第284話:嗜虐的狂気を纏う少女
何れにせよ、スクーデリアとしてはそこ迄深く感情を揺さ振られる様な事態では無い様子だった。その為それを聞くセナとしても、ある一定の警戒心こそ宿しつつも、しかしある程度の気楽さを残しつつ彼女の謝罪を受け流すのだった。
そして、そんなセナの思い遣りに満ちた言葉を有り難く受け止めつつも普段通り受け流し、スクーデリアは微笑む。腰に至る程の鈍色の長髪を靡かせつつ狼の様に鋭利な不閉の魔眼を燦然と輝かせるその姿は、非常に美麗且つ優雅。認識阻害の影響下に無かったらどの兵士達も挙って魅了されてしまいそうな官能的且つ妖艶な印象を、彼女は身に纏っていた。
『ねぇねぇ、そろそろ終わりにしない? ボクもう飽きちゃった』
聖獣の骸を踏み潰し、返り血に頬を染めて猟奇的且つ狂人的な笑みを浮かべるクィクィが、精神感応に言葉を乗せる。その間にも彼女の周りには聖獣達の骸が次々に積み上がり、口元に付着した返り血を舌で舐め取るのだった。
その態度振る舞いは、外見年齢が10代前半の可憐で快活な少女の様にも少年の様にも見える中性的な姿からは到底考えられない様な凄惨さ。下手な快楽殺人鬼よりよっぽど恐ろしく、認識阻害の影響で本来とは同じ見た目の別存在として認識されているものの、しかしこの集団の中で彼女は一際異彩を放っていた。
そして、細く長いアンダーポニーテールに纏めた緋黄色の髪を揺らし乍ら、彼女は次々と聖獣を惨殺していく。細身で小柄なその躯体の何処にこれだけの力が内包されているんだ、と驚愕してしまう程に驚異的な彼女の力は、人間を除く凡《aら》ゆるヒトの子の基となった龍に匹敵する程。そこから放たれる純粋な暴力を受けた聖獣は、到底それに耐えられる筈も無く無言の肉塊へと変えられる。その後に周囲に満ち残るのは、鉄の香りと綯交された独特の肉臭だけだった。
「うわぁ……」
クオンは無意識の内に呟く。それは、嘘偽りも修飾も無い純粋な感想だけで構築された心の声。稚く可愛らしい外見を持つクィクィから零れ出る嗜虐的で冷酷無慈悲な行動、というその倒錯具合は、とても真面に直視出来るものでは無かったのだ。
しかし、出会って未だ少ししか時間が経過していないとはいえ、此処数日間に亘って行われてきた天使との抗争で何度も見てきた筈ではある。それでも、だからと言ってそう簡単に見慣れられる程優しい光景では無かった。
だからこそクオンは、自身と異なり至って平然としているアルピナとスクーデリアを羨ましく思う。二柱ともクィクィとは彼女が生まれた時からの付き合いであり、如何なるヒトの子でも到底経験する事の叶わない程に長い時間を共に過ごしてきた。只でさえ神の子としてそういう残虐性にある程度の抵抗がある上に、それを抜きにしても彼女のこうした行動で心が揺さ振られる事は無いのだ。
何より、彼女ら三柱は揃って神龍大戦を生き抜いてきた精鋭。この程度の光景は神龍大戦時の彼是と比較しても大した事無いレベルでしかないのだ。その為、この光景は最早見慣れた光景の一コマとして適当に処理されるだけだった。
故にアルピナもスクーデリアも、聖獣の屍を踏み締める血染めのクィクィに対して笑顔さえ浮かべていた。昔懐かしい彼女らしさが見れた、という宛ら親心にも似た微笑ましさや包容力さえ湧出させている始末だった。
一方、そんな彼女らの本質などまるで認識出来ていない人間達は、認識阻害のフィルターを介して捉えられるクィクィの仕草に対して恐怖を抱いて震え上がる。同じ人間であり乍らも同じ人間とは思えない思考回路を確信し、或いは同じ人間であって欲しくないとすら希ってしまう始末だった。
