第31話:シャルエルの思惑
【輝皇暦1657年6月9日 プレラハル王国カルス・アムラの森某所】
薄暗く湿気を多く含む古く汚れた建築物が森の直中に佇む。深緑色の蔦が生い茂って景観を自然と溶け込ませ、苔と黴が居心地悪さを演出する。
遺跡とも屋敷とも形容できそうなそれは、未だ世間一般には周知されていない秘境の歴史的遺物。何時、誰が、何故それを建築したのか? そもそも、何の材質で造られているのかすら一切不明なそれは、誰一人として近づきたがらない曰く付きとして存在する。一部の歴史家や探検家が龍人の協力の元調査した事もあるが、誰一人として無事に帰還したことがなく、不可侵の暗所として放置されて久しい。
その遺跡の前に男は降り立つ。筋骨隆々な体躯に二対四枚の翼を背負い、小脇に一人の少年を抱えたシャルエルは眼前の遺跡を仰ぎ見る。身体からは高濃度の聖力が滲出し、抱えられた少年は恐怖に震える。
「相変わらず、酷い場所だな。いや、昔は多少マシだったか? ……それにしても、レイス……とかいう名前だったか? 随分大人しいな。もっと抵抗するもんだと思ったが?」
抱える少年の顔を覗き込み、彼は小首を傾げつつ問いかける。そんなシャルエルの顔に一瞬怯みつつもあくまで平静を保ったままレイスは尋ねる。
「俺をどうするつもりですか?」
「さて、どうしたものか。ジルニアの魂を感じて取り敢えず連れ去ったのはいいが、そこから先は何も考えてねぇな。失敗の裏の成功は俺でも探りようがねぇ。我が君にでも差し出すか」
頭を掻きつつ呟く彼は溜息を零す。己の計画性の無さに嘆きつつ、しかしどうしようもないことを知る彼は挽回する術を画策する。そして、凡その計画を脳裏に描きつつ喫緊の予定に目を向ける。
そう思った彼だったが、レイスの問いかけに意識を奪われる。
「ジルニアの魂……? 何故、皇龍様のことを⁉」
「なんだ、自覚はあったのか。それとも、代々語り継がれてきたか? まぁ、どっちでもいいか。兎に角、お前はジルニアの血を引いてるのは間違いねぇ。それだけは俺が保障してやる」
そんなことより、とシャルエルは遺跡へ向かって足を進める。石造りの重厚な扉を力づくで押し開けると、吹き込む風が誇りを舞い上げる。
チッ、と舌打ちを吐いて彼は遺跡の中を奥へと進む。道中に屯する種々の障壁は、無数の天使や聖獣によって排除される。元来の使用用途を思えば相応の警備体制だが、出入りの度にこれだけの苦労を強いられるのは気が滅入る。
或いは、これを含めての罠だったってことか? だとしたらよく考えてやがるな。
過去にこれを建てた際の真意まで覚えている者はいない。故に、妄想と都合がいい解釈だけが意図を汲み取る頼りとなる。そんなくだらないことに思考のリソースを割くほどに暇な道中を彼らは数時間かけて進む。
外観からは想像できないほどに複雑かつ広大な道を進み、漸く目的地にたどり着いたシャルエルは大きく息を吐く。彼の目線の先には巨大な扉が鎮座し、複雑な紋様が不気味な光を放ち続けていた。
それから視線を外した彼は、小脇に抱えたレイスを地面に降ろしつつ呟く。
「さて、お前さんを連れてきたはいいがやる事もない。かといって自由を与えて逃げられても困る」
仕方ないが、と呟いたシャルエルは徐に膝を屈める。そして、彼と目線を合わせたかと同時に彼の鳩尾に強烈な一撃を加える。決して殺さぬよう、しかし意識を保たない絶妙な力加減を保ちつつ放った拳は、警戒心を隠していないレイスから意識を奪う。聖力が込められていない純粋な腕力のみだったが、それでも大人と子供では体格差が生む力は歴然だった。
目を見開いた彼は、呼吸が停止する。取り込めない酸素を求めて、打ち上げられた魚のように口を動かす。そして、ブラックアウトした意識に促されるまま地面に倒れ込むのだった。
「龍の血といえども、これだけ経てば希薄してしまったか? だが、いつ先祖返りするかわからねぇ以上、野放しにするわけにもいかねぇからな」
気を失ったレイスを再び抱え上げたシャルエルは、淡く光る扉と相対する。
相変わらず、とんでもない魔力だ。主を失って尚輝くとは……。
シャルエルは徐に扉に手を触れる。灼熱痛が手掌全体を襲い、苦悶の相好を浮かべながら力を籠める。
いい加減、書き換えられたらいいんだがな。
