第330話:潜在化までの猶予時間
だからこそ、茨の様に痛々しく魂へ突き刺さる彼女の聖なる眼光を、二人は成すすべも無く甘んじて受け入れるしか無かった。直接的に魂を弄り回される訳では無いものの、しかし当然とも言うべきか言語化し辛い不快感が滲出される。
若しこれがアルピナやスクーデリアならこうはならなかっただろう。事実、カルス・アムラの森での諍いに際してアルピナの魔眼で魂を詳らかにされた時も、一切の不快感は無かった。それ処か、見られた事すら気付かなかった程だった。
勿論、それには敵対意思の有無が多分に影響している事は理解している。レムリエルは今正に剣を衝突させて対立している敵であり、アルピナは命を助けてもらった恩人である。詰まる所、殺気の有無がその不快感の正体だと言い表せられるのだ。
それ故、レイスとナナも技術的な不可能な事は扨置いてその不快感には一先ず無視を決め込む。如何しようも無い事実を前に徒に注意力を消費する事は決して得策とは言えないし、何より面倒が重なるだけでしかない。
その上、単純にそんな事をしていられる余裕がない。現在の二人が見せている龍の血の覚醒は、潜在的にこそ完璧に完了し制御も出来ているが、しかしそれを顕在化させ続ける事が今尚難しい状態。持って数分が限度であり、それさえも桁外れな集中力が要されるのだ。余計な事に現を抜かしていられる筈が無かった。
そして、そんな時間制限が刻一刻と近付いてきた。時計が手元にある訳では無いし毎回必ず同じ時間だけ覚醒を顕現化させられる訳では無い為に正確なタイミングは不明瞭だが、しかし体内時計とこれ迄の経験とを組み合わせるなら、恐らくそろそろが限界。
しかも、これが徐々に力が弱まってくるのなら未だしも、あるタイミングで一気に覚醒状態が潜在化するのだ。何の予兆も無ければ実行時間も極短時間。それこそ、瞬きの前後で顕在状態と潜在状態が切り替わってしまう程に一瞬なのだ。
その為、状況を見誤ってしまえば非常に悪いタイミングで力を失ってしまい兼ねない。それこそ、攻撃を受ける直前で覚醒が潜在化してしまう様な事態に直面してしまえば、目も当てられない結果を呼び込む事に成るのは必至だった。
だからこそ、レイスもナナも如何にかそのタイミングを見極めようと己が心身及び魂を顧みる。余りレムリエルから意識を逸らしたくは無いのだが、それであっさり殺されてしまえば元も子もないのだ。多少劣勢になってしまう事は承知の上でも、こうするしか無かった。
しかし、幾ら己が心身及び魂とは雖も、だからと言ってその全てを余す事無く把握出来ている訳では無い。寧ろ、只でさえ未だ知らない事の方が多いくらいだし、覚醒やら契約やらで分からない事が増えたばかりだった。
それ故、レイスもナナも徒に劣勢を強めるだけの結果を呼び込んでしまっていた。漠然と認識出来る刻一刻と近付いている時間制限の足音を直ぐ背後に背負い込み、その上で凡ゆる恐怖に揉まれ乍ら可能な事を探り続ける。
「如何したの、攻撃の手が弱まってるよ? ……若しかして、もう限界? やっぱり可笑しいと思ってたんだよねぇ、幾ら龍の血を継承しているとはいえ只のヒトの子がこれだけの力を持ってるなんて。あくまでも単なる予想だけど、その様子だと龍の血に刻まれてた因子が覚醒でもしたのかな? 若しそうだとしたらこれだけ強くなったのも納得だし、でもそんなに長時間維持出来無いでしょ? 幾ら神の子とヒトの子の片身替りだとは言っても、その肉体で皇龍の因子に耐えられる訳無いもんね」
身の動きに合わせて藤色の髪を柔らに靡かせ、甘く儚い香りを辺りに満たしつつ、レムリエルは静かに微笑む。核心を穿つ金色の聖眼は鋭利に輝き、レイスとナナの魂を覆う真実のヴェールを正確に読み取っていた。
