第286話:束の間の平穏と雑談
「無事か、アルバート?」
「あぁ。数が多いとはいえ、所詮は聖獣が相手だからな。クオンこそ、相変わらず余裕そうだな。羨ましいよ」
クオンとアルバートは、互いの無事を安堵しつつ双方の高い実力を称賛し合う。それは、悪魔に魂を売り払った人間という特異な存在同士だからこそ結ばれる強固な信頼と友情の紐帯によるもの。他の人間では如何なる手段を以てしても上回る事の出来無い絶対的な関係性だった。
「まさか。俺の力は悪魔三柱分に加えて龍との混合だからな。お前みたいに純粋な悪魔一柱だけの力だったらこうもいかないさ」
クオンはアルバートから称賛される自身の力を否定する。事実、通常ヒトの子に付与される悪魔の力は一柱分。二柱以上の悪魔と同時に契約を結ぶ事など基本的にあり得ないのだ。
というのも、一柱の悪魔と同時に結べる契約数に上限は無い事から態々《わざわざ》複数の悪魔と同時に契約を結ぶ必要が無いのだ。それに加え、同じ人間に対して複数の悪魔が同時に契約を結ぶ事は基本的に避けられる傾向がある。それは、契約に伴う力の付与に於ける相性問題だったり、契約未遂行に対する罰を与える際の責任の所在に関わるトラブルだったり、或いは本能的な嫌悪感だったりと多岐に亘る。
しかし、現在のクオンの魂にはアルピナの他にスクーデリア及びクィクィ二柱と其々《それぞれ》契約を結んだ際に与えられた魔力が注がれている。全悪魔の中でも上位三柱に君臨する彼女らの力を綯交した力は、欠片程度の力であり乍らも新生悪魔を軽く凌駕する程度は確保されているのだ。
その上、彼には遺剣ジルニアがある。抑、ジルニアは草創の108柱序列一位として全神の子の中で最初に創み出され、全龍の中でも頂点に君臨——天使長や悪魔公と異なり、肉体的死後に誰かが二代目を継承する事が無い唯一絶対の役職——した存在。
死後に角が変質した事で誕生したその剣は、そんなジルニアの力の一端と魂の残滓を内包しており、謂わば彼の分身体の様なもの。残滓程度の力とは雖も皇龍の名に相応しいだけの力は未だ健在であり、それこそヒトの子では触れる事すら許されない程には強力且つ濃密な力が込められているのだ。
そんな剣に認められ、その力を自由に扱い、更には自身の魂で産生される悪魔三柱の魔力と綯交する事で、彼は龍魔力という特異な力を練り上げている。それは、本来であれば高度に信頼し合った龍と悪魔が互いの力を預け合う事で漸く練り上げられるもの。それをたった一人で使い熟しているのだから、大したものである。
しかし言い換えれば、彼の力はその龍魔力による恩恵が過半を占めているという事でもある。本来なら持っている筈の無い力によって、彼の戦いは補強されているのだ。アルバートの称賛を素直に受け取れないのは止むを得ないだろう。
その上、彼の命はアルピナ達による厳重な庇護下に置かれている。それこそ、如何なる犠牲を払ってでも決して失ってはならないと全悪魔に言明されている程には、彼の命は至上の存在として捉えられているのだ。
そんな最大級の恩恵を最大限享受している状況で、一体如何して自分の力に自信が持てるというのだろうか。流石にそれが出来る程、クオンは厚顔無恥でも無ければ恩知らずでも無い。素直に彼女らのお陰だと有り難く思うだけだった。
そしてその儘、そういえば、とクオンはアルバートに問い掛ける。それは、予てより——といっても、レインザード攻防戦終結後だが——抱いていた疑問。更に言えば、クオンからして見れば至極当然でありつつも、しかし常識的に考えれば突拍子も無い事この上無い思考回路によるものだった。
「そう考えたら、ルルシエとかセナとは未だ契約を結んでないんだな? アイツ等なら別に嫌がったりはしないだろ? まぁ、契約を結ぶ程の願いも対価も無いのかも知れないが……」
