第328話:龍の血の覚醒
そして同時に、セナはナナ達の戦いを見乍ら心中で疑問を抱く。それは、彼彼女龍人の実力やそれと対峙している天使レムリエルの実力を正確に把握出来ているからこそ抱ける疑問。決して表面的な印象に左右される様な代物では無かった。
「……意外だな。あのレムリエルを相手に三人掛かりとはいえ互角に立ち向かえるのか……」
だからこそ、その思いを心中に抑え切れなくなったセナは、誰に尋ねる訳でも無く宛ら独り言の様に呟く。そんな、魔眼越しの風景から得られる単純で素直な感想は、直前迄そのレムリエルと戦っていた事もある彼としても一入の感情だった。
しかし、それは決して彼個人の思考の範疇に収まる様な代物では無い。龍人というどっち付かずな半端さや天使という特異性を知っている者ならばほぼ確実に抱く様な疑問。事実、彼彼女を此処迄連れてきたアルテアはそうでは無いものの、彼と同じく事情を知らないルルシエは彼と同じくらいに驚愕してそれを眺めていた。
と言うのも、龍人とは神の子でも無ければヒトの子でも無い中途半端な存在。つまり、他のヒトの子よりは数段高い実力を秘めているものの、しかし神の子には到底敵わない実力しか持っていない。それこそ、聖獣や魔物にすら及ばない程の低次元に位置している筈なのだ。
その為、本来であれば幾ら複数人で協力しているとはいえ彼彼女らではレムリエルと真面に戦う事なんて出来無い筈なのだ。それは、幾ら契約により魔力を授かった上で英雄の領域に迄到達したアルバートの協力があるとはいえ、変わる事は無い。
それに、彼彼女二人の始祖が全龍の頂点に立つ皇龍ジルニアだとは雖も、言い換えれば血縁的な紐帯しかないのだ。幾ら血に刻まれた力が秘められているとはいえ、これ程迄の劇的な変化がこの短期間で得られるとは思えなかったのだ。
しかし、そんなセナやルルシエの予想に対して、アルテアは静かに微笑む。眼前の光景が到底信じられない、という二人の気持ちを汲み取り、それもまた仕方無い事だと同情する。実際、彼女だってカルス・アムラに行っていなければ信じられなかった自信しか無いのだ。
「あれが、アルピナ達が言っていた血の覚醒ね。信じられないでしょうけど、私だって、あそこ迄劇的に変わるなんて思いもしなかったわ。流石は皇龍の血を継承する若者ね。実際、現時点で血の覚醒が済んでいるのはあの二人だけだもの。あの子達の父親でさえ未だ出来ていないわ。それに、他の血の系譜もよ」
でも、とアルテアは相好を曇らせる。魔眼越しの驚異的な成果に対する喜びや感動も然る事乍ら、しかしその背後には決して隠し切る事の出来無い不安が付き纏っていた。それこそ、こうしてのんびりしていられない様な、そんな警戒心だった。
「でも……何? 何か悪い事でもあるの?」
アルテアの不安げな顔色と瓦礫山の向こうの戦いを交互に見比べる様に視線を動かしつつ、ルルシエは彼女に尋ねる。新生悪魔として知識も経験も無いからこそ、彼女が思い浮かべる常識的な危険性に気付く事が出来無かったのだ。
「えぇ……実はあの二人、血の覚醒が完了してあれだけの力を得られたのは良いのだけれど、あの状態を継続させるのが殆ど不可能なのよ。それこそ、持って数分が良い所ね。短期集中的な爆発力を使い切れば、後は只の龍人でしかないわ。回復もそう直ぐには出来無いから、これは本当に只の時間稼ぎ。如何しても、貴方や私が戦わなければならないのよ」
アルテアは、今尚治療の為に魔力の供給を受けているセナを見下ろしつつ淡々と告げる。その顔色も口調も声色も、何れも楽観性は欠片も感じられない。だからこそ、彼女が嘘偽りを並べ立てて意地悪をしている訳では無い事が如実に現れ出ていた。
故に、それを無言で受け止めていたセナは突発的に上体を起こす。予想以上の危機的状況を前にして、只ジッと待つ事が出来無かった。未だ真面に動けない事や自分程度では如何頑張っても足手纏いにしかならない事は頭では分かっていたが、しかし心がそれを認めなかった。