結果、誰も彼もが魔獣を複数人で協力して相手取りつつも、しかし普段の調子を発揮出来ずに体勢を崩してしまう。アルピナ達悪魔やセナ達英雄に護られている為に死ぬ事も深手を負う事も決して有り得ないが、それを知らないからこその反応だった。
それでも、そんな人間達の中で唯一ガリアノットだけが心も身体も揺さ振られる事無く魔獣を相手に戦い抜いていた。悪魔からの庇護も英雄からの支援も無く、自分一人の力で魔獣を相手に亘り合っていたのだ。
その姿は、正しく四騎士と呼ぶに相応しいだろう。此処プレラハル王国が保有する全軍事力の中でも最上位に君臨するその肩書をその儘体現するかの如き働き振りは、王国内最強の座に就いている事の何よりもの証左だった。
その姿は、直ぐ近くでクィクィの態度振る舞いに戦慄する兵士達を振るい立たせるには十分な力を持っていた。幾らその恐怖の根幹を成しているのが全悪魔の中で最も残虐な者の一柱として数えられるクィクィとは雖も、初対面で良く知らない上に認識阻害も掛かっていれば曖昧且つ不鮮明なものにしか成らない。それよりも、勝手知ったる自身の上官であり全国民から最大限の称賛と尊敬を背負っているガリアノットの方がよっぽど鮮明に写るのだ。
だからこそ兵士達は、クィクィの狂気に当てられつつもガリアノットの背中を精神的支柱として見出す事で如何にか体勢を立て直す。自身より遥か格上の敵である魔獣を相手に、民草の平和を取り戻す覚悟を呼び覚ましてぶつかるのだった。
一方その当人たるガリアノットは、そんな賞賛と尊敬と精神的拠り所としての立場として気丈に振る舞いつつも、しかし内心はそこ迄大きな余裕は持っていなかった。魔獣4~5体程度迄なら辛うじて自分一人でも相手になれていたのだが、しかし全く以て余裕と迄は言い切れなかった。
その戦い振りは、ガリアノット自身としては何時もと変わらないだけの戦果。更に言えば、他の一般的な兵士と比較すれば類稀な戦果でもある。しかし、裏を返せばその程度でしかないという事でもあったのだ。
つまり、最近自分達の協力者として加入した直後より驚異的な戦力として日夜活躍し続ける英雄や、今正に初めて出会ったばかりのこの名も知らない人達(=アルピナ達)にすら到底匹敵していなかった。彼彼女らは揃って魔獣を相手に宛ら子供をあやすかの様に遇い、その内の一人に至っては虫籠の中の羽虫を嬲り殺すかの様に魔獣を蹂躙している。
頬を鮮血に染めて宛ら快楽殺人鬼の様に笑うクィクィの姿は、はっきり言って異常でしか無かった。表面上こそ気丈に振る舞っているが、しかし彼自身もまた他の兵士達と同様に彼女の姿には恐怖を抱いていた。認識阻害のお陰で魔王と認識する事は出来ない——目に映る姿形は同一であるにも関わらず、同一人物と認識させてもらえない——が、或いは魔王以上の恐怖なのではないかとさえも思ってしまう。
その上、自身のこれ迄培ってきた自信を粉々に打ち砕かれてしまってもいたのだ。必死に努力して四騎士に名を連ね、更には国内最強の座に迄到達した事は、彼の精神を支える屋台骨だった。それが、一夜の内にこれ迄一切聞いた事も無い様な若者に呆気無く塗り替えられてしまったのだ。打ち砕かれるのも当然だろう。
しかし、それでもこんな所でへこたれている訳にもいかなかった。この戦いは国家の為の戦いであり、私利私欲の為の戦いでは決して無いのだ。個人的な事情の為に戦いを放り出して精神的敗走を図る訳にはいかないのだ。
何より、自身より上がいるのならその上に行ける様に努力すれば良いだけの話である。確かに、これ迄圧倒的強者として君臨していた手前こうもあっさり抜かれてしまっては悲しくもあるが、しかし見方を変えれば新たな到達目標が出来たとも言えるのだ。これ迄見えてこなかった新たな可能性が切り開かれたと考えれば、寧ろ御釣りがくるだろう。
次回、第285話は7/9公開予定です。




