第317話:ヴェネーノ
それに、分割した魂だけで存在できる龍魂の欠片と異なり、今回は他の魂と結合させる事で存在を確定させているのだ。こんな劣化コピー如きに苦戦している様では、アルピナの友人として傍に立つのも憚られるだろう。
軈て、シンクレアの魂からヴェネーノの魂の欠片が分離する。非常に長い期間結合していたのだろうかかなり複雑に根が張り絡み合っていた事もあり、それ相応に苦労させられた。それこそ、もう二度とやりたくない程だ。
そして、その分離した魂を、その形が崩れてしまったり霧散してしまったりしない様に魔力のヴェールで保護する。もっと手っ取り早く出来たら良いのだが、急ぐが余り下らないミスを犯してしまうくらいなら、ちょっと遅くなってでも確実な手法を取るべきだろう。だからこそ、クィクィは確実性を重視する様に慎重に作業を進めていく。
軈て、分離した魂が手掌を介して少年の体内へと帰還する。此処迄運べば、もう失敗するリスクは無い。ヴェールを除去しても霧散する事は無いし、放置しても自浄作用で勝手に元の魂へと修復される。それこそ、磁石同士が引き寄せ合う様なイメージだと思えば分かり易い。
そんな光景を魔眼を介して眺めつつ、クィクィは心中で思考を深める。それは、この少年基ヴェネーノがこうなってしまった時期に関する考察。彼女自身、彼が果たして何時からこうなってしまったのかは認識していない。と言う事は、彼女がルシエルに囚われるよりも時期的には後と言う事になるだろう。
加えて、スクーデリアもまた同様だった。その為、彼女よりも後だという事は分かる。しかし、クィクィの魂に刻まれている記憶を思い出す限りでは、カーネリアとして幾千年も孤独に生きていた時期にスクーデリアともヴェネーノともワインボルトとも会った覚えは無い。その上、助けようとした形跡も感じた事は無い。その為、大体同じ様な時期に天使の手に囚われたのだろうという事は朧気乍らに理解出来た。
それでも、具体的な時期迄は如何しても分からなかった。尤も、知った所で何かが変わる訳でも無い。それは、スクーデリアにしろクィクィにしろヴェネーノにしろ同様。勿論、この先救出する予定のワインボルトだって同様。その為、適当な所でその思考は虚空へと放棄されるのだった。
さて、とクィクィは放棄された思考から眼前の光景へと意識を動かす。右手をシンクレアの胴体から抜き、漆黒色のフードパーカーやショートパンツだったり緋黄色の髪や雪色の肌に付着した彼の血液を魔力で洗浄する。そして、痛々しく抉れたシンクレア胸に対してもまた同様に魔力を注ぎ込む事で修復していくのだった。
「調子は如何、ヴェネーノ? 無事に取り戻せてるかな?」
一方、シンクレアと結合していた右手を彼の胴体から抜いた少年は、周囲をキョロキョロと見渡したり、或いは自分の心身状況を確認するかの様に身体を動かしつつそれを見つめる。手を握ったり離したり、或いは金色の瞳で身体をジッと見つめる事でその内奥を見透かすのだった。
いや、最早少年と呼ぶべきでは無いだろう。魂を全て取り戻した影響か、或いは他の作用が働いているのかも知れないが、兎も角その少年は一柱の青年へと変貌していた。それも、人間基準でもそれなりに長身な部類に含まれるアルバートやセナよりも更に高身長。恐らく190cm程はあるだろうか。それくらいの高さだった。
栗色の髪は短く整えられ、身長に比してやや細身な体格は傍から見て不安にさせられる程。思いっきり殴れば簡単に折れてしまいそうな程に細い樹木を彷彿とさせる。それでも、その雪色の肌や髪と同色の瞳は正しく彼がヒトの子では無く神の子である事の証拠であり、決してその外見通りの弱々しさを有していない事を教えてくれる。
