第333話:乱入者
軈て、レムリエルの手に握られる凶刃がレイスとナナの首筋に迫る。一振りでその命を亡きものへと変質させる事を確約する絶対的な聖力が滾り、暁闇色の輝きが周囲を取り囲む。そこには最早一切の後悔も迷いも無く、優しさに感けて見逃してくれる余地は残されていなかった。
そして、レムリエルが振り被るその聖剣を中心として、突如として強大な爆発と土煙がその場を取り囲む。一寸先すら真面に把握する事の能わない濃密な土埃は、とても自然派生的な代物とは思えず、まるで意思を持った一つの生命体の様に彼彼女らに纏わり付く。
「な、何ッ!?」
アルテアは咄嗟にその場へ立ち止まって困惑する。土埃及びそれ共に周囲へ散らばる衝撃波から身を護る様に両腕で顔を覆い、困惑の色香をその儘表出するかの様に足を竦ませる。それはまるで恐怖の縫い糸で影を地面に縫い付けられたかの様であり、思考回路もまた歩調を合わせるかの様に鈍麻していた。
また、それはアルテアに限らなかった。セナも、ルルシエも、アルバートも、其々《それぞれ》全く同じ態度振る舞いの儘にその土煙の奥を見据えていた。恐怖というよりは困惑と警戒に由来する様な神妙な顔立ちを浮かべ、金色の魔眼を燦然と輝かせていた。
その後も、土煙は暫くの間その場に固着したかの様に滞留する。体感的にはそれなりの風が吹いている為、直ぐにでも霧散してしまうだろう、と誰もが思っていた。だからこそ余計に、その作為的な自然現象に対して一層の警戒を浮かべてしまう。
しかし、最初こそ困惑と警戒に混濁された思考回路のせいで真面に真相を捉えられていなかったものの、しかし精神的な鎮静と共にその真相及び正体にも自ずと気が付く。それこそ、つい今の今迄浮かべていた困惑と警戒をそっくりその儘逆転させてしまう程には安堵の感情が帰還していた。
「へぇ……まさかあっちの戦いを捨ててこっちの助けに来るなんて。結構大胆な事するんだね、クィクィちゃん?」
レムリエルは土煙の中で静かに語り掛ける。彼女の聖剣はレイスとナナの首筋スレスレで止められ、その剣身は力と力の鬩ぎ合いでカタカタと音を立てて震えていた。その刃先にはそれを力強く掴み止める可愛らしい小さな手が添えられ、その儘土煙の中へと伸びていた。
その正体とは、今正に彼女が口に出したクィクィの手で間違い無かった。レムリエルと同世代であり乍らもアルピナやジルニアに翻弄され続けた結果智天使級天使とも戦える程度の力を持つ彼女は、然も軽やかにレムリエルの攻撃を受け止めていた。
「ボクがいなくても向こうは問題無いけど、こっちはそうも言ってられないみたいだからさ。アルピナお姉ちゃんには心配無用って言われたけど勝手に来ちゃったんだ。それに、丁度一暴れしたい気分なんだ。悪いけど、ボクの我儘に付き合ってもらうよ」
クィクィは魂から魔力を迸らせる。黄昏色の輝きを持つ悪魔を悪魔足らしめる冷酷で残酷な覇気が嵐の様に吹き荒び、周囲一帯を疾走する。そして、それに因って生じる突風が周囲を持たす土埃を吹き飛ばし、それにより忌々しい程の快晴が再度到来する。
陽光に照らされ、クィクィの緋黄色の髪もレムリエルの藤色の髪も可憐且つ美麗に輝く。一方は少年の様にも少女の様にも見える風体を振り撒き、一方は清楚で御淑やかな少女の如き振る舞いを醸し出す。何方もまた人間として見るなら飛び抜けた愛らしさ乃至美しさを宿しており、決して優劣を付けられる様な差は有していなかった。
しかし、そんな可愛らしく平和的な様相に反して、非視覚的な雰囲気はそれとは正しく対極的。同族であるセナ達ですら真面に近付く事は出来ず、火花飛び散る鉄火場の如き苛烈な対立構造が露わにされていた。
