第30話:次大戦の支度
時の流れを一時的に逆流した二柱の天使は、当時の状況を思い返し舌打ちを零す。長い時間の果てに漸く復活を果たした彼らだが、しかし幾ら魂が霧散しない以外は不滅とはいえあまり良い気はしない。更に言えば、相性上優位なはずの悪魔に弄ばれたことが二柱にとって屈辱的なことなのだ。
「あの時を思い出しましたか?」
「ええ。決して忘れられるものではありませんので」
「もう負けたくないもんね。それに、僕達もだいぶ強くなったと思うし」
復活してから現在に至るまでの期間、心を鬼にして心身を鍛え上げた日々を思い出す様にテルナエルは笑う。それは過剰な自信ではなく、眼前の天使ですら感心するほどの成長度合いだった。
「そうですね。当時のアルピナなら容易に打ち負かせるほどの力はあるかと。しかし、あの子もまた成長しています。更に、あの子は神龍大戦を生き残った精鋭。貴方方が復活を待つ間にも経験と技術を磨き続けてきました。果たして今はどうでしょうか?」
慢心に諫言を与え、現実的な批評を投げる少女の柔和な笑みに冷たい感情を覚えた二柱の天使は相好を曇らせる。しかし、すぐさま普段通りの相好を取り戻すと冷静な口調で返答する。
「はい。それは重々承知しています」
「最近生まれた天使達みたいにアルピナの力を知らない訳じゃないからね。まだまだ油断は出来そうにないよ」
そうですか、と微笑む少女は、突如として姿を消す。刹那の間に二柱の背後に回り込んだ彼女は、首下に黄昏色に輝く魔剣を添えていた。
「ふふっ、反応すらできないじゃないですか。私にすら敵わないようではあの子には勝てませんよ」
「クッ……」
「これって……魔剣ッ⁉」
イルシアエルもテルナエルも、額に冷汗が浮かび、四肢が小さく震える。背後に立つ三対六枚羽の天使が手に持つ禍々しい殺気に対して為す術を持たなかった。
気づきましたか、と言外に含む態度で問いかける彼女の柔和な瞳は依然として紅色に輝いたまま。悪戯心で命に手をかけるその様は、二柱をして恐怖以外の色が浮かばなかった。
「申し訳ございません、我が君」
解放されたイルシアエルは息も絶え絶えに呟く。テルナエルもまた、言語化できない嗄声を喉から零れ落とすことしかできなかった。
少女は、二柱の喉元から徐に魔剣を離しクスクスと笑う。魔剣が崩壊し、再び静寂の聖堂が舞い戻る。
「いいえ、構いませんよ。寧ろ、実際に相対した際に油断しなくなったと思えばお釣りが来ます。まだまだ、お二柱には働いてもらわなければいけませんので」
「今度は何すればいいの?」
後頭部で腕を組みながら朗らかに問いかけるテルナエルの仕草は、さきほどの殺気を忘れさせる長閑なもの。静謐で厳粛な聖堂の雰囲気も合わさり、神聖不可侵な神々しさが彼の内外より滲出する。
「龍魂の欠片を探していただきたいんです。貴方方も、私がそれを探し求めていることを知っているでしょう? アルピナが世界を去りスクーデリア達を手中に収めていた以前のようであれば時間をかけて探せばよいのですが、あの子が帰還したとあれば時間がありませんので」
龍魂の欠片を生み出したのは他でもないアルピナが契機。それを知悉している彼女は、焦燥感が滲む相好を露わに聖堂内を歩き回る。歩行に合わせて背中に背負う三対六枚の翼が揺れる。柔らかく温かい純白のそれは、神聖不可侵の領域。何人たりとも触ることは許されず、翼を持たない二柱は目を奪われる。
「あれ? それって確か、我が君も昔から探してたしシャルエル様も探してたよね?」
「はい」
髪を耳に掻き上げながら微笑む少女は、石の壁に阻まれた先に聳える王城を見つめる。しかし、と溜息を零す相好は高窓から注ぎ込む陽光に満たされる。
「この星の暦で10,000年ほど経ちましたが、依然として手がかりはなく……。シャルエルだけではなくルシエル達にもお願いはしたのですが、あの子達には悪魔の動きを封殺してもらっています。アルピナが帰還した今、以前のようには動かしづらいのです。勿論、国の内側からも捜索はしていますが貴方方には外側から調べてもらいたいのです」
「そっかぁ。そう言うことならさっさとやっちゃおうか。ねっ、イル?」
さりげないウィンクと共に同意を求めるテルナエルは、横に並び立つイルシアエルを仰ぎ見る。新しい玩具を与えられた童の様な純粋な瞳を一瞥しつつ、イルシアエルは眼前の少女に問い返す。
「御意。しかし、私共では力不足ではないでしょうか?」
「いえ、貴方方こそが相応しいのです。貴方方は天使の中でも数少ない翼を持たない階級。完全変態型の昆虫が成長の半ばで蛹を経る様に、貴方方の純粋な力は件の四天使を上回ります」
それに、と彼女は付言する。柔らかな眼差しは、聖職者が罪人の懺悔を受け止めるような慈愛と愛する我が子を抱擁する母親のような母性が併せ含まれていた。
「翼を持たないからこそ、人間社会に溶け込めます。勿論、天使の翼が所詮飾りであり自由に隠せることは承知しています。悪魔もそうですからね。しかし、あの子達を欺くためなら万全を期すべきでしょう。中途半端な擬態では正体が露呈しかねませんので」
「畏まりました。そうでれば、全身全霊でお役目を果たさせて頂きます」
「ふふっ、期待していますよ」
少女は紅色の瞳を金色に輝かせて西方を想う。彼方で暴れる魔力の主が内包する危険性と好奇心とが、自身が立てる計画を破壊する可能性を憂う。しかし同時に、彼女の心の最奥では彼女との再会を待ち望む心情が湧き立っていた。それは、天使と悪魔という種族が生む対抗心ではない。より深く根付く、生半可な関係性を遥かに超越する特別なもの。
あれから貴女も随分と成長しましたね。邂逅と惜別。揺さぶられる心情が貴女を更なる高みへと押し上げたようですね。
一柱の悪魔と一柱の龍が織りなす奇妙な友情神話。現在に伝承されていない失われた歴史を思い出しつつ、少女は身を震わせる。
「さあ、始めましょうか。新たな大戦の狼煙を上げる支度を」
次回、第31話は10/28 21:00公開です




