第35話:白星
そこから、長い戦いが続く。聖力を溢出させて聖法を放つ天使と、それを辛うじて回避するクオンの攻防。一度受けたおかげか、辛うじて反応できるようになったクオンはそれらを紙一重で躱すか受け流す。対してクオンは遺剣に魔力と気力を込め、限りある体力を消費して懸命に食らいつく。危機的場面をアルピナに支援されつつ、どうにか二者は渡り合っていた。
そんな光景とは裏腹に、フサキエルとエスキエルは一方的な残虐を被っていた。決して殺さないような絶妙の力加減で嬲られ続け、聖力も体力も気力も著しく消耗していた。
「流石はアルピナ公。手も足も出ないとは」
土と泥に汚れ、血と汗に濡れる顔を袖で拭うフサキエルは忌々しく呟く。手にした聖剣はまだ輝きを失っておらず、彼の魂はいまだ激しく滾り続けていた。
「ええ、フサキエル様ですら手も足もでないとなりますと、かなり厳しいですね」
エスキエルは聖剣を杖代わりにして辛うじて立ち上がる。額から滴落する汗を拭い、大きく息を吐いた。眼前に聳える悪魔に対し、最大限の気迫で相対する。
「どうした、当時と比べて肉体が脆くなったか? しかし、君達には多くの悪魔を殺された以上、それなりのケジメを付けてもらう必要がある。まだまだ、死んでもらっては困るな」
アルピナは徐に歩く。一見無防備に近づくその様は、決して近寄ることが叶わない要塞。確約された死を運ぶ行商人。一切合切が彼女には通じず、全ての努力と覚悟が梨の礫にされる運命にある。
〈天聖槍矢〉
「児戯だな」
エスキエルの掌から放たれた聖なる槍はアルピナの魂を目標に射出される。空気を穿いて飛ぶそれは、衝撃波を周囲に飛ばしながら一直線に彼女へ向かう。しかし、それもアルピナにとっては子供の玩具と同義。ほこりを払う様な軽い動きで、その槍は彼方へと吹き飛ばされる。天空に浮かぶ白雲が、槍に貫かれて大きく抉取された。
それに続くように、無数の天使が大挙をなして突撃する。背中に背負う翼は天使の誇り。体内を循環する聖力は天使の証。眼前に立つ強大な悪魔公を打倒さんと全霊をもって聖法を叩き込む。
しかし、何度繰り返されても結果は同じ。羽虫が群れを形成したところで猛獣には勝てないのだ。
天使も悪魔も生きた年代がそのまま実力に直結する階級構造。故に、長き時間を生き続けた稀代の大悪魔に敵う者は数少ないのだ。
虫けらのように地に転がされ、拳を振れば胴体が砕かれ、魔爪を振れば身体が両断され、魔法を放てば肉体が蒸発する。死を与えられた肉体は魂と紐づけされて神界へと送られる。
着実に数を減らされ、ついにはフサキエルとエスキエルの二柱のみが残されることとなった。
「ここまでか……」
クオンを守る片手間で処理され、遂にはたった二柱だけ残された現実。遥か昔、一度目の肉体的死を迎える前に彼女と戦った時と何ら変わらない事実に、フサキエルとエスキエルは悲しみを抱く。
「そういえば、前回もワタシが君達を殺した気がする。神界の居心地が懐かしいだろう?」
「漸くこの世界に戻ってこられたと思った矢先のこれは少々辛いものがありますね」
「またいずれ戻ってきます。アルピナ公、今度こそ貴女を神界に送ってあげますよ」
エスキエルの宣言を嗤笑しつつ、アルピナは二柱の肉体に死を齎す。宿主を失った魂は彼女に捕らえられ、肉体と共に神界へと送られる。それを見届けたアルピナは、小さく息を吐いて独り言ちる。
「ワタシは君達と違い神界の生まれだ。神界程度、いつでも行ける」
さて、と彼女は振り返る。遠くではクオンが無数の天使を相手に奮戦していた。木々の合間を劈く金属音が繰り返され、聖力と魔力と龍脈の衝突が空気を割って大地を激震する。巨木が薙倒され、草花が吹き飛ばされる。殺気と熱気が混ざり合い、血と泥の臭いが融け込む。
