第340話:勝敗を決する一撃
勿論、余計な犠牲を生まない為の予防策は入念に行っている。取り分けクオンに対しては、何が何でも守る固い決意すらも抱いている。それこそ、あのアルピナが他をかなぐり捨ててでも守ろうという意地を滾らせているのだ。よっぽどの事だろう。
それは、今から10,000年前の約束に基づくもの。それは神龍大戦の終結のきっかけであり、或いは再来の芽でもあり、将又根本的な原因とも言えるもの。その約束を果たす為、アルピナはクオン及び彼に預けた龍魂の欠片と遺剣に対して、並々ならぬ執着を見せていたのだ。
「そうだな。しかし、これも良い経験だろう。恐らく、最終的な戦いはこれ以上の激しさを孕んでいる。神龍大戦の様な無益な犠牲はこれ以上容認する訳にいかないからな」
だからこそ、天使達を片手間に遇うアルピナとスクーデリアは金色の魔眼をヴェネーノ達の戦闘へと向け続ける。レムリエルとクィクィの戦いは態々《わざわざ》見届ける必要も無い為に放置し、運次第では勝敗が何方にでも転がり得る戦闘の方を優先的に見届けるのだった。
そして、そんなアルピナとスクーデリアの温かな戦闘参観に背中を押されつつ、ヴェネーノはバルエルと衝突を繰り返す。聖剣と龍剣が火花を散らし、聖法と魔法乃至龍法が弾ける。空間そのものに損傷を与えているのではないだろうか、と訝しんでしまう様な衝撃が容赦無く発散され、この世ならざる超常の光景がそこには広がっていた。
そんな戦闘を繰り広げる二柱の神の子は、其々《それぞれ》相応の疲労感を顔色に滲ませていた。単独の力で圧倒するバルエルも、シンクレアの力を借りつつ如何にか追い縋るヴェネーノも、何方もその立場や実力に見合った消耗を被っていた。
何方も額からは大粒の玉汗を滝の様に流し、彼方此方から滲出する赤褐色に酸化した血液がそれに混濁して流れ落ちる。呼吸は浅速し、心臓が痛い程に胸を叩く。決して恋心では無いと分かり切っているそれは、忌々しい程に止まる所を知らず、際限無く憎悪していく様だった。
そして、魂もまたそれに相応しい程度には消耗し、残存する聖力乃至龍魔力の量も心許無い量に迄枯渇していた。それこそ、産生量と消費量の関係が逆転し、暫くの平和で満ちていた貯蓄が溶ける様に排泄されてしまっていた。
「はぁ……はぁ……やっぱり智天使級ともなるとしぶといな」
「そっちこそ。たかが伯爵級が龍装を組んだだけなんだからさ、もっと自慢しても良いよ。それこそ、神界に還った後にでもね」
剣と剣を鍔迫り合わせ、額と額が触れ合いそうな程に顔を寄せ合いつつ、両者は其々《それぞれ》の心情をぶつける。何方も共通しているのは戦いを終わらせたいという思い。平行線を辿る戦局に対する飽きの感情で深層心理から表層心理に至る迄の全てが満遍無く染められていた。
それは、彼らが武闘派の気概に染まり切っていない為。指折りの穏健派であるバルエルも、ややそっちよりの傾向があるバルエルも、アルピナやジルニアの様な生粋の戦闘狂には成り切れていなかった。だからこそ、飽きる事無く何時迄も戦闘行為を楽しめる程に単純な性格はしていなかった。
「そっちこそ、神界に帰ってから後悔すれば良いよ。伯爵級如きに負けちゃったってね」
両者一歩も譲らない舌戦を剣戟の最中に奏でつつ、瞳を妖しく輝かせる。残り僅かになった聖力乃至龍魔力を惜しみ無く放出させ、手に握る剣の刃を鋭利に輝かせる。相性上、聖剣は悪魔に対して特効を持ち龍剣は天使に対して特効を持っている。だからこそ、その輝きは二柱にとって其々《それぞれ》近寄り難かった。
現状、勝利の女神は二柱両方に対して其々《それぞれ》下着をチラつかせて誘惑している。また、好機の女神は後ろ髪を持たず前髪しかないとも言われている。尤も、神は複数であり単一でもある性質上、勝利の女神と好機の女神が別々に存在するとは言い切れない筈なのだが。