仮令何も出来無かったとしても何もしない訳にはいかない、という彼らしい生真面目さが彼の背中を押し、震える四肢で必死に踏ん張る事で上体を起こそうとする。ステレオタイプ的な悪魔とは程遠い人間的な英雄としての側面が強く表れている様だった。
しかし、気持ちだけで体を動かす事は出来無い。継続的な治療のお陰で幸いにして身体の至る所へ付けられていた傷は全て塞がり、肌及や衣服に付着していた血液は全て綺麗に洗い落されている。埃汚れに塗れていた藤色の髪も美しく整えられ、建物を幾つも貫通して瓦礫山の中に吹き飛ばされたとは到底思えない程度には成っていた。
だが、表面的な治療こそ済んでいたものの、内部の修復が終わっていなかった。それこそ、骨とか内臓とか神経とか、そういう肉体的な生の維持に必要な基本的機能の修復が未だ完璧とは言えなかった。
と言うのも、たかがヒトの子如きでしかない人間でもあれだけ複雑怪奇であり、今尚医学的に判明していない神秘だって数多く存在するのだ。それのモデルとなった神の子としての肉体なのだから、最低でも同程度には複雑なのは当然。その上で、魔力だとか魔眼だとかその他諸々の超常の技術乃至理を受け入れる為の専用的な構造を有しているのだから、複雑では無い筈が無かった。
何より、幾らルルシエの魔力操作や魔法技術が年齢以上に優れているとは言っても、所詮はたかが知れている。その上でアルテアは並程度の技術しか無いのだ。アルピナの様に力業で解決出来る様な莫大な魔力量がある訳でも無ければスクーデリアの様な繊細且つ複雑な操作技術も無い彼彼女らでは、こうなってしまうのもまた仕方無い現実だった。
それでも、如何にかして動かなければならない。そうでもしなければ、ナナとレイスとアルバートをこの儘見捨てる事になってしまう。仮にそんな事をすれば、果たしてアルピナ達からどんな粛清を受ける事になるだろうか。考えるだけでも恐ろしい。勿論、決して保身に走る意味では無い。だからこそ、尚の事早く動きたかった。
それでも、幸いにしてこの場にクオンがいない事が何よりもの救いだろう。アルピナにとって、彼の存在は全てに於いて優先される。それこそ、スクーデリアやクィクィと同格かそれ以上へと位置付けられており、龍魂の欠片及び遺剣と全くの同格に位置している。
だからこそ、若しクオンがこの場にいればもっと状況は大変な事になっていただろう。いや、確かに彼なら座天使級天使とでも対等に戦えるだろうが、しかしそれでも彼の身がアルピナの手が届かない場所で危険に晒され得る環境にあるという事実は、冷や汗では済まない恐怖を孕んでいる。
それ故、現状と言うのは確かに危うく避けたくもなる状況ではあるものの、それでも未だ最悪レベルで目を覆いたくなる程に避けたい事態に迄は追い詰められていない。それこそ、アルピナが暴れる程の事態など神龍大戦が目の前で勃発するのと大差無いのだ。それに比べたら、未だ落ち着いて呼吸出来る余裕はあるのだ。
それでも、可能な限り早く彼らの許へ駆け付けるべく、アルテアとルルシエはセナの回復を急ぐ。時間稼ぎにもならないかも知れないが、しかし全てをあの龍人達及びアルバートへ丸投げするよりはよっぽどマシなのだ。
黄昏色に輝くアルテアとルルシエの魔力が、セナの胸元に浮かぶ魔法陣を介して彼の魂へ注がれる。瓦礫越しに今尚轟くレムリエル対ナナ達の戦闘余波で彼彼女らを隠す瓦礫山がパラパラと欠片を落とすが、そんな事を気にする素振りも無く意識を集中させる。僅か数分すら持つか如何かすら良く分かっていないレイスとナナの覚醒状態が途切れる前に、少しでも多く肉体を修復させるのだった。
次回、第329話は8/22公開予定です。