取り分け、クィクィからレムリエルに対して向けられる視線がその雰囲気を顕著に抱いていた。と言うのも、只でさえ天使嫌いな悪魔として有名な上に気分的にもちょっとイラついているのだ。感情の儘に生きる彼女らしいといえばその通りだろう。
しかし生憎、その憤懣の矛先は本来レムリエルでは無い。つい先程驪龍の岩窟内部にてシンクレアと龍装を組んだヴェネーノに生き埋めにされた事に起因する苛立ちでしかなった。尤も、決して心身及び魂の何れにも一切の影響は及んでいないし何方かと言えばお遊び的な怒りでしかないのだが。
兎も角、詰まる所、彼女の態度振る舞いは完全な八つ当たりでしかないのだ。本来ヴェネーノに対して向ける筈の罰や自身のフラストレーションを、全てレムリエルに丸投げしようとしているだけでしか無かったのだ。
勿論、クィクィだってその事は当に気付いている。しかし、気付いた上でその事実を無視しているだけに過ぎない。と言うのも、苛立ちこそ単なる余興でしか無いが、天使嫌いは本心なのだ。適当な理由に託けて蹂躙出来るのならそれに勝るものは無かった。
そんなクィクィは、レムリエルの剣から静かに手を放す。別に手を放してもレムリエルの力の掛け具合からして特に問題は無かったし、仮に隙を突いて二人の龍人へ攻撃を仕掛けようとしても大した脅威には成り得なかったのだ。
そしてだからこそ、それを十分周知しているレムリエルもまた、余計なマネはせずに大人しく剣を引く。此処で無理してレイスとナナに攻撃を仕掛けても全てクィクィによって阻止される事は目に見えているし、可能性に賭けて試すにしてはリスクが大き過ぎる上に利点が一つも無かった。
それでも、彼女の聖眼は絶えずクィクィの魔眼を見据えていた。金色の瞳が其々《それぞれ》燦然と輝き、不可視の橋を掛けた様に互いの深奥へと潜り込む。果たして相手が何を考え、何を企み、何を見つめているのかを探る様に、鋭利な眼光が睨みを利かせ合っていた。
「大丈夫?」
そんな中、クィクィは、レムリエルへ向けられていたその視線を足下に倒れるレイスとナナに向ける。その体格雰囲気に見合う可愛らしい声色と口調で掛けられる言葉は非常に優しく、悪魔と言うよりは宛ら天使の様だった。或いは、人間社会で言う所の聖職者の様とでも言うべきだろうか。そんな雰囲気だった。
それこそ、その10代前半から半ばの小柄な少女の様な見た目から放たれる言葉としては、らしいともらしくないとも捉えられるどっち付かずなもの。しかし、ヒトの子好きな彼女の性格を如実に反映したものである事には変わりなかった。
しかし一方で、傍から見ればその態度振る舞いは隙だらけにしか見えない。それこそ、レムリエルの位置からなら何をしても最低一回はバレずに遣り過ごせそうな程にしか見えない。そんな筈が無い、と否定したくなるが、少なくともそう見える事だけは確実だった。
しかし、レムリエルはそんな彼女の態度振る舞いに対して何らかの攻撃を仕掛ける事は無い。敢えて何もせずに静観を決め込み、事の成り行きを見守る。それは、一見して隙だらけにしか見えないクィクィの態度が実際の所は全く以て隙の無い態度だという事を知っている為。将又、穏健派で戦いを余り好まない性格だからこそ、そういう思考回路に思い至らなかっただけかも知れない。
何れにせよ、レムリエルには一切の攻撃意思は無かったし、それを知ってか知らずかクィクィもまたレムリエルには大して警戒心を浮かべていなかった。それこそ、彼女なら何もせず待ってくれるだろう、という敵対者ならではの信頼すらも宿しているかの様だった。
尚、クィクィが発するその言葉に対して、レイスとナナは一切返答の様子を見せない。声を出す事も無ければ身振り手振りで意思表示をする事も無い。只黙然とクィクィの足元に倒れ込むだけでしか無かった。
次回、第334話は8/27公開予定です。




