第349話:治療の終了
軈て、ヴェネーノの心身及び魂の消耗状態を全て詳らかにしたアルピナは、早速とばかりに行動へ移す。自身の魂と彼の魂を強引に連続させ、紐帯を介して魔力を譲渡していくのだった。如何やら、ヴェネーノからしてみれば大きな消耗の様だが、しかしアルピナからしてみれば些細な消耗でしかない様子。その為、何ら不安視も警戒視もする必要は無かった。
それでも、唯一気掛かりなのは、ヴェネーノそのものでは無く彼と龍装を組んで事実上一体化しているシンクレアの方だった。というのも、現在の彼は、魂をヴェネーノの魂に融合させ肉体を剣へ変質させている状態なのだ。
それの何が気掛かりなのか、と問われれば、それは即ち力の種類の兼ね合い。現在ヴェネーノが欲しているのは魔力であり、アルピナが提供しようとしているのも魔力。それに対して、シンクレアの根源を成している力は龍脈である。つまり単純に、種類が異なるのだ。
だからこそ、魔力を譲渡する際に何らかの手違いや失敗でヴェネーノの魂に融合しているシンクレアの魂が魔力と触れ合ってしまえば、多大な影響を及ぼす可能性があるのだ。それこそ、輸血や移植に際して生じる拒絶反応の様なものだと思えば分かり易いだろう。
その為、アルピナとしても、取り敢えず適当に魔力を放り込んでお終い、という訳にはいかなかった。勿論、彼女程の技量があればその程度の障壁は些末事として容易に突破出来るし、何かあっても直ぐに対応出来る。それでも、何事も無く無事に終わる方が圧倒的に楽だし早い。だからこそ、万全を期すに越した事は無いのだ。
アルピナは、魔眼の感度精度を天魔の理に抵触しない程度に迄上昇させる。そして、金色に輝く魔眼をより一層燦然と輝かせ、ヴェネーノの魂を分析する。魔力を譲渡しつつ、同時進行的にヴェネーノの魂とシンクレアの魂を区別する事で、正確にヴェネーノの魂にだけ魔力が行き渡る様に操作する。
そして、それはヴェネーノの心身及び魂を立ち処に回復させていく。融合するシンクレアには一欠片たりとも影響を及ぼさせない、針の穴に糸を通す様な繊細且つ巧みな操作は、傍から見れば惚れ惚れする程。ヴェネーノやシンクレアは当然として、かなりの強者として神の子全体に名を馳せているクィクィですら、その魔力操作には目を奪われてしまう。
実際、魔力操作技術や魔法技術がかなり不得手なクィクィではこれ程の繊細さは難しい。それでも、天魔の理の影響下に敷かれていない地界以外の領域で且つ一切の邪魔が入らない環境であれば、若しかしたら同程度には出来るかも知れない。しかし、そうでなければ、もう少しばかり拙劣な魔力操作を短時間維持するのが精一杯だろう。
因みに、これ程迄に繊細な魔力操作が出来るアルピナでも、年齢や階級を基準にすればかなり下手糞な部類。あくまでも圧倒的な力によるゴリ押しで誤魔化しているだけでしか無く、他の草創の108柱や旧世代初期に生まれた古参神の子からしてみれば鼻で笑えるレベル。
実際、スクーデリアはもっと上手である。アルピナより若干年下である彼女の魔力操作技術は、アルピナでは到底敵わない。それ処か、アルピナより古く神により創造された三柱の神の子であっても、巧緻操作性に関してはスクーデリアに敵わないのだ。
そういう訳もあって、ヴェネーノやクィクィから純粋な感心の目で見られるアルピナとしては、少しばかり居心地悪い気持ちにさせられていた。別にそれが悪いと迄は言わないが、しかし憖スクーデリアを知っているからこそ、複雑な気持ちを抱かせられるのだった。
そんな事を考えつつ、ヴェネーノの治療は着実に進んでいく。人間社会に広まっている一般的な医療技術如きでは説明のしようが無い超常の光景がそこには広がり、宛ら女神による祝福が授けられたかの様にヴェネーノは癒されていく。
