第322話:激戦の裏の現実
同時に、それを合図にするかの様に、バルエルと龍装ヴェネーノもまた激しく衝突する。暁闇色に輝く聖力と、琥珀色と黄昏色が綯交された複合色に輝く龍魔力が、宛ら花火の様に花開く。或いは、落雷の如き衝撃を辺り一面に見境無く散撒いているとでも言った方が良いのかも知れない。それ程の苛烈さだった。
それにより、驪龍の岩窟が存在していた海食崖の上空は、非人間的装いで余す事無く満たされる事となった。無数の天使と四柱の悪魔と一人の人間が入り乱れ、倒錯的な平和を齎す青空が恨めしく天頂を満たしていた。
その後も、間断無く爆発と衝撃が交差する。人間の住む世界であり乍ら人間では到底生み出す事の叶わない超常の力が果てしなく咲き乱れ、灰色の大地に死の香りを吹き込む。それは、只のヒトの子如きが関与する事など到底許されない光景だった。
そんな光景は、当然の事乍ら直ぐ近くに位置する人間の町ベリーズからでも容易に観測される。まるで終末のラッパが奏でられでもしたかの様な絶望の空気が海風と成って通りを吹き抜け、誰も彼もが脳裏に絶望を思い描く。憖、街外れの一角で英雄や四騎士達が突如として現れ出た魔獣を相手に戦っているという事もあり、その思いは一入だった。
だからこそ、その両方に挟まれる形で身動きが取れなくなった彼彼女らは、町としての機能を手放して絶望に打ち拉がれるだけだった。ある者は只只管にその場で蹲りつつ奇跡を希い、ある者は暴徒と化して町の治安を損ね、ある者は一縷の望みを掛けて海原に漕ぎ出す。或いは、全てに絶望して魂を肉体から手放す者だっているかも知れない。
何れにせよ、この状況は人間達にとって現実的思考を確保出来るだけの余地から疾うに逸脱してしまっている状況だという事は確実だった。つまり、中途半端に町としての機能や形状を維持出来ているからこそ、レインザード攻防戦以上に人間達に最悪を齎す事に貢献していたのだ。
そんな彼彼女らの悲痛な叫制を心で強く受け止めている四騎士及びその直属部隊と英雄達は、眼前に今尚無数に存在する魔獣達に果敢に攻め掛かっていた。人間レベルを超越した謎の外敵を相手に、複数人で力を合わせる事で如何にか対等の戦いを演じられていた。
しかしその中でも、英雄と称され持て囃されているアルバートと四騎士として王国最強の座に就いているガリアノットだけは、魔獣を相手にたった一人でも互角以上の戦いを繰り広げていた。取り分けアルバートに至っては、数十を超す魔獣を相手に鬼気迫る迫力で無双していた。
それは偏に、彼の心に宿るスクーデリアとの契約のお陰。ヒトの子を管理する上位種族の中でも最上格に位置する草創の108柱に名を連ねる彼女の力の一端が、彼の魂に宿っているのだ。幾ら彼女が悪魔の中では比較的珍しい穏健派であり、且つ聖なる力を有する聖獣には相性上不利とは雖も、しかしその力は驚異的。仮令それが契約で与えられる残滓程度の力であり、尚且つそれを受ける側が貧弱な人間でしか無かったとしても、聖獣程度を遇うのは訳無い事なのだ。
抑、仮令契約により力を授からなくても、アルバート本人の純粋な技量は人間レベルから足を踏み出し掛けている。神の子の一般知識で逸脱者と称される領域に至った彼の技量は、最低でも聖獣や魔物と同等以上が確保されているのだ。
だが、そんな彼の裏事情を知らない人間の視座からは、それが純粋な彼個人の技量にしか見えない。まさか天使や悪魔などという超常の存在が実在しているとは思いも寄らず、そんな夢物語に信憑性を預けられる様な余裕も無かった。
だからこそ、彼には到底及ばないものの王国最強という名声の下に魔獣達を蹴散らしていくガリアノットは、彼の技量に惚れ惚れとしてしまう。最早嫉妬などという生半可な感情すら想起されず、純粋な尊敬の念でそれを眺めていた。
