第298話:驪龍の岩窟③
つまりシンクレアは、ギリギリ旧時代の神の子に区分されるものの神の子全体で見れば非常に若い部類に入る。それこそ、悪魔でいうとセナやエルバよりも50,000,000年以上若いと言えばその若さが窺い知れるだろう。
対して、レムリエルは座天使級天使としてはそれなりに遅く生まれたものの、しかし同じく座天使級天使であるイルシアエルやテルナエルよりは年上。その上更には、彼彼女らと幼馴染であるクィクィや現龍王のログホーツよりも年上。この星の暦を基準にすれば今から凡そ1,850,000,000年前に相当する。
つまり幾ら相性の関係があるとはいえ、年齢だけを考えればシンクレア程度の龍脈がレムリエルに影響を与える筈が無いのだ。直接相まみえた戦闘行為ならいざ知らず、こんな零れ出た残滓程度なら尚の事だろう。
それにも関わらずこうして影響を受けているのは、偏に龍という種族が少々特殊な為。龍は天使や悪魔と異なり神の子で唯一人間の姿形を持たない種族。ヒトの子の中で人間以外の凡ゆる動物のモチーフとなっただけあり、その躯体は非常に野性的であり巨大。よっぽど小さな個体でも体長は最低でも15mを超える程なのだ。
抑、肉体は魂を収める器。つまり、体が大きいという事は単純に器が大きいという事。それは言い換えれば力の許容量に余裕があるという事であり、必然的に保有する力も大きくなってくる。その為、シンクレアがいかに若い龍とは雖も保有している力は同年代の天使や悪魔と比較すれば体格相応に大きくなっているのだ。
尚、それなら天使や悪魔よりも龍が絶対的に優位な存在になってしまいそうに感じてしまう。しかし、実際は神の子三種族間に於ける三竦み関係は正常に作動している。天使は悪魔に強く、悪魔は龍に強く、龍は天使に強い、というそれは絶対的だ。
というのも、年齢に対して力が大きいとは雖も、三竦みの関係に影響を及ぼす程大きい訳では無い。精々がこうしてちょっとばかし体感に影響を及ぼす程度でしか無く、年齢差をひっくり返して打ち倒せる様な劇的な変化を齎す訳では無いのだ。
それに、シンクレアとレムリエルの場合はちょっと特殊。好戦的な性格であり神龍大戦で数多くの戦闘経験を積んで実力を高めたシンクレアに対し、レムリエルは穏健派。避けられない戦闘以外は極力参加しない様に努めていた事もあり、同世代の他の天使と龍を比較した時よりも実力差が少しばかり小さいのだ。
兎も角、そういう訳もあってレムリエルは下手に抗おうとせず大人しく肉体を聖力の被膜で保護しつつ岩窟の奥へと進み始める。聖眼を開いて龍脈の流れを読み取りつつ効率的にそれらを回避し、同時に足下や天井にも気を配り乍ら、彼女は面倒臭そうに溜息を零す。
いや、実際に面倒臭かった。表立ってバルエルやセツナエルに見せる訳にもいかず、かと言って他の下級天使達の前で曝け出すのも申し訳無い。こうして一柱になれる今だけに許された、余り嬉しくない特権行為でもあった。
出来る事なら、もっと人間社会に紛れてのんびりと生活していたかった。それこそ、アルピナが放浪していたこの10,000年間や各世界創造から第二次神龍大戦が開戦される迄の約9,000,000年間の様に、憂いとは縁無く本来あるべき神の子としての立場だけに意識を向けて生活していたかった。
しかし、現実とは往々にして非情なもの。どれだけそれを希おうとも、思い通りに事が運ぶ事は有り得ない。それこそ、神だって神の子同士が争う事など想定していなかったのだ。たかが神の子やヒトの子如きがそれを望むのは思い上がりが過ぎるというものだろう。
何より、レムリエルは天使全体の中でも上位三分の一を総称する上位三隊が一角である座天使級に数えられる一柱。つまり、それ相応に責任と管理が要求される立場であり、人間社会でいう所の現場監督相当の管理職に近い存在。
