第307話:ルルシエの実力と座天使からの評価
だからこそ、どれだけセナが果敢にレムリエルに対して攻め掛かろうとも、その全ては彼女の手によって児戯の如く遇われてしまう。屈辱的という言葉すら生温い程のその光景は、圧倒的な実力の開きを如実に表しているものだろう。憖それが否定出来無い事実であるからこそ、それはセナの心を深く抉るのだった。
「ほら、如何したのセナ君? 神龍大戦の時より弱くなってるんじゃない?」
「フッ。俺はお前と違って一度死んでる身だからな。おまけに、復活したのはついこの間の事だ。弱くなってて当然だろ。寧ろ、未だ100,000,000年も生きてないクソガキがこれだけ戦てるんだ。十分だろ?」
「まぁね」
レムリエルに翻弄されつつも、セナは彼女の言葉を自虐的に嗤って受け流す。本当はこんな事をしている余裕なんてこれっぽっちも存在していないのだが、自分を騙してでもこういう事をしていないと寧ろ精神的に参ってしまいそうだったのだ。
しかし、何だかんだ言いつつもこの自虐的な言葉は案外的を得た言葉でもあった。抑、セナが生まれたのはこの星の暦で数えると今から凡そ70,000,000年前。これは、神の子全体の歴史から考えれば1%にも満たない刹那的な時間。その上、基準をレムリエルが今迄歩んできた時間にしたとしても5%にすら届かないのだ。その上で、弄ばれているとは雖も立ち向かえてはいるのだから、それはもう十分過ぎる程。憖アルピナやジルニアの小競り合いを知っているからこそ、彼もこれだけ強靭な心構えを宿せているのだろう。
対して、セナの影に潜むルルシエもまたレムリエルに対して臆する事無く立ち向かう。セナの影を基準にしつつ周囲に散在する影を飛び移り乍ら、戦闘の隙を狙う様にしてレムリエルに対して凡ゆる魔法を打ち込んでいくのだった。
『それに、ルルシエちゃんだっけ? 新生悪魔だって聞いてたけど想像以上だね。何だったら天使に勧誘したいくらいよ』
しかし、そんな彼女の各種魔法はレムリエルに対して何ら効果を及ぼさない。どれだけ上手く不意を突いた決死の一撃が直撃しても、彼女に傷一つ負わせる事すら出来無い。精々が服に埃を付ける程度。抑、どれだけ素早く影から影に飛び移って彼女を攪乱しようともルルシエではレムリエルの不意を突く事すら出来無い。天使達の様に聖力と魔力と龍脈を混ぜ合わせた完全な魂の秘匿が出来る訳では無いし、元々存在する一般的な魂の秘匿術だって彼女には通用しない。余りにも実力が掛け離れ過ぎている為に、秘匿術が全く以て意味を成さないのだ。
尚、彼女は新生神の子の中では最年長に近い約10,000年前の生まれ。つまり、第二次神龍大戦の終結直後に生まれた世代。だからこそ、新生悪魔とは雖もその実力は大戦末期生まれの悪魔と大差無いとも言い換えられる。
また、レムリエルがこれ迄生きてきた時間の5%にも満たないセナの年齢を基準にしても、ルルシエの生きた時間は彼の1%にすら届かないのだ。年齢がその儘実力に反映される神の子の性質から考えれば、これだけの時間的乖離を前にしてルルシエの行動がレムリエルに何らかの影響を及ぼす事は到底有り得ないのだ。
しかし、彼女が新生悪魔だというその事実から鑑みれば十分過ぎる程の働きをしている。幾ら大戦末期に程近い世代とは言え、生まれたのが約10,000年前と言う事実迄は変わらない。ヒトの子からしてみれば想像する事すら儘成らない程に果てしない時間ではあるが、しかし神の子からしてみればついこの間と言っても過言では無いのだ。
それでも、幾ら影響を及ぼさない漣や微風程度の攻撃とは雖も、ルルシエの攻撃はレムリエルをして素直に称賛出来る程に優秀だと判断出来る。1,000,000,000年を超す時の中で見てきた凡ゆる神の子と比較しても、それは確実だと胸を張って言える程だった。
