第369話:ルルシエとスクーデリア
尤も、天魔の理を逸脱している上に抑として不閉の魔眼を有しているスクーデリアなら見えているだろうが。だからこそ改めて、彼女は自身と彼女らとの間に存在するまるで同種族とは思えない程に隔絶された実力差を実感するのだった。
軈て、スクーデリアはアルピナの額に触れる。そしてその儘、彼女はアルピナに対して魔法を発動させる。この魔力嵐の影響下にあって魔法を発動させるのはほぼ不可能に近い御業だが、しかしスクーデリアの魔法技術は全悪魔一。そこから更に一悶着あった様だが、如何やら無事に魔法は発動出来た様だった。
そして、魔法の影響を受けたアルピナは深い眠りに落ちる。スクーデリアの肩に凭れ掛かり、この騒ぎを引き起こした原因とは思えない程に可愛らしい寝顔を見せて穏やかに眠っている。しかし同時に、その相好は何処か不安に窶れている様でもあった。
その直後、周囲を吹き荒ぶ魔力嵐は綺麗サッパリ消失する。それこそ、まるで最初からそんなものなど存在していなかったとでも言いたげな程の様変わり様。唯一、その魔力嵐に破壊し尽くされた街並みだけが、まるで蝗害にあった後の田畑の様にその姿形を残しているだけだった。
そんな光景を見て、ルルシエはホッとした様に息を吐き零す。肌をピリピリと刺す様なアルピナの魔力も無くなり、漸く魔眼が機能する様になった事を改めて実感し、如何やらなんとか抑え込む事が出来た事に安堵するのだった。
一方、深い眠りに落ちたアルピナを優しく抱きかかえるスクーデリアは、自身の眼下にルルシエが訪ねてきている事を認識する。一応魔眼はアルピナの魔力嵐の中でも機能していた為にその存在を認識する事は出来た筈なのだが、しかしアルピナの対応に手一杯だった為に、今の今迄その来訪に気付く事が出来無かったのだ。
だが、だからと言って特別困惑する事は無い。騒ぎの大きさやそれに対する人間達の認識、そしてルルシエが英雄セナ及びアルバートと共に人間社会に潜伏している事やそのルルシエ自身の実力を勘案すれば、態々《わざわざ》こうして直接会いに来た理由には自ずと理解が及んだのだ。
だからこそ、スクーデリアはアルピナを抱えた儘ゆっくりと地上に向けて降下する。幸いにして人間を含む凡ゆるヒトの子は周囲一帯には存在していない。その為、新たな面倒事の火種になりそうな地上に降り立っても、特別不都合は無かった。
それに、身を隠すものが何も無い上空に浮かんでいるよりも、建物等で身を隠せる地上の方が幾分か有り難い。尤も、認識阻害の魔法を掛け直せばそれで全て済む話なのだが、しかし見つからないに越した事は無いだろう。
軈て、地上に降り立ったスクーデリアは、改めてルルシエと向かい合う。その細く撓やかな雪色の腕の中ではアルピナが背中から三対六枚の翼を力無く垂らした儘眠りに就いており、つい先程迄魔力を垂れ流しにして暴れ狂っていた魔王そのものとは思えない程に穏やかで可愛らしい寝顔を浮かべていた。
「大丈夫、スクーデリア?」
「心配を掛けてしまってごめんなさい。でも、もう大丈夫よ」
背中から伸びる二対四枚の翼を力無く萎れさせ乍ら、スクーデリアは何処か申し訳無さそうな声色と口調で謝罪する。その相好には疲労感が薄っすらとだが覗いており、アルピナを宥めるという唯一つの事だけに非常に苦労を強いられた事が見て取れた。
実際、スクーデリア自身の感想としても、アルピナを宥めるのは非常に苦労した。それこそ、神龍大戦が開かれる以前や戦間期に於いて頻繁に行われていたアルピナとジルニアの小競り合いを仲裁していたあの時の方がよっぽどマシだった。
というのも、あれは今回と異なり感情を乱していた訳では無かった。あくまでも理性をしっかりと保った上で、戯れとして力と力をぶつけ合っていただけに過ぎなかったのだ。その上、その小競り合いとは舞台が異なる。当時のあれが基本的に蒼穹で行われていたのに対し、今回は地界。しかもヒトの子たる人間の生活圏のど真ん中で行われた。
