第313話:殺意の矛先
〈魔不引害〉
だからこそ、クィクィは咄嗟に少年の身体に保護魔法を掛ける。と言っても、この魔法は被保護者に害を為す邪な感情に起因して防衛力が働く為に、天井から降ってくる岩壁の欠片には効力を及ぼさない。その為、無いよりはマシだろう、という申し訳程度の処置だった。
『死にたくなかったらボクが指示を出す迄そこでジッとしててね。キミの出番はその後だから』
『はい、分かりました!』
脳内で必死に叫び返す事で如何にか意思表示をする少年。眼前で繰り広げられる悪魔と龍の超常の戦闘と天井から雨の様に降り注ぐ岩欠片から身を護る為に、岩陰に隠れつつ如何にか背を曲げる。とてもこの場に居合わせるべきではない状況であり、何かの間違いではないのか、と自分の選択を疑いたくなった。
しかし、此処に来なければならないと本能が叫んでいるのは事実であり、今も尚此処から離れてはならないと声高らかに叫び続けている。更に言えば、この戦いを最後迄見届けなければならない、ともまた同様に訴えており、それに対して無条件に従うかの様に足は動かなかった。
だが、そんな彼の覚悟や意思など御構い無しにクィクィとシンクレアの戦いはより一層の激化を辿る。両者の魂から放出される魔力と龍脈が衝撃波となって辺りを破壊し、魔法と龍法が鬩ぎ合う間隙を縫う様に黄昏色の魔力で覆った雪色の拳と琥珀色の龍脈で覆った雪色の爪や牙が交差する。
「クッ……」
シンクレアが出鱈目に放つ龍法と鋭利に輝く牙や爪を遇いつつ、クィクィは隠し切れない苛立ちを表出するかの様に歯を噛み締める。同時に、その苛立ちを力に変換するかの様に魔法の出力と拳に込めた魔力の濃度を上昇させる。
それは、相性上優位であり年齢的にも相当の実力差がある筈の若輩龍如きに苦戦している自分に対する苛立ちであり、或いは同じ様に天羽の楔に囚われていた自分に対する不甲斐無さから齎される怒りかも知れない。
何れにせよ、クィクィの態度振る舞いは普段人間達の前で見せている様な外見年齢相応の明朗快活で純粋無垢なものではなかった。何方かと言えば、彼女の本質である悪魔としての本性に由来する暴虐性と残虐性が包み隠される事無く零出されてしまっている様だった。
しかし、今の彼女にそんな事を気にしている余裕は無い。幾ら眼前で牙を剥いている敵が理性の欠片も無い相性上有利に立てる若輩者だとは雖も、如何しようも無い局面だって少なからず存在するのだ。それは戦場の狭さだったり、或いは殺してはならないという制約だったり、将又少年の身を案じなければならない状況だったりなど、原因は多岐に渡る。
それでも、如何にかクィクィは立場の違いから必然的に与えられる優位性を活かす様に立ち回る。龍という種族上の理由から必然的に恵まれている高水準な体格や体力を逆に利用する様に翻弄し、狭い空間を最大限活用する様に縦横無尽に飛び回る。
「GRAAAAAAAAAAR!!」
しかし、何時迄経ってもシンクレアの心身及び魂から疲労の色を窺う事は出来無い。これだけ遠慮も加減も無く暴れ続けているのだからそろそろ疲労感の予兆くらいは見えていても可笑しく無い筈。幾ら体格上体力や龍脈量が同格の天使や悪魔と比較して優れているとはいえ限度がある筈なのだ。
だからこそ、クィクィはシンクレアの攻撃を往なしつつムッと頬を膨らませる。攻撃自体は理性が無いお陰で非常に単調だし相性のお陰で簡単に打ち消せるし単純に慣れてきた事もあって大した事無いのだが、如何してもこのしつこさだけは面倒な事この上無かった。
面倒な男は嫌われる、という言葉が此処では無い別の世界に生息している人間の社会にあった様な気がするが、強ち間違いでは無い様だ。その世界には偶にしか行かないが、しかしクィクィとしてはそれなりにお気に入りの世界なだけあって、比較的鮮明に覚えていた。