とは言いつつも、しかしセナ及びルルシエとは精々レインザード攻防戦終結後に少しばかり顔を見せた程度の関係しかない。その為、彼彼女らの事はそれ程深く認識している訳では無いし、正直な所自分よりアルバートの方が詳しい迄ある。
故に、そうして偉そうに尋ねていてもその実全く以て余計なお世話でしかないのだ。勿論、ちょっと自分の方が彼より悪魔との関係性が深いから、と鼻に掛けている積もりは無かったが、しかし無意識の内にその傾向を抱いていたのかも知れない。
尤も、だからと言ってその程度の事で場の雰囲気が悪くなる様な事は決して有り得ない。クオンとしては只単純な疑問と友人としての心遣いからそれを尋ねただけでしかないし、アルバートからしても決して不快に感じる様な事は無い。寧ろ、数少ない同じ立場の友人としてこの上無い有り難さを感じている程だった。
「あぁ、確かにアルピナ様からは結びたければ好きにすれば良いとは言われてるな。でも、クオンの言う通り契約を結ぶ様な願いが無いんだよなぁ。まぁ、結ばなければならない様な状況でも無いし、今は良いかな」
その後も、他の人間達に内容を聞かれない様にある程度注意しつつ、二人は気儘な雑談を交わす。こうして別行動を取っている都合上、幾ら精神感応を用いれば何時でも好きな様に話せるとは雖も、しかし直接顔を合わせた会話が恋しくなるのだ。憖、同じ価値観を抱き同じ視点に立つ人間が身近な範囲内では他にいない——悪魔と契約を結んだヒトの子、という全体を見ればそれなりにいるのかも知れないが、少なくとも二人の認識している範囲にはいない——事も相まって、尚の事だった。
一方、そんな彼らの姿は傍から見る分には只単純に格好良く映る。人間という枠組みの中でもそれなりに顔立ちの整った者同士であり、その上これ迄の極短期間で幾度と無く神の子と死闘を繰り広げたのだ。それにより、その端整な顔立ちに一層に野性味と凛々しさが刻まれていた。
その為、彼ら二人の穏やかで心落ち着くちょっとした励まし合い乃至雑談を遠目から見つめる人間の兵士達は、挙ってその空間に魅了される。女性は勿論、兵士の過半を占めている男性もまた同性としての嫉妬と羨望による魅了に囚われていたのだ。
対してセナもまた、同じ悪魔同士という事もあってアルピナ達との再会に華を咲かせていた。しかし、別にセナもアルピナ達も揃ってロマンチシストでは無いし、復活の繭の中で復活の時を待っている時に比べれば大した長さでも無いし、抑神の子としての本能が持つ時間に対する価値観を考えれば全然久し振りでも何でも無かった。
故に、それは殆ど形式としての喜びでしか無かったが、或いは暫く人間社会で生活していた事もあって時間に対する価値観が人間寄りになっていたのかも知れない。何れにせよ、何だ彼んだってそれなりに喜び合っている事は確かだった。
そんな彼女らもまた、クオン達と同じ様にちょっとした情報の共有と下らない雑談でその会話を満たす。何ら生産性の無い無益な一コマでしか無いが、しかし偶にはこういう時間を送っても良いだろう。幸いにして天使達は飛び去った後。状況からしても暫くは襲撃して来そうに無い事もあって、ちょっとした解放感すら感じていたのだ。
そして、アルピナ達がそんな仲睦まじく穏やかで長閑な束の間の時間を過ごし、それを眺める人間の兵士達が身体を休める中、ガリアノットもまた他の兵士達に混ざって呼吸を整える様に身体を休ませつつ、並行して散乱する魔獣の肉片を軽く片付ける。放っておいても自然が分解してくれるだろうが、しかし量が量だけにこの儘放置していたら酷い事態になるであろう事が目に見えていたのだ。
次回、第287話は7/11公開予定です。




