第342話:勝敗を決する一撃③
それは、冗談としての一言。しかし、強ち冗談とは言い切れない程度には本気の気概が込められている。それこそ、彼女が望むなら今直ぐにでも譲ってやろう、という魂胆が一切隠される事無く曝け出されていた。
「遠慮しておくわ。貴女がいなかった10,000年で懲り懲りよ」
ふふっ、と笑い声を零しつつ、スクーデリアは容赦無く断る。悪魔公という職務は色々と面倒が多い。全悪魔の頂点という立場故に、凡ゆる世界に散らばる悪魔達を統括しなければならない。その為、場合によっては様々な世界に引っ張り凧になってしまい、満足に腰を据えて落ち着く事も儘ならなくなってしまう。
尤も、それを背負っているのがアルピナであり、彼女はそれを約100,000,000年程継続しているのだ。そんな彼女の前でこんな事を言うのは酷な話だが、しかしスクーデリアの心にそんな慈悲は無かった。長い付き合いだからこそ、遠慮無く本心をぶつけるのだった。
やれやれ、とアルピナはスクーデリアに言葉に溜息を零す。元より素直に継承してくれるとは思っていなかったし、提案してから断られる迄の一連の流れはこれ迄幾度と無く繰り返してきた様式美。お約束とも称せられる恒例行事だからこそ、アルピナとしてもちょっとした楽しみを見出せてしまえていた。
そして、そんな気持ちをそこそこに、アルピナとスクーデリアは天使達を蹂躙していく。取るに足らない雑兵を相手に態々力を放出するのは惜しい事もあり、必要最低限の魔力のみで天使達の肉体に死を贈る。そして、死を贈られた肉体から其々《それぞれ》顔を覗かせる各魂を捕らえると、肉体と紐付けして神界へと送り続けていった。
軈て、アルピナはクオンや彼と戦っていた天使達の間をすり抜ける様に前へ前へと進む。それは彼彼女らを襲った衝撃波の放出点であり、詰まる所バルエルとヴェネーノがいる場所だった。衝撃波と共に生じた爆発を無視する様に、彼女はその中へと身を投じるのだった。
そして、突如としてその爆発の残滓は消し飛ばされる。より強い力で蹂躙される様に一掃された爆発と衝撃の痕跡は立ち処に見えなくなり、澄み渡る青空が再度姿を現した。それこそ、まるで初めからそうだったかの様な、晴れやかで平和的な青色だった。
同時に、そこから零れ落ちる様に姿を見せるのは、衝撃と爆発を生み出した元凶であるバルエルとヴェネーノ。何方も、自ら生じさせた爆発と衝撃を一身に受け取り、その上全ての力を使い果たした事もあって身動き一つ取っていなかった。
しかし、如何やら何方も意識迄は失っていない様だった。浅く速い呼吸をか細く消えそうな密度で繰り返してはいるが、しかし未だ生きていた。或いは、死んでいないと表現した方が相応しいかも知れない。それ程の消耗具合だった。
「良くて引き分けと言った所か?」
しかし、アルピナの言葉に対してバルエルもヴェネーノも何方も直ぐには答えられない。顔を上げて彼女と視線を交わしてはいるが、しかし真面な受け答えが出来る様な状況では無かった。聖眼も龍魔眼も開けず、通常の栗色が両者の両目を染めていた。
それでも、龍装迄は解除されていないのだからヴェネーノとシンクレアは良くやっている方だろう。此処で適当に解除してシンクレアが顕現してしまえば、何処で誰が見ているか分からない。一応の安全の為にも、ありがたい成果だった。
「……アルピナ?」
如何にか辛うじて答えたのはバルエルの方だった。栗色の短髪と天使らしい清楚さを含む男性的な衣装は傷と汚れで染まり、此処迄の戦いの激しさを無言で語っていた。如何にか無理矢理言葉を発した彼は、しかし彼女の名を呼んだ先の言葉を紡ぐ元気は無かった。
「ほぅ、流石は智天使級だな。未だ話せるだけの力が残っていたか」
