表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ALPINA: The Promise of Twilight  作者: 小深田 とわ
第1章:Descendants of The Imperial Dragon
32/511

第32話:フサキエル

【輝皇暦1657年6月10日 プレラハル王国カルス・アムラの森】


 深緑色が一層深みを増し、高濃度の聖力が生み出す瘴気が霧となって息を詰まらせる。見通せない先行きに不安と恐怖を煽らされるカルス・アムラの森は、奥へ進むにつれ不安定な足場が増加する。木々に体重を預け、毒に蝕まれる心身を適宜休めながらクオンは進む。

 それに対してアルピナは、まるで聖堂の中を歩く司教のように悠々と足を動かす。聖力の毒気に当てられることない彼女は、クオンを脇目に木から木へ飛ぶように進んでいた。


「聖力に当てられたか?」


「俺はお前と違って聖力とやらに馴染みがないからな。いくらお前から魔力を与えられているとはいえ、限度があるだろ?」


  二・三度咳き込みながらクオンは反論する。酸素が不足し、視界が僅かに霞むのを認識する。これ以上はマズい、と口元を手で覆いつつ木にもたれ掛かりどうにか平静を保とうと藻掻き続ける。そんな彼をアルピナは見上げつつ小さく息を吐いた。仕方がない、と諦観に似た態度をあからさまに取る様は憎たらしくも彼女らしさに満ちていて却って安心感すら覚える。

 アルピナはパチンッ、と指を鳴らす。音に乗せて運ばれた彼女の魔力がクオンの胸に陣を描く。それを媒介としてクオン自身の体内を循環する魔力が変質し、彼の心身を浄化する。

 瞬く間に普段通りの呼吸を取り戻したクオンは、身体機能が向上したのではと錯覚してしまうほどに身体が軽くなる。それは、無自覚の領域も着実に身体を蝕まれていたことの証左だった。


「すまんな、アルピナ」


「済んだ事だ。しかし、いずれはこれも克服しろ。これが純粋な毒なら兎も角、性質はただの聖力。これから戦うことになるシャルエルの魂の本質から生み出されたもの。この程度に負けている様では、あいつに勝つどころか近づく事すらできないだろう」


 わかってるさ、と呟く彼の口とは対照的に心は余裕を失っていた。半ば強制されたとはいえ、最終的には己の意志で彼女と共に進むことを決めた。その手前、下手に弱音を吐いて逃げるわけにはいかないのだ。しかし、彼の身体はただの人間。この状況に立っている事すら奇蹟と言って過言ではないのだ。

 それでも、とクオンは心を奮い立たせる。復讐と言えば聞こえは悪いが、それでも死別した師匠の仇を討つべく立ち上がらなければならない。悪魔と契約した手前、退路は既に断たれている。クオンに宿る琥珀色の瞳は未来ただ一点のみを見据えて輝いていた。

 再びクオンは己の二本脚で立ち上がる。冷汗は消え、平静を取り戻した心で深い呼吸を連続させる。そして、動かす足取りは重くも着実に前進に貢献する。


「そうでなくてはな」


「半分はお前のせいでもあるがな。こうなったら地獄の果てでも行ってやるさ」


 苦笑は諦観の表出か、或いは覚悟に対する照れ隠しかもしれない。

 クオンとアルピナは無言で視線を交差させた。木漏れ日が二人を包み、聖力の風が間を走る。柔らかな髪が仄かに揺れ、年頃の男女のような甘い一瞬を映す。しかし、だからと言って両者の間に特別な感情がある訳ではない。ただ偶然目が合っただけに過ぎない彼らは微笑を浮かべて前を向き直る。

 森の奥から翼を羽ばたかせる音と聞き取れない声が聞こえた。聖力が次第に濃度を増し、彼らに危険を知らせる警告音が魂の奥底から鳴り響く。


「ここまで森の奥深くに入り込めば、ヒトの子に見つかる可能性は限りなく低い。さて、お待ちかねの天使どもがお出ましだ。クオン、君ならどうする?」


 さりげないウィンクと共に、アルピナはクオンを一瞥する。可憐な青い瞳に見守られながら、クオンは遺剣を抜き放つ。


「聞かなくてもわかるだろ?」


「当然だ」


 木々の合間から無数の人影が姿を現す。誰もが、背中に一対二枚の翼を背負い聖力を溢出させている。燦然と色彩豊かに輝く無数の瞳たちが得物を品定めするように見据え、同時にアルピナの存在に恐怖する。


「龍人かと思えば、違ったか。これではリリーに先を越されるな。それにしても、まさか悪魔公アルピナとは。……それと、誰だ?」


 先陣を切ってアルピナの前に躍り出た天使フサキエルは風に掻き消されそうな弱々しい声で途切れ途切れに呟く。


 悪魔公……?