そして、治療が始まってから十数秒が経過した頃、漸くヴェネーノ治療は完了する。未だ極少量の負担は残っているものの、しかしそんな万全の状態迄回復してあげる義理はアルピナには無かった。自然回復が正常に機能しつつもある程度の戦闘に耐えられる程度に迄は回復してあげ、残りは彼自身の心身機能に委ねるのだった。
非常に中途半端であり、或いは非常に責任逃れの身勝手行動にしか感じられないが、しかし実行者はあのアルピナなのだ。それだけ言えばヴェネーノもシンクレアもクィクィも自然と納得がいく。失礼な事この上無いが、しかし彼女を知る神の子ならではの思考回路だった。
そうして治療が終了したアルピナは、ヴェネーノに対する魔力の譲渡を切断する。ふぅ、と小さく息を吐き零すと、体外に漏れ出る自身の魔力を魂の内奥へと帰還させる。そして、それに伴う様に金色の魔眼を蒼玉色の瞳へと染め戻すのだった。
今の彼女からは、彼女が悪魔である事を示すものは殆ど感じられない。魂の波長が彼女を悪魔だと教えてくれてはいるが、しかし表面的な姿形や態度振る舞いからはそれを感じさせない。何処にでもいる10代後半の人間の少女にしか感じられなかった。
そんな彼女は、肩の長さの髪と膝丈のロングコートを海風に靡かせつつ、無言でヴェネーノを見つめる。その中ではスカートから伸びる雪色の大腿が年頃の天真爛漫さと明朗快活さを醸し出し、しかしそれを塗り潰す様な無言の威圧感をやや吊り上がった瞳から放っていた。
ヴェネーノは、アルピナから齎されるその威圧感を適当に受け止めつつ、静かに立ち上がる。彼女から施された治療のお陰もあり、身体は非常に軽やか。それこそ、クィクィの手によってバルエルの天羽の楔を除去された直後と遜色無い程度に迄は回復されていた。
それでも、未だ完全回復と迄はいかない様だった。アルピナの目論見通り、活動に支障が無く自然回復が機能する最低ラインを辛うじて上回る程度の回復だけが与えられている様だった。尤も、動く事すら儘成らなかった時と比較すれば十分過ぎる程の回復なのは事実だったが。
そういう訳で、ヴェネーノは改めて自身の身体を注意深く観察する。未だ龍装は解除されておらず、彼の魂の内部では融合したシンクレアの魂が鎮座している。如何やらヴェネーノと異なりアルピナの回復を受けておらず、消耗状態で安静にしている様だった。
尚、こればかりは仕方無いだろう。アルピナが使えるのは彼女本来の力である魔力と、立場都合上から使える様になってしまった聖力の二つ。つまり、龍脈は宿していないのだ。一応、ヴァーナードの龍剣を介せば使えなくも無いが、しかし生きた魂の消耗を回復させるには少々心許無かった。
だからこそ、同じ肉体の内部に備わってい乍らも、ヴェネーノとシンクレアの魂には明確な区別が付けられていた。それでも、状況を鑑みればもう死ぬ事は無いだろう。自然回復を待つか外部から龍脈を譲渡されれば普通に行動出来そうだった。
「これで満足だろう?」
アルピナは尋ねる。一応十分過ぎる程の魔力は提供してあげた積もりだ。余程の事が無い限り、魔力が未だ不足しているなどと言い出す事は無いだろう、とは考えていた。尤も、仮に不足してもこれ以上譲渡する積もりは更々無かったのだが。
「うん、十分過ぎる程だよ。ありがとう、アルピナ」
ヴェネーノは自身の心身及び魂の状況把握を済ませつつ、アルピナの問い掛けに返答する。そこには決して遠慮の気持ちは込められておらず、その言葉通り十分過ぎる程に回復させてもらっていた。寧ろ、アルピナにしては気前が良いな、とすら思ってしまい兼ねない程だった。しかし、それを馬鹿正直に言ってしまえばまたアルピナが拗ね兼ねない為、敢えて公言せずにソッと胸の中に仕舞い込むのだった。
次回、第350話は、9/12公開予定です。