「……まぁね。龍装があるとは言っても……僕の方が格上だから。……そう簡単には……負けてられないよ」
それで、とバルエルはアルピナに問い掛ける。余りのんびり御喋りしていられる元気は無いし出来れば何処かで身体を休ませたかった。それでも、敵の前でそんな事が出来る筈無い事は明確だし、それにそれをする為にも如何しても聞いておかなければならない事があった。
「僕の魂は如何するのかな? シャルとかルシーと同じで神界送りにする?」
バルエルの脳裏に浮かぶのは二柱の天使。ほぼ同時期に生まれた同胞であり、今回の抗争に際しても天使長の命令を受けて共に戦った仲。神龍大戦を生き残った悪魔を封印しつつ龍魂の欠片を探す、という大役を果たすべく切磋琢磨した、正真正銘の友人の顔だった。
彼彼女の肉体及び魂は、何れもアルピナの手によって神界へと送られている。直接その場に居合わせた訳では無いが、ベリーズにい乍ら聖眼で動向を気にしていた為、全て把握している。友として、生死の無事を願うのは当然の対応だろう。
兎も角、だからこそ、彼彼女がアルピナによって肉体的死を贈られた事は非常に悲しかった。それこそ、直接出向いて復讐したかった。しかし、無策で飛び込んでも勝てっこない事は分かり切っていたし、仕事もあった為に断念していたのだ。
しかし同時に、彼彼女の魂は霧散する事無く速やかに回収された後に復活の理に流された事もまた同様に直ぐに気付いていた。死別してしまった事自体は非常に悲しかったが、霧散させられなかった事だけはちょっとした安堵だった。
勿論、それが偏にアルピナの性格故だという事も知っている。というのも、彼女が過去の恨みを大義名分としてワザと天使の魂を霧散させる様な性格をしていない事は明白。何より、彼女は傲慢で冷酷な性格に反して非常に真面目。自らの立場に課せられた職務と役割を放置する筈が無い事は当然だった。
だからこそ、バルエルはアルピナに対して怒りの感情は無かった。友人を無事に復活の理に流してくれた事に対する感謝すら抱いていた。抑、この殺し合いは遥か昔から続いているのだ。今更殺す殺さないに対して怒りと不満を覚える様な事は無かったし、仕方無い、として諦めを付ける事だって容易だった。
「そうだな。こうして敵対し死の贈り合いをしてしまったのは元々ワタシ達が原因であり、君達のせいでは無い。加えて、今回は天羽の楔で精神支配を受けていただけであり我々に目立った被害は生じていない。しかし、シャルエルとルシエルを神界に送ってしまった手前、君だけを見逃すというのも少々差別的だろう」
アルピナは手掌に魔弾を構築し、バルエルに対して翳す。最早力を出し切った彼にそれを止める手立てはないが、しかし万全を期してしっかりと力を蓄える。それこそ、無傷の状態でも受けたら瀕死に追い込まれそうな程度には威力を内包させるのだった。
眼鼻の先で黄昏色に輝く魔弾を前にして、バルエルは静かな微笑みを携える。最早死は確定であり、今更抗おうという気は無かった。それに、戦い始めた当初から死ぬ事は覚悟の上だった。今更後悔なんて無かった。
そんな時、ふと思い出した様にバルエルはハッとする。それは、不意に思い出した心残り。それも、自分には直接関係しない事。まさかこんな時に思い出す事に成るとは、と自虐的に微笑んでしまう程に想定外の思いだった。
「……そういえば、僕は兎も角としてレムリエルは如何なるのかな? 出来れば見逃してもらえると幸いなんだけど……」
それは、レムリエルの生死に関する事。ヒトの子が生を受ける遥か以前、それ処か第一次神龍大戦が勃発するよりも更に古い時代から自身の右腕として重宝してきた相棒に関する事。せめて彼女だけでも、という懇願が、如何しても抑え切れなかった。
次回、第343話は9/5公開予定です。