つまり、両者共に同程度の勝機があり、その勝機を逃せば二度と手繰り寄せる事が出来無いのだ。それが痛い程理解出来るからこそ、二柱は一歩も引かずに攻めの姿勢を崩さない。智天使級天使が伯爵級悪魔に対してそんな態度を取るのは大人げないのではないか、と一部から非難され兼ねないが、しかしバルエルの心には最早そんな事を気にしている余裕は無かった。
それに、これは日常のくだらない競り合いでは無く、文字通り命を掛けた殺し合いなのだ。そんな暢気な事を言っていられる訳が無い事は、神龍大戦当時の殺伐とした空気を知っている者は常識として知っていた。
尚、草創期から旧時代へ移行した直後に生まれたバルエルは当然として、新時代生まれのヴェネーノもまた神龍大戦は経験済み。だからこそ、その常識は両者の魂に深く刻み込まれており、だからこそ共通して暢気な心構えは欠片たりとも抱いていなかった。
青天の霹靂が鳴り響く。内臓から揺さ振られる様な激震が空間を疾走し、超常の雰囲気が辺りを満たす。人間社会の眼鼻の先であり乍らも決して人間社会とは縁の無い死の香りが足音を立てて背後に迫り、鎌の刃先を喉元に突き立てている。
〈聖裂斬〉
〈天龍破斬〉
バルエルとヴェネーノは、限りある聖力と龍魔力を其々が握る聖剣乃至龍剣へと込める。聖剣が秘める暁闇色の輝きも龍剣が秘める黄昏色と琥珀色が綯交された輝きも、其々《それぞれ》これ迄に無い様な激しさを見せる。
そして、二柱の神の子は同時に突撃する。それこそ、この一撃で全てを決する決意を抱き、若しダメなら敗北が確定する不退転の覚悟すら秘めていた。詰まる所、勝ちか負けかでは無く勝ちか死かの二択を迫られていると言うべき覚悟だった。
ほぅ、とアルピナはそれを少しばかり離れた所から観察しつつ興味深そうに目を見張り、スクーデリアもまた同様に見守る。しかしそれは、アルピナやスクーデリアの様な草創期の存在からしてみれば如何しようも無い程に圧倒的な力という訳では無い。それこそ、その程度なら何時でも再現可能ではある。
それに、技自体も特別珍しいものでは無い。〈聖裂斬〉は攻撃的聖法の中では最もメジャーな技の一つだし、〈天龍破斬〉に至ってはカルス・アムラでシャルエルと対峙していた当時のクオンでも使える程度には簡単。
それでも、二柱の残された体力や彼らの技量で繰り出せる技の威力を考えれば勝敗を決する一撃になる事は明白。だからこそ、只単純な一撃だと軽視するのではなく、この戦いで一番の見せ場になると確信して行方を見守るのだった。
また、そんな二柱の傍で同じ様に雑多な天使達と戦っているクオンも、同じようにヴェネーノ達の一撃の行方を見届けようとしていた。憖、同じ龍魔力を使い戦っている者同士である上に同じ技を使う者として、如何しても目が離せなかった。
と言うのも、アルピナやスクーデリアやクィクィだったら抑として使用する力が若干異なる上に同じ技を使い熟せなかったりするせいで、正確な実力差が図れないのだ。しかし、こうして同じ力で同じ技だったら、一体自分がどの程度弱いのかが明確に比較出来るのだ。尤も、単純にレベルが違い過ぎたり本質的な立場が違い過ぎるせいで比較出来無いだけなのかも知れないが。
兎も角つまり、今後戦いが激しくなると聞かされているからこそ、現状の自分の程度が如何しても知っておきたかったのだ。未だ天使長とは直接会った事は無いものの、立場からしてアルピナと同程度かそれ以上の力を持っているであろう事は確実。油断慢心はしていないが、無様に敗北しない為にも目標は明確にしたかった。
次回、第341話は9/3公開予定です。




