがないのだ。
だからこそ、クオンは不安と困惑に揺さ振られる心の中に、微かな信頼の灯火を維持する事が出来た。そして、それが彼の心を土台する事によって、この絶望的な状況の直中にあってさえ平常心を保つ事が出来たのだった。
その後も、馬車は揺れる。
果たして此処は何処なのか? プレラハル王国なのか、或いはそうでは無いのか。将又、抑として同じ星乃至同じ世界の中なのか?
何かもが不明な儘、クオンは全てに身を委ねて只運ばれるのだった。
【輝皇暦1657年7月20日 プレラハル王国:王都】
突如として現れた魔王によって壊滅的被害を受けたプレラハル王国王都。負傷者及び犠牲者を多数生み出す形で忽然と消失したその破壊は、今尚壊滅的な爪痕を色濃く残している。
一体、如何すればあの短時間でこれ程迄の破壊を生み出す事が出来るのだろうか? そんな事が出来る外敵から平和を取り戻す事なんて本当に出来るのだろうか?
誰も彼もの脳裏に浮かぶのは、基本的に同じもの。寧ろ、これ迄仄聞的にしか聞いた事が無い魔王の存在を直接目で見て肌で感じたが為により強く抱く様になっているのかも知れない。
何れにせよ、人間達は恐怖していた。或いは、絶望していた。だが、そんな心にも負けず、公僕達は如何にか平和を取り戻そうと手練手管を尽くして奮闘していた。
そんな人間達の眼鼻の先で、その恐怖の当事者である魔王達の一部は一堂に会していた。
人間達から魔王として恐れられている理外の存在たる悪魔スクーデリア、クィクィ、アルテア、ルルシエ。そして、彼女らに介抱される形を取っている悪魔アルピナと龍人レイス及びナナ。
彼彼女らは、人間達の認識を阻害する事によって恐怖から逃れる様に身を寄せる人間達の群衆に紛れ込みつつ、其々《それぞれ》深刻な相好を携えて瞳を交わらせていた。
「それで、一体何があったのかしら?」
最初に口を開いたのはスクーデリア。天使の様に上意下達が徹底されていないとはいえ、しかし悪魔にも建前上はカーストが存在する。その為、アルピナが魔法によって眠りに落ちている今、その次に階級が高く実力も秀でているスクーデリアが必然的にリーダーシップを取らされていた。
そんな彼女の瞳は、宛ら日輪の如き金色に輝いている。
それは、非常に発達した不閉の魔眼。凡ゆるものを見透かすその瞳は、宛ら狼の様な妖艶さと氷の女王の如き鋭利な冷たさを両立させていた。
彼女は何時に無く真剣だった。普段見せている、宛ら上流貴族の如き気品と麗しさに抱擁された壮麗な姿振る舞いは何処にも存在せず、彼女を彼女足らしめる悪魔としての冷徹さが前面に押し出されていた。
流石は悪魔公の代理として一時的乍らも全悪魔を支配していただけの事はあるだろう。或いは普段と異なる雰囲気の為か、将又余りにも違い過ぎる階級故か、アルテアもルルシエも自然と背筋が綺麗に伸びていた。
そんな中でも唯一クィクィだけは、多少の気楽さを残している。勿論、普段の陽気さや明朗さこそ鳴りを潜めているが、しかし緊張度合いは精々スクーデリア自身と大差無い程度に落ち着いていた。
それは偏に、これ迄の経験に由来するもの。アルテアやルルシエと異なり、彼女はスクーデリアとの付き合いがそれなりに長い。加えて、アルピナやセツナエルやジルニアに振り回され続けてきた事から、似た様な緊迫の場面には何度か立ち会った事があるのだ。
次回、第374話は10/12公開予定です。




