第281話:聖獣による攪乱
「そう思ってもらっても構わないよ。そんな事言いつつも、アルピナ公だって同じ事考えてるみたいだしね」
そうでしょ?、とレムリエルは極自然体なウィンクと共に首を傾げつつアルピナの心を的確に貫く。挑発をそれと無く躱しつつもその本心を的確に穿つ彼女の抜け目無い態度振る舞いを前に、アルピナは答える事無く舌打ちを零すだけだった。ただし、その相好は何処か楽しそうとも嬉しそうとも捉えられる笑顔で形成されており、彼女の猟奇的で傲慢な性格を暗に示している様だった。
「でもさ、此処から如何やって逃げる積もり? ボク達は兎も角、あの人間達が見てる前で天使の力を行使したら逃げ隠れる意味が無くなっちゃうよ?」
不敵で大胆な笑みを零しつつ互いを嘲笑と挑発で牽制し合うアルピナとレムリエルの間に、クィクィは割り込む様にして言葉を掛ける。本気で心配しているつもりは無いし天使如きにそんな恩を売りたくなど無いのだが、しかし同じ神の子として不都合を道連れにされるのは御免被りたいが故の仕方無しの言葉だった。
実際、ガリアノットらが此方に警戒心たっぷりに駆け寄ってくる現状から逃げ出すのは非常に面倒臭い。別に実力上は全然問題無く蹴散らせる為に大して気にも留めていないのだが、しかし彼彼女ら天使はアルピナ達と異なり認識阻害の聖法を使用していない。その関係上、少々遠巻き乍らも顔を見られている状況から無事に逃げるのはそこそこな面倒臭さがあるのだ。
何より、現時点で悪魔の存在も天使の存在も人間達からは認められていない。その為、此処で翼を伸ばして逃げ出そうものなら人間達に不必要な情報を与えてしまう事になってしまう。そうなれば、今後もこうして人間社会の中で活動する事は僅かだが確実に面倒になるし、何より王都に潜入している我が君ことセツナエル達に迷惑を掛ける事になってしまうだろう。
だからこそ、レムリエルは現時点で取るべき最善の選択を探して逡巡する。表向きはその焦燥を悟られる事が無い様に平然且つ飄々とした態度振る舞いを残しつつ、しかし脳裏には凡ゆる可能性や仮定を並列させて思考を深めるのだった。
「さぁね? でも、どうせ相手はセナとルルシエとアルバート君以外は何の力も無い人間達なんだし、手段なんて幾らでもあるよ。それに、クィクィだって昔からよく人間社会に遊びに行ってたけど、未だに大きなトラブルになった事無いでしょ?」
ねっ、とレムリエルは優しく穏やかな口調で同意を求めようと然り気無いウィンクを零す。その態度に対して、クィクィは何処か不機嫌そうな感情を携えてムッと頬を膨らませる。同時に、そうだけど、と煮え切らない思いを吐露する事で、彼女は挑発が上手く効かなかった現実に対して不機嫌になるのだった。
さて、とアルピナ、スクーデリア、クィクィは、其々《それぞれ》改めて同時にガリアノット達人間を見つめ乍ら小さく息を零す。呼んだのは実質自分達の様なものだが、しかしあまりにもの間の悪さには如何しても不満が生まれてしまう。
だが、そんな彼女らの態度振る舞いを何処か面白そうに見つめるレムリエルは、聖力を集約した指を軽やかに一度鳴らす。聖力の込められた音波が空間を疾走し、軈て溶けて消える。それは、一見して何でもない行動でしかない。しかし、その行動の真意を知っているアルピナ達は、この先に待ち受ける展開に対して其々《それぞれ》分かり易く溜息を零すのだった。
レムリエルのフィンガースナップが霧散した先、そこに待ち受けていたのは何処かで見た様な空間の罅割れと、それに続く様に空間を押し退けて広がる暁闇色の渦だった。濃密な聖力のみで構築されたそれは、間違いなくヒトの子の常識では再現不可能な御業であり、クオンにしてみれば懐かしくも忌々しくも感じられる現象だった。
