第366話:王城の反応と対応
そうしてアルピナが王都上空で悪魔としての力を顕現させて理性を亡失させている頃、それは同じ王都内に存在する王城からも観測されていた。果たして一体何事なのか、とばかりに誰も彼もが窓辺に寄り、視界の奥に浮かぶ恐怖の具現に意識を集中させていた。
そして、その正体が今現在人間社会を恐怖に陥れている魔王そのものである事を、彼彼女らは理性では無く本能で理解した。同時に、彼彼女らの心は嘗て無い絶望のどん底に叩き落され、或いはその本能すらも失調した完全なる恐慌状態へと陥ってしまっている様だった。
勿論、それは四騎士も同様である。彼彼女らもまた並み居る多くの人々と肩を並べる様にして窓辺に寄り、硝子の向こうに広がる城下町を覆い尽くす絶望の象徴に並々ならぬ敵意を向ける。拳を握り締め、鋭利な視線を滾る様に輝かせ、其々《それぞれ》の心中で其々《それぞれ》の思いを目まぐるしく湧出させていた。
しかし、他の者共と四騎士とで異なるのは、その精神状況。一介の文官でしかない雑多な彼彼女らは、魔王アルピナの出現に対して全くの無力である事も相まって、完全に戦意を失っていた。或いは、生を諦観して死を待ち受けている者迄いる始末だった。
それに対して、四騎士は文官でありつつも武官としての側面も併せ持っている。それもあってか、将又実際に魔王と邂逅した経験がある者も含まれている為か、戦意は今尚喪失していない様だった。それ処か、民草の安全を今度こそ取り戻してやろう、という気概すら感じさせられる程だった。
だからこそ、彼彼女らは決して茫然と魔王アルピナの姿を眺めているだけに留まらなかった。彼彼女らは、自身の管理下に存在する凡ゆる組織人員を動員し、民草の安全を守る為に凡ゆる手の限りを尽くすべく行動を開始したのだ。
果たしてそれは本当に意味のある行動なのだろうか? そんな自問に対して彼彼女ら自身確信を持つ事は出来無かった。しかしそれでも、何もせず只座して滅亡を受け入れるくらいなら多少なりとも足掻いて見せた方が幾分マシだろう、という希望に基づく事で、彼彼女らはその行動を正当化するのだった。
取り分けて颯爽と動き出したのは、ガリアノット・マクスウェルとアエラ・キィスの二人。彼彼女二人は共に魔王との邂逅経験があり、中でもアエラに関しては直接剣を交えた数少ない存在。つまり、魔王という存在の強大さ乃至異次元さを誰よりも詳しくその肌感覚で直接認識している。だからこそ、誰よりも現状に於ける自分達の置かれている不利状況を認識する事が出来、同時に誰よりも早く対処の一手を打つ事が出来たのだ。
ガリアノットは王城内に駐留していた王立軍及び自身とガリアノットが其々保有している直属の部隊を率いて王城の外へと向かう。どれだけ数を率いても多数に無勢で大きな効果は見込めないかも知れないが、しかし中途半端に少ない数に絞って徒に人命を浪費するくらいなら、この方が士気の向上に一役買える分効果的だった。
また、アエラは自身の直属部隊及び動ける文官を率いて同じく王城の外へと向かう。彼女の役割は民草の保護。それなりに戦える者は皆ガリアノットに連れていかれた為、彼女が採れる最善手は必然的にこれになってしまったのだ。尤も、武官としての側面が強いガリアノットと異なりアエラは四騎士の中では比較的文官寄りという事もある為、全く以て采配ミスとは言えないのだが。
そして、一拍遅れた様にグルーリアスも動き出す。しかし彼の直属部隊は全員ガリアノットに率いられて王城の外へと向かっていった。その為、必然的に彼は単独での行動を強いられる。加えて、彼は年齢の兼ね合いもあってガリアノットの様な大立ち回りを自他共に期待出来無い。