要するに、トラブルにしろそれ以外にしろ何らかの出来事が発生すればそれ相応の責任を背負って下位階級を纏めつつ上位階級の手足となって働かなければならない立場にある。智天使級や熾天使級の様に後方で踏ん反り返って大きな顔をするには未だ立場が不足しているのだ。
この辺りは階級を然程重要視しない実力主義な悪魔とは対極に当たる。勿論悪魔だって多少は階級に影響される上下関係は存在するが、天使程厳格且つ厳密では無い。そうでなければ、アルピナやスクーデリアといった草創の108柱がこうして表立って行動したり若輩悪魔であるクィクィ達と行動を共にしたりはしないだろう。
そういう訳で、レムリエルは自身の思考の片隅にある煌びやかで伸びやかな生活に諦めを付ける他無かった。立場上仕方無いんだ、と溜息を零しつつ、しかし立場相応の責任感で心を昂らせて気を紛らわせるのだった。そして、最奥部にいるバルエルを目指し、黙々と足を動かし続けるのだった。
そうしてその後、レムリエルが今後の計画の為を思ってバルエルの許を尋ねてから数十分程経過した頃、翠玉色の潮騒が間断無く寄せては返す海蝕崖を三柱の悪魔と二人の人間が肩を並べて歩いている。潮に濡れた粗い岩肌には海棲の動植物が逃げ遅れた塩水を求めて肩を寄せ合い、初めて見る二足歩行の哺乳類を前にして慌ただしく逃げ惑っている。
そんな自然の摂理を一切気に留める事無く、彼彼女らは黙々と進み続けた。足を滑らしたり躓いたりしない様に注意しつつ、軈て人目に付かない所迄進むと漸くと言った具合に空を飛んで悠々と移動する。面倒な事この上無いな、と悪態を零しつつ、それでも目的の為だと割り切って思考を切り捨てる。
「確かこの辺りだったな……」
数刻前に四騎士副官のアンジェリーナから見せてもらった地図と数万年前の記憶を頼りにしつつ、彼彼女らは目的となる驪龍の岩窟を探す。と言っても、抑として外観がどの様になっているのかすら全く知らない為、魔眼越しに観測される聖力や龍脈が最大の頼りだったのだが。
そして、暫く捜索した後に彼彼女らの魔眼に漸く飛び込んできたのは、微かに漏出している龍脈だった。それも、こうして捜索しているから認識出来たものの、只単に通りかかっただけなら思わず見過ごしてしまいそうな程に微かな量でしか無かった。
しかし、こうして認識さえしてしまえば此方のもの。その量や発生位置に加え、波長からその個体の識別も可能。アルピナもスクーデリアも、立場の都合から各龍が保有する魂の色や龍脈の波長も全員では無いものの粗方覚えている。取り分け、嘗て神龍大戦で共に戦った者に限れば全員漏れ無く記憶していると自負しているのだ。
そして、現在探している驪龍の岩窟は嘗てシンクレアという龍が根城にしていた場所の周辺。そのシンクレアは嘗て神龍大戦時に悪魔ヴェネーノの相棒として天使と戦っていた龍。加えてそのヴェネーノは神龍大戦を最後迄生き残った五柱の内の一柱。ベリーズ迄来た本来の目的となる悪魔だ。
そこ迄来れば、最早間違える余地は何処にも残されていないだろう。寧ろ、これで間違えたら神の子として失格と言っても過言では無い。今直ぐにでも魂を神界に返却した方が良い迄ある。そう言い切れる程に、絶対的な確信が抱ける様な容易な問題。
つまり、今正にアルピナ達が観測した龍脈こそ、探していたシンクレアの龍脈に他ならない。そして、その発生源こそ驪龍の岩窟の入り口とみて間違い無いのだ。決して間違える筈の無い、約10,000年振りに知覚する懐かしい波長だった。
だからこそアルピナもスクーデリアもクィクィも、つまりシンクレアを知っている悪魔達は挙って懐かしさに微笑みを携えてその発生源へと向かう。或いは、間も無く訪れるであろう決着の時に対する好奇心に由来する猟奇性に富む笑みかも知れない。
次回、第299話は7/23公開予定です。




