第33話:レスティエル
フサキエルに率いられた天使の集団の一柱、レスティエルは颯爽と前に躍り出て彼の遺剣を受ける。ヒトの子が神の子に敵わない、というのは火に水をかければ消えるのと同じく全ての世界に共通する絶対の理である。当然、それは神の子にとって本能レベルにまで刷り込まれており誰もがそれを信じて疑わない。つまり、緊張の糸に綻びが生じる瞬間でもある。
クオンの一撃は、レスティエルの聖剣に正面から鍔競り合う。体格差はほぼ同じ。差を生じる要因となるのは、種族の違いと使用する武器の差。この場にいる、アルピナとクオンを除く誰もがレスティエルの優位を信じて疑わない。唯一懸念材料として挙げられるのは龍の残滓だが、一介のヒトの子に使いこなせるはずがないと早合点がいく。
しかし、結果はそのあやふやな確信を裏切る。クオンはレスティエルに圧し勝つと、その勢いを殺さず果敢に攻めかかる。
流石の成長速度だ、クオン。しかし、その勢いが果たして何時まで続く?
アルピナは、隙をついて攻撃してくる天使達を軽くあしらいつつクオンを注察する。基本的に彼の自由意志と根気に委ねるが、いつでも助けられるように最善の注意を払う。それは、決して彼だけは殺してはならないという彼女の意地と決意と信念によるものだった。
アルピナは、レスティエルと戦うクオンに横やりをいれようと画策するフサキエルの前に立ち塞がる。
「フサキエル、君の相手はワタシがしよう。前回、君を殺した時はまだ君が生まれて間もない時だった。無事に復活を果たした今、君の実力を見せてみろ」
アルピナは右手を彼に向ける。掌に集約された魔力の塊が暴流するエネルギーの波となってフサキエルを襲撃する。彼は、間一髪でそれを避けるとその勢いでアルピナに飛び掛かる。その様子を見て微笑を浮かべる彼女は、彼の聖剣をそのまま片手で受け止める。
「どうした、その程度か?」
嗤笑する彼女に憤りの相好を投げつつ、フサキエルは無数の剣戟を結ぶ。一般人には捉え切れない速度で行われるそれは、彼の神の子としての身体機能を最大限活用したもの。天使の中ではまだ若輩者として扱われる彼も人間を基準にすればかなりの高齢。人類が生涯をかけた努力では決して到達できない場所に彼は至っている。
しかし、それでもアルピナの足元にも及ばないのが現実。適宜クオンの様子を確認する余裕すらある彼女は、まるで遊びの感覚で彼を弄ぶ。そして彼女は、周囲を取り囲んで呆然と佇む天使達を一瞥しつつ挑発する。
「手を貸したいのであればいつでもかかって来い。君達程度なら束になってかかってきてもワタシは一向に構わない」
空いた左手で指招きしつつ見つめる彼女の視線は、愛らしさと冷徹さが両立した不思議なもの。しかし、臆せず見惚れず天使達は果敢に挑みかかる。誰もが聖剣を具現化させ、誰もが身体から聖力を迸らせる。稀代の大悪魔こと悪魔公アルピナに一矢報いようと誰もが藻掻く。
しかし、それでもアルピナから余裕の顔色を奪うことはできない。
……ヴァ―ナードの剣を抜いてもいいが、あれはあの子の唯一残された忘れ形見。龍の都に赴く機会があればその時に帰してやろう。
アルピナは微かに逡巡する。遺剣とは異なり彼の剣は彼の唯一残された忘れ形見。綺麗なまま故郷に戻すことがせめてもの温情だろう。そう結論に至った彼女は、剣を抜くのをやめて改めてフサキエルと相対する。更に魔力を集約させ、黄昏色の禍々しい妖気を具現化させる。それは、右前腕以遠を覆い隠すように纏わりつき彼女に新たな武器を与える。
「龍の……爪……?」
周囲を取り囲む天使の一柱エスキエルが呟く。それに釣られるように残りの天使達も騒然とし、フサキエルは額に冷汗を浮かべて黙然と見据える。
「ん? エスキエルか、久しいな」
「あら、アルピナ公にそう言っていただけるとは光栄です。しかし、私は天使です。悪魔に身の心配をされる筋合いはありませんので」
「つれないな、君は」
やれやれ、とばかりに溜息を零すアルピナの瞳は決して寂しそうではなかった。まるで、毎度恒例のやりとりのように軽く流されるそれは彼女らの長い長い関係が結ぶもの。あまりに長い付き合いは、却って関係が希薄になってしまうのだ。
そして、彼女らは示し合わせたように同時に動き出す。天使の聖剣とアルピナの魔爪。両者が激しく衝突しあい火花と金属音を響かせる。
「随分懐かしい顔ぶれが復活してきたようだな」
「ええ。しかし、悪魔や龍ほどではありませんが私達天使もかなりの魂が霧散してしまいましたので少し寂しいものがありますね」