そういう訳もあって、彼は王城内で出来る事に注力する。幸いにして彼は四騎士筆頭という事もあり、四騎士という派閥全体を統括する役割を担っている。その為、現場での大立ち回りは他の四騎士に一任し、彼は六大貴族達に声を掛けつつ国王陛下の許に集結し、現状の共有や今後の動きについての協議を行うのだった。
そうしてグルーリアス、アエラ、ガリアノットは、其々《それぞれ》自分達の出来る最大限の事を模索し実行しているのだった。しかし一方、彼彼女らと同じく四騎士の内の一人、そして此処プレラハル王国の国教に於ける最高位聖職者たる天巫女を兼任するエフェメラ・イラーフだけは何処か雰囲気が異なっていた。
彼女だけは、他の四騎士と異なりその場から積極的に動こうとしていなかった。彼女は、その猫の様に大きなやや垂れた茜色の瞳で以て窓越しに小さく映る魔王アルピナの姿形を捉え、只静かに見つめていたのだった。
果たして彼女は何を考えているのか? しかし、それ処では無い彼彼女ら文官達は、エフェメラのその奇妙な態度振る舞いを気に留める事は無かった。また彼女と派閥を同じくする他の四騎士達も、自分達の行動に注力していた為に、そんな彼女の動向はまるで目に入っていなかった。
その儘、彼女は微かに微笑む。決して声には出さず、微かに口元と眼差しだけを緩めるそれは、しかし誰の瞳にも映らない程に小さな変化。或いは映っていても気のせいだと断じて無視してしまう程に状況から逸脱したものだった。
そして、彼女は漸く徐に動き出す。コツコツ、と靴音が王城の中に鳴り響き、しかしそれは決して軽やかとは言い難い重く低いもの。聖職者特有の神聖さの中に存在する威厳と尊厳を最大限表出した様なそれは、まるで彼女の心中に巣くう心情をその儘体現しているかの様だった。
軈て、彼女の姿は何処かへと消える。その姿を見て、恐らく自身の天巫女としての権威権限を最大限活かしつつこの状況を打破するべく行動を開始したのだろう、と誰もが信じて止まなかった。だからこそ、誰もその背中を引き留める事はしなかった。
しかし、あくまでも声を掛けなかっただけで、そんな彼女の背中を眺めて何やら物思いに耽る者がいた。それは魔王出現に際して誰も彼もが慌ただしくする中でも平然としており、且つ四騎士達が其々《それぞれ》独自の行動を取る中それに追従しなかった稀有な存在。
詰まる所、巷で英雄と呼ばれ持て囃されているセナとアルバートの二人——正確にはアルバートの影の中に潜むルルシエを加えた三人——だった。彼彼女らもまた文官達に交じって窓の向こうで狂乱する魔王アルピナの姿をその目で捉えつつ、状況がまるで理解出来ずに困惑していた。
『ねぇ、あれってアルピナだよね? 一体何が起きているの?』
アルバートの影に潜みつつ彼の視界を共有する事でアルピナの姿を捉えているルルシエは、精神感応を繋いで二人に尋ねる。その声色は完全に困惑しており、顔は見えないもののきっと同じくらい困惑を露わにしているであろう事は容易に想像出来た。
しかし、そんな彼女の問い掛けに対してアルバートは元よりセナもまた即答出来ない。アルピナと同じ悪魔であり、且つルルシエと異なりアルピナとはそれなりに付き合いが長い彼でさえも、予測一つ立てる事すら叶わなかったのだ。
或いは、中途半端に相手の事を知っているが為に予測が付き難いのかも知れない。若しこれが四騎士やその他人間の様にアルピナの事を全く知らなかったら、仮令それが全くの見当外れとはいえ尤もらしい妄想的予測は立てられたのかも知れない。
兎も角、セナもアルバートもルルシエも、現状の認識は他の人間達と何ら変わらなかった。或いは、既知の情報に引っ張られるが余りより一層の困惑と不安と恐怖に駆られてしまっているのかも知れない。それでも、如何にかこうにかルルシエからの問い掛けに対してそれらしい答えを紡いでいく。
次回、第367話は10/3公開予定です。