と言うのも、ルルシエの魔法技術や魔力操作技術は新生悪魔としては規格外な程に洗練されていたのだ。それこそ、長期的視座で展望を夢想するなら第二のスクーデリアに成り得るのではないかと本気で思ってしまう程。実力は別として単純な才能だけで考えればクィクィは上回るだろう。
だからこそ、レムリエルは素直に彼女の攻撃を称賛する。嫌味や挑発では無く、神の子全体の先達として凡ゆる神の子の成長を見てきたが故の言葉だった。或いは、彼女なりの種族や世代に囚われない羨望でもあるのかも知れない。
『天使に? ん~、有り難い誘いだけど遠慮しとこうかな。別に天使になりたいって思える様な魅力なんて一度も感じた事ないし、何より単純にアルバートと一緒にいる方が楽しいから』
チラリ、とルルシエはアルバートを一瞥しつつあどけなさの残る可愛らしい笑顔を浮かべる。影の中に隠れている為にその姿形は全く以て窺い知れないものの、しかし声色と口調がそれを裏打ちしてくれていた。
『そっか~、残念』
……それにしても、人間といる方が楽しいなんてクィクィみたい。でもあの子とかとはまた違う感情原理なのかな? 相変わらず、悪魔って変わり者が多いよねぇ。
悪魔と人間による異種族友情関係は、その姿形のお陰もあって一見してロマンチックなものの様にも感じられるが、しかし本質的には奇妙なもの。抑として、異種族——取り分け圧倒的な下位種族——に対して深い感情を向けるという行為自体が本来有り得ないもの。人間がその辺の羽虫に対して深い友情や愛情を向ける事が無い様なものだ。
ならばクィクィの様な人間好きな悪魔は揃って変わり者なのだろうか? いや、恐らくそうでは無いだろう。極一部はルルシエの様に人間を同格の存在と認めた上で親密な眼差しを向けているのだろうが、しかしクィクィを始めとする大半は異なる。彼女の場合、確かに人間が好きで頻繁に人間社会に交じって色々と楽しんでいるが、あれは人間が犬や猫と言った愛玩動物に対して向ける感情にすら届かない。何方かと言えば、玩具や人形に対して向ける愛着感情の様なものでしか無いのだ。
だからこそ、アルバートとの共同生活を本心から楽しもうとしているルルシエの姿勢は、レムリエルにとっては奇妙なものとして映る。別に嫌悪感は無いが、しかし斬新な光景として捉えられるのだ。憖旧世代に生まれ育った存在として、旧時代的な保守的思考が抜け切れないのだ。
そんなレムリエルの感情を余所に、ルルシエは彼女の様子を窺いつつもアルバート達が殺した聖獣達の魂を神界に送り続ける。抑として真面に相手をしてもらえていない事もあり、この程度の事は大した苦労にはならなかった。それに、魂の管理は神の子としての必須業務。これを阻害する事は神の子としての道理に反する事。仮令如何なる理由があろうとも、こればかりは譲れないのだ。
だからこそ、レムリエルはルルシエが聖獣の魂の管理をしている間は彼女に対して一切手を出さなかった。それ処か、セナを適当に遇いつつも彼女に協力する様に聖獣の魂を神界へと送り飛ばしていくのだった。
『へぇ、優しいんだね』
『元々、この子達を連れてきたのは私だからね。それに、魂の管理は神の子としての最低限の義務。邪魔したら怒られちゃうから』
ねっ?、とレムリエルは爽やかで可憐な声色でルルシエを支える様に言葉を掛ける。その穏やかな空気はとても現在進行形で敵対しているとは思えない程。何方かと言えば、先達の神の子から新生の神の子へ対する指導の様に感じられる。
その余りにも自然な態度振る舞いは、それを受けるルルシエですら一瞬だけ勘違いしてしまいそうになる。今正に眼前でセナに対して細身の聖剣を振るっている天使から放たれているとは考えられなかった。
次回、第308話は8/1公開予定です。