接戦か……。クオンにしては……いや、ヒトの子であれだけ奮戦できれば十二分に価値があるか。
アルピナは戦場が見渡せる巨木の枝に腰掛ける。脚を組んで頬杖を突き、猫のような蒼眼で眼下に広がる戦闘を見下ろす。砂塵と泥土を割るように聖法が飛び交い、その合間を縫うようにクオンが疾走する。
一進一退の攻防が幾度となく繰り返され、双方の体力は既に限界近くまで減少する。残り僅かな気力で聖力と魔力を増幅させるその様は文字通りの死闘。もはやアルピナの姿は彼らの瞳に映っていなかった。
……よしッ、行ける‼
クオンの会心の一撃は、一柱ずつ着実に天使達に致命の一撃を与える。地に崩れ落ちる天使達は、やがてその肉体の生命活動を停止させて魂を切り離す。暴流する魂は肉体から放出して近場の肉体に宿らんとする。
しかし、その本能レベルの行動は一柱の悪魔によってあっけなく阻止される。彼女は、巨木の枝に腰掛けたまま指を鳴らす。音の波に乗せられて運ばれた魔力が暴流する魂を捕捉する。
「残念だが、魂の回収は我々神の子に課せられた最大の義務。以前の君達がしでかしたような愚昧なマネはしない。例え敵対する種族であろうとも、全て神界へ送らせてもらおう」
魔力の紐が魂と元の肉体を結びつける。自由な活動を封殺された魂は、一切の見落としなく肉体とともに神界へ運ばれる。
こうした流れ作業が繰り返され、遂に、レスティエルただ一柱を残しペリエルを含む全ての天使は神界へと旅立った。
「まさかここまでとはな。貴様、一体何者だ⁉」
「俺は、ただ悪魔と契約を結ばされただけの人間だ」
クオンは手に持った遺剣を一瞥する。封入された龍の力が、淡い光を放ちつつ流入する魔力に抱擁されている。
……或いは、龍の力と悪魔の悪戯に生かされているだけの傀儡人形かもしれないな。
そんなことより、とクオンは改めてレスティエルを見据える。薄汚れた天使の翼が、この戦いの激しさとクオンの実力を物語る。神の子に土をつけたヒトの子など、久遠の時の中で果たして存在したのだろうか? それほどの快挙であり異常事態でもある。故に、レスティエルは眼前のヒトの子の正体を訝しがらずにはいられないのだ。
「そろそろ決着をつけないとな。これ以上長引かせるわけにもいかない」
それは自身の体力や気力、魔力の関係。そして何より、誘拐されたレイスの安否のためでもある。幾らアルピナがその安全を予測しているとはいえ、それが覆されない保証もない。例え覆されなかったとしても、それは早いに越したことはないのだ。
さあ、見せてみろクオン。ワタシが契約を結んだヒトの子。その真髄を示せ。
アルピナの瞳が光る。それに応える様にクオンは咆える。体内を環流する魔力が増幅し、戦ぐ風が乱れる。対するレスティエルもまた、渾身の一撃を叩き込むべく力を籠める。
そして、両者は同時に飛び出す。蹴り上げられた泥土が雨のように降り注ぎ、飛び散る血と汗が世界を彩る。
〈太刀聖風刃〉
レスティエルは、再び聖法を繰り出すべく聖力を練り合わせる。眼前の敵はこの技を防ぎこそしたが完全には防ぎきれていない。満身創痍の今なら確実に致命の一撃となる。
嘗ての天使と悪魔の戦争を思い出す濃密な聖力は、クオンの肌をビリビリと焼く。それでも、クオンは怯むことなく突撃する。遺剣がかつてない輝きを燦然と放ちつつ龍脈を迸らせる。
二本の剣が交差する。聖剣と龍剣は持ち主の意に応えんとその威力を増し、これまでの剣戟を過去のものにする。
「俺は……負けんッ‼」
クオンは更に加速する。そして、その魔剣はレスティエルの魂を正確に捕らえる。致命の一撃を受けた肉体は鮮血を噴出させながら崩れ落ち、全身に満ちる聖力は居場所を失い魂へ帰還する。
次回、第36話は11/2 21:00公開です