と言っても、この状況でそんな事を思い出した所で何かが変わる訳でも無い。好かれようが嫌おうが悪魔と龍の間に恋愛感情に基づく紐帯が形成される事は基本的に有り得ない。それこそ、アルピナとジルニアの間にある信頼をそうやって茶化した事は何度もあるが、言ってしまえばその程度でしかないのだ。
尤も、だからこそ今こうして彼女がは龍魂の欠片を巡りに必死になっているしクオンを大切に扱っているのだから、その茶化しは強ち間違いでは無かったのかも知れない。本人に直接言ったらまた照れ隠しで暴れそうだから言わないが、しかし彼女達の関係を知る全神の子は共通して抱いていても可笑しくは無いだろう。
兎も角、そんな事を思い出しつつも、しかしクィクィはシンクレアの暴走に対して真摯に向き合う。これが人間相手なら適当に殺して魂を回収するだけで万事解決なのだが、それでもシンクレア相手にそんな事をする訳にはいかなかった。それは昔からの顔馴染みだからというのも大きいが、何よりこの少年の為でもあった。彼の為にも、シンクレアを殺す事だけは何が何でも避けなければならなかった。
「あッ‼」
そんな時だった。不意にシンクレアの攻撃の矛先がクィクィから少年へと移り変わる。理性も無く只管に暴れるだけとなった暴龍なのだから、攻撃の方向性に一貫性が無いのは当然だろう。寧ろ、これ迄一度も絶やす事無くクィクィに対して意識が向けられていた事の方が奇跡的だった。
そしてその儘、シンクレアは少年に対して一気に距離を詰める。龍脈を全身から迸出させ、口腔内で龍法を練り上げて何時でも放てる様に輝きを走らせる。そこには一切の迷いも躊躇も無い完璧な殺意のみだけが存在していた。
だからこそ、クィクィは咄嗟に声を荒げて驚愕と共に彼を追い掛ける。一応少年には魔法の障壁を纏わせている為に大事には至らないだろうが、しかしだからと言って安心は出来無かった。或いは、だからこそ咄嗟の反応が遅れてしまったのかも知れない。
一方で、少年もまたそんなシンクレアの突飛な行動を前にして身を固める事しか出来無かった。人間だからこそ如何足掻いても結果は変わらないというのもあるだろうが、何より単純に何をすべきか分からなかった。身を護るにしろ逃げるにしろ諦めるにしろ、この状況下に於いてどれを選んでも変わらないという事実が行動の選択に有意差を付けさせてくれなかったのだ。
間に合わないッ!
クィクィは心中で吐き零す。決して広い空間では無かったが、しかし体格差もあってその一瞬の差がそれだけ大きな差を生んでしまっていた。必死にシンクレアの背中を滑る様に飛翔し、如何にか彼が放とうとしている龍法と少年の間に立とうとする。
しかし、それは不可能だった。もう一瞬だけ動くタイミングが早かったらこの儘でも余裕を以て間に合っていただろう。或いは、こうなる事すら無く事前に食い止める事だって出来たかも知れない。何方にせよ、決して焦る様な事態にはならなかった。
こうなったら……。
クィクィは覚悟を決める。魂の内奥に存在する魔力生成機関の活動量を高める。それこそ、天魔の理で定められた魔力の放出上限を優に超える量で魔力を練り上げる。黄昏色の魔力を魂の外に迸らせ、血液に乗せて全身の細胞へと満たす。
それは、本当ならやってはダメな事。理は絶対であり、魂に刻まれた神からの啓示。抑この理は、地界のみならず各世界やそこに住まうヒトの子を護る為に定められたもの。決して、彼彼女ら神の子の為に作られたものでは無いのだ。
その直後、クィクィの背中から二対四枚の漆黒色の翼が伸びる。それは悪魔らしさをこれ見よがしに曝け出したものであり、普段は余程の事態に追い込まれない限り隠しているもの。というのも、悪魔の翼は悪魔の力の象徴であり、天魔の理によって力を制限されている地界で晒すのは好ましいとは言えないのだ。それこそ、人間が宗教的観点から肌を隠したり食べるものを制限したりするそれと同じ様なものだ。
次回、第314話は8/7公開予定です。