嫌味を込めて吐き捨てるフサキエルの言動に、アルピナは僅かに柳眉を吊り上げるが、その相好はすぐに普段の状態に戻る。しかし、感情だけは心の内奥で燻り続け込める力が無意識に高まる。
「——グッ‼」
アルピナの暴力は、着実に天使達を追いこむ。外見上は無傷のように見えるが、しかしその内部では彼女から受ける衝撃が着実に蝕んでいた。それに対してアルピナは内外共に平然とし、未だまともに攻撃を受けた様子はない。
さて、と彼女は腰に手を当てる。柔らかな黒髪が戦ぎ、フワリと服が揺れる。濡羽色の少女的なスカートの下から伸びる雪色の大腿が扇情的な光を齎し、同じく、濡羽色の長丈の男性的なコートがそれを隠した。
余裕の顔色を浮かべつつ、アルピナは少し離れた場所で戦うクオンを見る。双眸に宿る金色の魔眼が彼の心身を露わにした。彼の絶対安全を保障する瞳が可憐な彩を戦場に添えていた。
そんな余裕すら見えるアルピナに対して、クオンは苦戦を強いられていた。相手が歴戦の天使ともなればそれで当然なのだが、クオンの相手をしているレスティエルは別の視点で驚愕を隠せずにいた。
何故だッ⁉ ヒトの子が何故これだけの力を持っていやがるッ⁉
荒々しい息を吐き出しつつレスティエルは吠える。神の子としての誇りが音を立てて崩れかねない恐怖が背後より足音を立てて近づいているのが脳裏に映る。眼前に相対するのはただのヒトの子。龍の力が剣に宿っているとはいえ、この状況になるのはあり得ない。正しくは、あり得てはならない事。そう確信している彼は、もはや正常な思考回路を破壊されている。
しかし、純粋な身体機能で依然として優位に立つ彼は僅かな理性と誇りを胸にクオンへ襲い掛かる。対して、クオンは遺剣の力に依拠した綱渡りこそできていたものの自分本来の力は完全に負けてしまっていた。微かな隙を掻い潜ってどうにか生き延びていたが、それもいつまで続くかわからず敗北の二字を背に背負いながらの戦いを強いられていたのだ。
「クソッ……俺はこんなところで……」
大きく吹き飛ばされたクオンは、痛みに疼く腹部を抑えつつ呟く。鉄の味が口腔に広がり、疼痛が全身の能動運動を阻害している。剣を握る手に力がこもり、却って痛みを生み出す。額から滲出する流血を腕で拭いとり、背後の巨木を支持して立ち上がる。
肩を大きく上下させて呼吸するその姿は不撓の精神の発露であり、レスティエルに覇気となって襲撃する。
「ヒトの子でありながら、よくそれだけの力を身に着けた。さては、アルピナ公と契約でも結んだか?」
「何か不都合な事でもあるのか?」
対価、魂の所在。ヒトの子には窺い知れない何かが神の子の間では不変の共通認識として存在している可能性。それを憂慮するクオンは、不安の色をどこかに浮かべながら問いかける。
しかし、そんな不安心とは対照的にレスティエルは笑う。それは、クオンの悩みの種を吹き飛ばす風として十分な働きを齎すものだった。
「まさか。神の子との契約は初めに提示される対価のみで後出しの権利は存在しない。だが、おかげで俺の迷いも晴れた。悪魔、それもアルピナ公と契約を結んだともあればその実力は当然の結果。今後の我等に脅威の嵐となるその芽は早々に摘み取らせてもらおう」
レスティエルが手に持つ聖剣の輝きが増す。そこから放たれる聖力はクオンがこれまで一度も感じたことがない高濃度なもの。しかし、同時にそれが彼に新たな発見を齎す。
あれ……これが……聖力か? 威圧感とは違う……ああ、ようやくわかった。
ならば、とクオンは心中に意識を向ける。己の体内を循環する魔力が鮮明に映り、これまで感覚的に使用していた魔力の真髄を理解した。
「これならいける」
確信と自信が彼の技術と力量をより高次元へと押し上げる。洗礼された魔力が手にした遺剣へと集約され、黄昏色の光を放つ。
それに警戒と危機を確信したレスティエルは視線で他の天使に指示を出す。それを受けた彼らはクオンを取り囲むように展開して聖力を滾らせる。その内の一柱、レスティエルのすぐ脇に立つペリエルは、舌で口唇を舐めつつ狂気の瞳を見開いてクオンを見つめる。
「へへっ、そうこなくっちゃ。レスティ、アタシも参加させてもらうよ」
「ペリエルか。それは構わんが、俺の邪魔だけはするなよ」
「当然さ」
仄かに香る御髪を優艶に靡かせながらペリエルは笑う。そして、多数の天使達が一糸乱れぬ連携でクオンに襲い掛かる。圧倒的な物量で襲い掛かる波はクオンを怯ませる。しかし、クオンは怯むことはあれども決して諦めることなく彼らを迎撃する。
次回、第34話は10/31 21:00公開予定です