 心中で疑問符を浮かべるクオンはアルピナを一瞥する。その視線に促される様にアルピナは懐古の声を上げて眼前の天使に語り掛ける。


「ほう、誰かと思えばフサキエルか。また随分と懐かしい奴が来たものだ。しかし、君も平和に凋落させられたか? 聖眼の精度が落ちてしまったようだ」


「何⁉」


 憤慨するフサキエルは瞠目した瞳でアルピナを見据える。しかし、格の違いと純粋な実力差が生む立場が反駁の言葉を奪う。


「君は以前からそうだ。己の力を過信して見るべきものを見過ごす。ワタシが10,000年も姿を晦ませた理由も、帰還して何故ヒトの子と行動を共にしているのかも。その陳腐な双眸で見通してみろ」


「……そう言うアルピナ公も、守るべきものを失い見るべきものを見過ごした結果が現在置かれている状況ではないのでしょうか?」


 核心を穿つ返答。彼女の心底に燻る蟠りを抉出するそれは、彼女の蒼眼に焔を灯す。引きつりあがる口唇の間隙から純白の犬歯が光り、彼女の逆撫でられた逆鱗が震える。しかし、舌打ちと共に怒りの感情を吐き出した彼女は暫くの無言を挟んで言葉を発す。


「……君如きに言われるのは非常に不服だ。しかし、それもまた事実である以上否定は出来そうにない。確かに、ワタシは大切な者を失った。それでも、新たに得るものはあった。結果としての今があるのなら、過去を水に流すだけの心を持ち合わせているつもりだ」


 尤も、とアルピナは自身を嘲笑する。態度や言動に隠された己の愚昧な本質を唾棄するような瞳で物寂し気に虚空を見る。


「どれだけ取り繕ったところで、それがワタシの首を柵となって絞めるつけていることに相違ないがな。あれは、ワタシが原因でもあるのだから」


 しかし、と彼女は蒼眼を金色の魔眼に染め換える。心身から魔力が滲出し、不可視の重圧がその場にいる者を拘束する。押すことも退くこともできない。ただ無防備に立ち尽くして彼女の自由意志に嬲られることしか許されなかった。

 アルピナは、徐にフサキエルの背後に歩み寄り彼の肩に手を添える。耳元に顔を近づけて、誘惑の囁きのようなか細い声で纏わりつく。肩に置いた指に力が入り、彼の服の上からめり込む。


「何故、君はその話を知っている? それを知るのはワタシを含め三柱のみ。一体、誰からそれを教えられた?」


「既に検討はついているのではないでしょうか?」


「フッ、こんな事態を引き起こすのは過去の事例を考えて一柱しかいないからな」


 では、とフサキエルは聖力を開放する。手には実体を持たない光の聖剣が握られ、燦然とした殺気を迸らせる。おっと、とアルピナは微笑みつつクオンの隣まで飛び戻ると彼を見据える。右手掌に魔力を集約しつつ猫のような瞳を蛇のように鋭利にして彼を睥睨する。


「現状の君の能力では、これだけの数の天使を相手にするのは不可能だろう。加えて、一柱一柱が昨日の名前も知らない天使とは比較にならない実力者。今回は手を貸してやろう」


「ああ。アイツ等の殺気が嫌でも伝わってくるさ。実際、今の俺の実力だとどう足搔いたところで聖獣を相手取るのが限度だからな」


 だが、とクオンは遺剣を抜き放って魔力を流し込む。剣に宿る龍の残滓が彼の魔力に感応して咆哮を上げる。嘗て神龍大戦で嫌というほど聞き続けてきた天敵の唸声は、天使の魂に不忘の恐怖として焼き付いていた。


「やれるだけのことはやってやるさ。目的のためにはいずれ斃す必要がある相手だからな。それに、何かあったらお前が守ってくれるんだろ?」


 アルピナは何も返答しない。しかし、自然体の挺舌とともに一瞥する瞳は絶対的な安堵を確約する懇篤の眼差しだった。それでクオンには十分だった。出会って僅か数日しか経っていないにも関わらず、彼女なら大丈夫だと心の何処かで確信している自分がいた。

 だからこそクオンは悠々と、しかし最大限の警戒と注意力を確保しつつ攻めかかる。それを迎撃する天使達は毅然とした態度で彼を迎え入れる。


「たとえ龍の力を授かろうとも、ヒトの子で我々に敵うと思うなッ‼」

次回、第33話は10/30 21:00公開です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