そんな彼の態度振る舞いを前にして、クィクィは返答を急かす事無く静かに待つ。或いは、魔眼でシンクレアの様態を確認しつつ彼の頬を優しく撫でてあげる。まるで愛玩動物を愛でる人間の様な態度振る舞いであり、ちょっとしたセラピストの様な温かさも垣間見える。
「……あぁ。全部思い出せたよ、お陰様で。色々迷惑掛けたみたいだね」
申し訳無いね、と大きく息を吐き零しつつ感慨深げな笑みを零すヴェネーノは、クィクィの方を向いて優しく言葉を発す。或いは、魂に刻まれた記憶が奏でる凡ゆる迷惑行為や態度に対する申し訳なさから来る萎縮かも知れない。正誤は兎も角、その優しさの背後にはちょっとした居心地悪さが存在しているのは確かだった。上下関係も然る事乍ら、それ以上の何かが二柱の間に存在している様だった。
しかし、そんなヴェネーノの態度に反して、クィクィは全く以て気にしている様子では無かった。彼女は、何時の間にか目を覚まして犬の様に伏せの体勢を取っているシンクレアの頭に足を組んで腰掛けていた。チラリと除く大腿からは少女的な稚さと可愛らしさの中に女性的な艶やかしさを微かに香らせ、しかしその頭上から見下す姿勢が悪魔的冷徹さも同様に放出させていた。
そんな彼女は、自分が腰掛けているシンクレアの頭をペチペチと軽く叩きつつ見下ろす。えへへっ、と照れ隠しの様にも見える全体的印象は、しかしシンクレアを見据える瞳だけが一切笑う事無く冷酷に睥睨していた。
「ううん、全然気にしてないから大丈夫だよ。……でもさ、シンクレア? このボクに対して随分と反抗的だったよね。先ずは何か言う事があるんじゃないかなぁ?」
バランスを崩さない様にと角を掴んでいるその手に力が籠もる。ミシミシと音を立てる角に痛覚は存在しないが、しかし今にも砕けてしまいそうな感覚だけは嫌と言う程実感できる。別に砕けた所で力が失われる訳では無いが、しかし気分的に嫌だ。その為、やや慌てた様にシンクレアは視線だけを自分の頭に腰掛けるクィクィに向けつつ、彼女に対して言葉を発する。
「あぁ、その件は申し訳なかった。天羽の楔の支配下にあったとはいえ、こればかりは言い訳のしようが無い」
尚、クィクィだって、ルシエルの天羽の楔による支配の影響下でアルピナやスクーデリアやクオンに攻撃を掛けている。その為、本来ならこんな事を言う資格など存在しない。しかし、ヴェネーノもシンクレアもその事は知らないのだ。その為、これはちょっとした言葉遊びでしかない。決して本気では無い、彼女なりの悪戯だった。
「別に構わないよ。無事にヴェネーノもキミも助かったみたいだからね。それに、久し振りに龍と戦えてちょっと楽しかったから」
だからこそ、クィクィは適当な言い訳がましい理由を並び立てて彼の謝罪を受け入れる。初めから許す積もりだったし、何よりこの適当な理由も案外的を得ているのだ。あくまでも嘘っぽく聞こえるだけで実際の所は本心でしか無かった。
さて、とクィクィはシンクレアから飛び降りるとヴェネーノの前へと歩み寄る。神の子全体でみても比較的小柄なアルピナやセツナエルよりも更に小柄で150cmも無い子供の様にしか見えないクィクィと、天使及び悪魔の中ではかなりの長身にとして数えられるヴェネーノとでは、まるで親子の様な光景だった。
しかし、そんな印象に反してクィクィとヴェネーノとではクィクィの方がかなり年上。というか、ヴェネーノがかなり若い。それこそ、死亡経験の有無から実力が逆転しているだけで、実際の所セナやエルバ及びアルテアの方が年上なのだ。一応階級こそ同じ伯爵級だが、しかし死亡前は彼らの方が格上として扱われていた。
次回、第318話は8/11公開予定です。




