第287話:ガリアノットとアルピナ
しかし、そんな後片付けに精を出す身体とは対照的に、その心は決して緩んでなどいなかった。寧ろ、つい先程迄共闘していたあの人間達に対して僅かばかりの警戒心を抱き乍ら静かに見据えていた。助けてもらった相手にこんな感情を抱くのは失礼な事この上無いだろうが、しかし如何してもそうせざるを得なかったのだ。
というのも、彼女らから強者特有の精神的余裕がヒシヒシと感じられるのだ。それはそれで良い事だし非常に心強い事ではあるのだが、言い換えればあれだけの量の魔獣を相手にこれだけの精神的余裕を確保出来るだけの強者が在野に複数している事が問題なのだ。
魔獣とは本来、仮令それが一体だけだとしてもそれなりに経験が豊富な戦いの専門家が複数人で以て相手をしなければならないとされている。勿論、四騎士や英雄など極稀に存在する一握りの強者なら一人で複数体を相手にする事も出来無くは無い。しかし、それでも精々が数体且つ短時間が限度でしかない。
それを彼女らは、宛ら赤子を捻るかの如き態度振る舞いの儘魔獣を蹂躙していたのだ。しかも、状況から偶然な共闘へと発展しただけであって、彼女らが真に味方とは限らない。魔王という人間と同一の姿を取る未知の敵が存在する今、全てを味方だと断言するのが危険だった。幾らアルバート達英雄と顔見知りの様であってもそれは変わらない事実である。
若し彼女らが敵だった場合、それは即ち人間社会の崩壊を意味するのだ。あれ程の強者が面と向かって敵対した場合、それを止める手立ては現時点では存在しない。この国が保有する全ての軍事力を総出にしようとも、恐らく彼女らの前には意味を成さないだろう。その確信がガリアノットの脳裏を過ぎったのだ。
しかし、だからと言って全ての物事を四六時中休む事無く警戒し続けるのは不可能である。体力的にも気力的にもそうだし、何より無駄が多過ぎる。幾ら彼女らが未知の存在とはいえ、一応はセナ達英雄とは一定の信頼がある様子。それがある限り、ガリアノットらとしても一定の信頼を預けても良いだろう。何より、此処でそれをしない事は英雄に対する不信を暗に示す様なもの。国家の枢要を担う要人として、その様な無礼な言動は慎まなければならない。
故に、ガリアノットは必要最低限には警戒と不安を抱きつつも、しかしそれを表立って示さない程度には信頼と信用を預ける。剣を鞘に納め、肩の力を抜き、改めて先程の共闘の礼を言うべくアルピナ達へと歩み寄るのだった。
一方そんなガリアノットの様子に気が付いたアルピナ達は、それ迄続けていた会話を止める。彼女達としては出来ればもう少しばかり御喋りに華を咲かせていたかったのだが、しかし会話の内容からして彼に聞かれる訳にはいかない事から止むを得ない対応だった。
というのも、その会話はガリアノットら無関係の人間達は当然としてクオンやアルバート、そして彼ら二人に混ざる少年にさえあまり聞かれたくない内容だったのだ。或いは少年にだけは聞かれても問題無いかも知れないが、しかし不必要な混乱を生まない為にも不必要に情報を与えない方が良いだろうという判断だった。
その会話の内容は、何度も襲撃してくるレムリエル達天使の魂に関する彼是と、この町の何処かに潜んでいるであろうバルエルに関する事、そして少年の正体及び今後の計画。未だ確信に至る情報は無いし精神感応である程度の情報は共有出来ているとは雖も、しかし直接会って話しておきたかったのだ。
「やれやれ、仕方無い。少しばかりはあの人間の話し相手になってやるとしよう」
呆れ溜息を零す様にして吐き零すアルピナだが、しかしその言葉とは裏腹に如何やら満更でも無い様子。抑、アルピナはヒトの子達と一定の距離を取って接している様に見えるが、しかし決して嫌いな訳では無い。あくまでも、神の子とヒトの子という立場の違いに則った客観的な関係性を維持しているに過ぎないのだ。
しかも、これは神の子全体で見れば大して珍しい態度振る舞いという訳でも無い。寧ろ、クィクィの様にヒトの子と深く親密な関係を築こうとする神の子の方が珍しい迄あるし、中には魂の管理以外でヒトの子と関わりを持とうとしない者だってそれなりに存在するのだ。
そして、それを知っているからこそ、スクーデリアもクィクィもセナもルルシエも揃ってアルピナに対して微笑みを浮かべる。素直じゃないね、とクィクィは四柱を代表して言葉を発し、緋黄色の瞳を輝かせる事で面白可笑しく挑発する。それに対してアルピナは恥ずかしそうに頬を赤らめると、放っとけ、とムッとするのだった。
その後、漸くと言った具合にガリアノットはアルピナ達の近く迄歩み寄る。といっても、それはあくまでも神の子としての時間感覚の中で無意識の内に遅く感じただけの話。人間的時間感覚で見てみれば、実際の所は決して遅くなどない。寧ろ、魔獣との戦闘直後にしてはそれなりに機敏な動きが出来ている方でもあった。
そして、アルピナ達はそんなガリアノットを感心する様な瞳で迎え入れる。所詮は人間でしかない為に神の子の視座で見れば全然大した力も無いが、しかし逸脱者でも無いヒトの子として見れば十分過ぎる程の力を持っている事は確実。ならば、下手にプライド高く見下さずとも素直に称賛すれば良いだけの事だった。
「英雄殿、そしてそちらの皆様も、ご協力感謝いたします」
四騎士、つまり国の枢要に立つ公人として彼は懇切丁寧に礼を述べる。如何見ても年下にしか見えないが、しかしこの場に於いて外見年齢など何の意味も成さない。助けられた者としての至極当然の対応だった。
君は、とアルピナはそんな彼に対して静かに声を掛けようとする。しかし、その言葉は脳裏に響くセナからの精神感応によって阻まれる。別に無視出来無い事も無かったが、別にそこ迄切羽詰まっていなかったという事もあり、ガリアノットに不審がられない程度にその精神感応に耳を傾ける。
『ガリアノット・マクスウェル。プレラハル王国四騎士が一人だな』
『フッ。言われずともその程度の事なら把握している。何かあってからでは遅いからな』
直近10,000年の間凡ゆる世界を放浪していたアルピナは当然として、神龍大戦後もこの国に滞在していたスクーデリアとクィクィもまた、数千年前に天羽の楔で精神支配を受けた為にこの国の内情は本来であれば全くの無知といって差し支え無い。それを知っている事もあって、英雄として此処最近国の枢要に属する様になったセナが親切心からそれを教えたのだ。
しかし、アルピナもスクーデリアもクィクィも、知識は無かったが決して無能では無かった。手隙な時間と凡ゆる手段を活用する事で、一般常識は全て頭に入っていた。それこそ、ちょっと踏み込んだ専門的な事情であろうとも、それなりに高名な専門家に引けを取らない程度には把握している。
だからこそ、セナのそれは完全なる余計なお世話でしか無かった。といっても、セナとしては完全な善意で行った事であるし、若し知らなかったら、という可能性を考えれば十二分に有り難い事、だからこそ、アルピナもその気遣いを鼻で笑い飛ばしつつも決して不快感は抱いていなかった。
一方、それを知らないガリアノットとしても、その奇妙な言葉に切れ目に対して何ら不審な印象は抱かなかった。只単に、自分の事を知らないだけなんだな、と適当に受け流すだけだった。そして、その儘その微妙な空気を吹き払う様に言葉を掛けるのだった。
次回、第288話は7/12公開予定です。