しかし一応、彼は四騎士である。つまり、区分としては公人になる。対して、アルバートは英雄である。立場としては、今でこそ公に認められた英雄として活動していたものの、少し前迄は一部民草から勝手に持て囃されていただけの非公式な英雄だった。つまり、半公半私である。
その為、本来であれば、公人であるガリアノットが私人であるアルバートの前に立って導かなければならない。実力や思想の云々は扨置き、立場と矜持の兼ね合いからそれが求められるのだ。それにも関わらず、この有り様なのだ。幾らアルバートがそれを良しとしていても、ガリアノットの心がそれを許せなかった。
だからこそガリアノットは、嫉妬こそしないものの彼以上の活躍を熟そうと躍起になる。宛ら強迫行為の様な必死さは、寧ろその視野を狭窄させ呼吸を浅くさせる。そしてそれは更なるパフォーマンスの低下を招き、結果的に彼に後れを取る事になる。
それでも、彼はそこ迄無能では無い。自分もアルバートも出来る事、自分が出来てアルバートに出来無い事、アルバートに出来て自分に出来無い事、自分もアルバートも出来無い事を其々《それぞれ》正確に把握する。そして、その中でも今の自分が出来る範囲の中で最も必要な事を最大限熟そうと意識を切り替えるのだった。
しかし、そんな彼らの生真面目で誠実な戦いに反して、セナとその影に潜むルルシエは、圧倒的な劣勢を強いられていた。と言うのも、アルバートらが聖獣の群れを相手にしているのとは異なり、彼らだけは聖獣では無く天使を相手にしているのだ。無理も無いだろう。
そして、その相手こそ、無翼の天使こと座天使級天使として智天使級天使バルエルの右腕となり活動しているレムリエルだった。その一見して只の人間の様にしか見えない彼女を相手に、しかしセナは防戦一方となり遇われ続けていた。
幾らレムリエルが穏健派でセナが武闘派であり、その上でルルシエがセナに協力しているとは雖も、やはりその力の差は歴然だったのだ。それは勿論、種族に伴う根本的な相性差と言うものが大きいが、それ以上に強い影響を与えたのが年齢と死亡経験だった。
抑、神の子は天使だろうと悪魔だろうと龍だろうと、等しく年齢に伴って力を増す。その中でも、草創の108柱は神に直接創造された事もあり、年齢以上に強い力を持っている上に、他の神の子には無い特異な性能を有している。例を挙げるならスクーデリアの不閉の魔眼がその一つであり、彼女以外に不閉の瞳を持つ者は存在しない。
そんな中、一応、レムリエルもセナもルルシエも揃って草創の108柱では無い。何れも草創期以降の生まれであり、レムリエルとセナは旧世代の神の子として当時神界に存在していた生命の樹で生まれ、ルルシエは新生神の子としてこの世界の魔界に存在する生命の樹で誕生した。
しかし、ルルシエは抑として御話にならない程に明確だとして、レムリエルとセナは同じ旧時代の神の子に区分される。それでも、それを補って余りある程の隔絶された時の流れが両者の中に存在しているのだ。
先ず、レムリエルが生まれたのはこの星の暦を基準にして今から凡そ1,850,000,000年前であり、クィクィより少々古い世代になる。それに対して、セナが生まれたのは今から凡そ70,000,000年前であり、これは第一次神龍大戦から30,000,000年程経過した時。つまり、その差は凡そ1,780,000,000年。これは、セナの生きた時間に対して凡そ25倍。これでは寧ろ、実力に差が付かない方が可笑しいだろう。
その上、セナは一度死亡している。死亡したのは今から凡そ745,000年前で、復活したのは先日だ。死亡すると心身及び魂が明確に弱体化する性質上、只でさえ大き過ぎる実力差がより一層大きくなってしまっているのだ。
次回、第323話は8/16公開予定です。