また、そうして秘密が秘密として機能しなくなったからこそ、レムリエルの心には反比例的に余裕が増加していた。秘密という不確実性が齎す予測不可能性が生む警戒と恐怖を考慮する必要が無くなった結果、最早彼我の実力差をひっくり返す様なトランプカードは喪失してしまったのだ。
だからこそ、レイスとナナはより一層に追い詰められる事となる。只でさえ明白な実力差を、覚醒の顕現化及びそれを秘匿する事で生まれる不確実性の二つによって誤魔化していたのだ。その内一方が完全に機能を失い、もう一方もまた今直ぐにでも掻き消されそうな風前の灯火と化している。最早、挽回の手立てを考えるには遅過ぎた。
「さぁ、如何でしょうか? ……って言いたいけど、そんな誤魔化ししたって意味無いか。えーっと……レムリエルさん……でしたっけ? やっぱり、座天使級天使の力って凄いですね。これでも私達、頑張って隠した積もりだったんですけどね」
決して嫌味や冷やかしの積もりなど無く、純粋で素直な感情をその儘に、ナナはレムリエルの慧眼を賞賛する。幾ら神の子の血の一端を継承しているとはいえ、今世代を生きる龍人などそんな血は殆ど薄まり、辛うじて特徴が発露している程度の半端者でしか無いのだ。
そんな中途半端に神の子の力の強大さと理不尽さを知っているからこそ、純粋な神の子であるレムリエルの強さには素直に称賛してしまう。これは、神の子の力とは一切の縁も所縁も無い人間では到底出来無い思考回路だった。
また、直前迄龍の血の覚醒の為に悪魔達から手解きを受けていた事も大きいだろう。レインザード攻防戦に参戦していたエルバやアルテアなど復活直後の悪魔達達の実力は、レイスやナナと言った龍人達からしても驚異的なレベルと言っても過言では無いのだ。
しかし、それはあくまでも彼彼女ら龍人の視点で見た時の話でしかない。幾らエルバやアルテアが龍人達とは比較にもならない強大な力を有しているとは雖も、しかし精々が死亡経験がある伯爵級悪魔としての力しか持っていないのだ。
つまり、そんな彼彼女ら悪魔と比べればレムリエルが持つ力はより一層の強大さを実感してしまうのだ。幾ら神の子三竦みの相性に照らし合わせると龍の力の方が天使の力より優位性があるとは言っても、それを堅持出来る程の優位性迄は保てていないのだ。
だからこそ余計に、そのアルテア達との差を目の当たりにしてレムリエルの力に圧倒されてしまうのだ。神の子の強さの基準が基本的にカルス・アムラの内部にしか向いていないからこその結果であり、アルピナやシャルエルの力はほんの一端しか見ていないからこその弊害だった。
「へぇ、それは素直に誉め言葉として受け取れば良いのかな? それは兎も角として、でも只の龍人にしては良く出来てる方だと思うよ。あくまでも神の子とヒトの子を比較するからそう思うだけの話だから。……まぁ、正直な話、私の力なんて神の子全体で見たら大した事無いんだけどね」
レムリエルの階級は座天使級天使。つまり、天使種全体を三つに大別した際の上位階級——詰まる所上位三隊——に属し、尚且つそれを更に三つに細分化した場合に於ける下位階級に区分される。言い換えれば、天使種全体を九つに分類した上から三番目の階級という事になる。
その為、単純な立ち位置では最上位に近く、尚且つ最上位である熾天使級天使が原則的に同時に一柱しか存在しない事を考慮すれば、事実上の第二位階級とも言える。その為、単純に上から数えた方が圧倒的に早い事は確実なのだ。
しかし、彼女は穏健派に属する。つまり、ヒトの子が創造される以前は何も無い当時の蒼穹で他の神の子と活発に遊ぶ事はせず神界でのんびりとしている事を好み、ヒトの子が創造されて以降は彼彼女の魂の管理に生を見出していたタイプなのだ。
次回、第331話は8/24公開予定です。