体内を循環する高濃度の聖力が彼の上肢を伝って扉へ注がれる。聖力と魔力が互いを認識し、人体の免疫機構のように激しい衝突を繰り返す。
クッ……。
シャルエルは言語化できない声を漏らす。しかし、それでも絶えず聖力を流し続け扉の権能を徐々に書き換える。開けようと思えば力づくで開けられない訳ではない。しかし、毎度心身を消耗しながら開けるのは効率が悪すぎるのだ。その為、どうにか権限を強奪しようと継続的に挑戦し続けている。
そして、ついにその時が来た。扉に宿る魔力が彼の膨大な聖力に駆逐され、その扉は完全に天使の権能へと置き換わった。
「ハァ……ハァ……漸くできたか。まったく、俺はこういうの苦手なんだからアイツ等も多少は手を貸してほしいんだがな」
肩で息をしつつ、彼は扉を押し開ける。これまでと異なり、苦痛も苦労も一切なく開くそれは感動すら覚える。そして、光が一切届かない扉の奥へ、彼は足を進める。
暗闇の中、彼は指を鳴らす。その音に乗せられた聖力が壁面の燭台に到達すると、蝋燭に火をともす。
そこは、円形の大広間だった。豪華絢爛な装飾が施されたそこは、歴史的価値を無視しても一国の総資産に匹敵するほどの宝物が用いられていた。しかし、それでも下品で低俗な雰囲気はない。寧ろ、気品が感じられるほどでありこれを設計した者の性格が窺える。
その中央には巨大な結晶が鎮座し、鈍色の光を放ちつつ膨大な魔力を漏らしている。それに徐に近づきつつ、シャルエルは冷汗を流す。
「……封印されて尚これだけの魔力を零すか、スクーデリア。まったく、敵だった頃を思い出すと今でも逃げ出したくなるな」
結晶石の中には一人の女性が浮かぶ。鈍色の光を腰まで伸ばし、簡素ながらも上品なドレスワンピースを纏った彼女は眠ったように瞳を閉じる。スクーデリアと呼ばれた彼女は、一切反応することなく魔力だけを零していた。
「しかし、我ながらよく封印できたものだ。もう一度やれと言われても恐らく無理だな」
レイスをスクーデリアのすぐ脇に横たわらせたシャルエルは、改めてスクーデリアの眼鼻の先に立つ。滲出する魔力が肌を焼くように刺さり、魂が危険信号を放ち続ける。しかし、それすらも厭わず彼はスクーデリアの目を見据えつつ徐に呟く。
「アルピナが帰還したが、お前はどうなる? アイツの性格を考えたら間違いなく助けに来るだろうが、果たしてそれまで無事でいられるか?」
さて、とシャルエルはスクーデリアから離れる。魔力の影響が及ばない場所まで行くと、不敵な笑みを浮かべる。
「アルピナが来るまで、龍人共と遊んでやるとするか」
シャルエルは大広間を後にする。そして、すぐ隣の部屋に移動するとそこには無数の天使と聖獣が鎮座していた。
彼らは皆、直近10,000年以内に生まれた新生児であり、平和が祟ったのかシャルエル自身がそうであった時と比較して随分聖力が弱々しかった。
……過去の栄華は過去のもの。やはり、早急な戦力増強が必要だな。いや、その為のこれか。だとしたら、我が君は戦争が目的ということか?
まあいい、とシャルエルは彼らに相対する。聖獣が首を垂れて跪き、天使もまた同様に跪く。彼の指示を受けるべく静謐な空間を生み出す。
「さて、暫くしたらアルピナが来るだろうが、それまで何もしないってのも面白くねぇ。恐らく、龍人共がジルニアの子を連れ戻そうと出てくるだろう。お前ら、適当に遊んでやれ」
静謐な空気を割る様な雄叫びと咆哮が木霊する。誰もが一目散に遺跡の外へと飛び出し、龍人を探して駆け回る。
その様子を見送ったシャルエルは、遺跡に残る天使へ指示を出す。
「お前らはあまり外に出るな。神の子の存在が伝説化した今、存在が公になるのは面倒が増えるだけだからな。必要最低限以外は、遺跡の中でアルピナの防衛に徹しろ」
尤も、こいつらじゃあ暇つぶしにもならんだろうがな。
現実を心中で吐露しつつシャルエルは笑う。直截話して士気を下げる訳にもいかない彼はそっと胸の内に秘める。それは、話してはならない秘密と共に幾重にも鍵がかけられて胸の最奥へ沈み込むのだった。
さあ、10,000年ぶりか。この場合は神龍大戦ではなく天魔大戦とでも言うべきか? まあ、どっちでもいいか。アルピナ、お前の旅の成果を見せてもらうぞ。
次回、第32話は10/29 21:00公開です