その為、当時の小競り合いと異なり理性による無意識的抑制が働いていない上に、それを地界を破壊しない様に抑え込まなければならないという無理難題を強いられていたのだ。結果的に成功したから良かったものの、一歩間違えればこの国処か地界全部が瞬く間に黄昏色の廃墟へと変質した可能性すら十分に有り得ただろう。
「だったら良いんだけど、それにしてもあれを鎮めるなんてやっぱり凄いね、スクーデリアは」
「運が良かっただけよ。それにしても、昔の経験がまさかこんな所で役に立つとは思わなかったわ」
ジルニアとアルピナが幾度と無く繰り広げていた戯れ合いとしての小競り合いの内の一欠片を思い出しつつ、スクーデリアは辟易とした様に乾いた笑い声を零す。その瞳は腕の中のアルピナへと向いており、相好はまるで我が子を慈しむ母親の様な穏やかさを秘めていた。
「それで、一体何があったの? 私達、王城に居たんだけど、魔眼が全然機能しないから誰も状況を把握出来てなくて」
「あら、セナなら辛うじてでも魔眼が使えるのかと思っていたのだけれど、意外ね。それとも、未だ力が完全には取り戻せていないのかしら? 兎も角、少し落ち着ける場所でお話ししましょう。この子を寝かせてあげる必要もあるわ」
そうね、とルルシエは同意する。そして、スクーデリアとルルシエは、アルピナを抱きかかえた儘、腰を据えて話せる様な場所を求めて移動を開始する。自身らが魔王及びその一派だと認識されない様に改めて認識阻害の魔法を掛け直す事で、その存在は何処にでもいる極普通の人間へと変質するのだった。
尤も、これ程迄の騒ぎがあった直後であるにも関わらず、その中心地に生身の人間がいたら幾分か怪しまれそうなもの。しかし、ヒトの子では認識阻害を破る事は絶対に出来無い。その為、それは無駄な心配でしかなかった。
『クィクィ、ヴェネーノ。私達は一足先に移動しておくから、また後で合流しましょう』
精神感応を接続し、スクーデリアは端的に指示を飛ばす。魔眼を開けば何処に誰がいるのかは手に取る様に認識出来る為、態々《わざわざ》合流する時間や場所を指定する事も無ければ伝える事も無かった。だが、それは何時もの事。その為、その言葉を受けるクィクィもヴェネーノも、特に困惑する事無く素直にそれを受け入れるのだった。
『了解』
『はーい!』
ヴェネーノは生真面目に、クィクィは陽気に其々《それぞれ》返事を精神感応に乗せる。果たして彼彼女が何をしているのか、スクーデリアはそれを今更尋ねようとは思わなかった。大方の予想は付いているし、何よりクィクィもヴェネーノもこういう時に無駄な事をする様な存在ではない。何方もそれなりの死線を潜り抜けて来たのだ。立ち振る舞いは身体に染み付いている。
だからこそ、スクーデリアはそれ以上敢えて何も言う事無く、只無言で精神感応を切断するだけだった。ルルシエもまたその精神感応に参加していたものの、取り分けて口を挟む様な事はせず、只傍観者として遣り過ごす。
というのも、スクーデリア、クィクィ、ヴェネーノの事をルルシエは以前より信頼している。神龍大戦終結直後の悪魔が僅か五柱しか存在せず、しかもアルピナが放浪していた為に実質四柱しかいなかった時代にルルシエは生まれ、その後悪魔としての基本的な立ち回り及び各種魔法を彼彼女らから習ったのだ。勿論、ある程度は本能として魂に刻み込まれているが、しかし細部を突き詰めればやはり師は必須だったのだ。
因みに、その時彼女が最も深く師事していたのが他でも無いヴェネーノだった。その為、彼女の魔力操作技術や魔法技術はヴェネーノなりのやり方が基準となっており、言ってしまえばヴェネーノ流。勿論決してそれが悪いという訳では無く、寧ろ師弟関係が滲み出る微笑ましい一面だった。
次回、第370話は10/6公開予定です。