軈てそんな暁闇色の渦は徐々に拡大し、内部からは此岸の様でありつつも彼岸の様にも感じられる独特な空間が微かに見えるようになる。しかしそれは、聖眼乃至魔眼若しくは龍眼を凝らさなければ見られない景色であり、肉眼からは暁闇色の靄がそれを拒む様に広がっているだけだった。
その景色の正体は、渦の先に繋がっている領域。空間全体を聖力が満たす、神の子たる天使が本来生息する領域たる天界の事。根源的力とそれによって齎される色以外は魔界と瓜二つであり、宛ら双子の様な存在でもあった。
そしてそのまま天界と完全に接続された暁闇色の空間の渦の先からは、無数の聖獣達が大挙を成して姿を見せる。どれもが非人間型の所謂獣や羽虫を彷彿とさせる姿形をしており、共通して額から暁闇色の角を生やしている。魂からは比較的貧弱乍らも聖力を放出させており、相互に共鳴し合う事で相対的により強力に感じさせられる。
咄嗟にクオンは異空収納から遺剣ジルニアを引っ張り出す。魂から魔力を産生し、龍脈を遺剣から体内へと逆流させ、魂の内奥で龍魔力として合成する。そして、そうして生まれた龍魔力を再度遺剣へと還元しつつ瞳にも流す事で、クオンは彼らを迎撃する耐性を整える。
一方で純粋な悪魔であるアルピナ、スクーデリア、クィクィはというと、そんな光景などまるで意に介さない、とばかりに冷めた瞳で聖獣達の出現を眺めていた。一応は魔眼を開いて最低限の備えこそしているものの、しかし魔剣や魔爪といった武器を形成する事は無く、それでも少年に危険が迫らない様に少しばかり気に掛けるのだった。
「成る程。聖獣と魔物の区別が付いていない人間達にとってはこれも魔王の責任という事になり、君達が天使だと気付かれる恐れも無いという事か」
「正解。それに、これだったらあの人間達も少しは楽しめるでしょ?」
それじゃあ始めよっか、というレムリエルの発言に揃える様に、聖獣達は全て街中に吐き出し終える。レインザード攻防戦に於いてアルピナ達が呼び寄せた魔物の数には及ばないものの、しかしそれなりの数は用意されていた。それこそ、ガリアノット達人間の部隊では処理し切れない程度の数は確保されている様だった。
やれやれ、とアルピナは大きく溜息を零す。それは宛ら、子供の突飛な行動に呆れる母親の様な微笑ましさであり、或いは弟妹の悪戯を優しく受け止める姉の様でもあった。何れにせよ、レムリエルの行動に対して彼女としては特別感心も憤懣も抱いてはいない様子なのは確実だろう。
対して、漸く会話も成り立ちそうな距離に迄近付いたガリアノット達は、突如として出現した聖獣達——彼らからしてみれば聖獣も魔物も総じて魔獣と呼称される——を前に身を硬直させる。圧倒的な破壊の使者とでも呼ぶべき外敵を前にして、咄嗟の判断力が封殺されてしまったのだった。
しかしそれでも、彼彼女らは如何にか理性を振り絞って腰に携えていた剣を抜く。民草を危険から護り抜く使命を抱く兵士としての矜持を改めて思い起こし、其々《それぞれ》覚悟の焔を己の瞳に宿す事で心を奮い立たせるのだった。
そして、彼彼女らがそこに到達するより僅かに早く聖獣達とアルピナ達の戦闘が開始される。レムリエルの命令に従って勝てる筈も無いアルピナ達に挑む聖獣と、決して負ける事の無い聖獣達を迎え撃つアルピナ達は、街中である事を忘れたかの様に聖力と魔力を衝突させるのだった。
その戦闘はかなり局地的乍らも、しかしだからこそ激しさはレインザード攻防戦を彷彿とさせる程に苛烈。それにより、辺り一面には嵐の如く土埃が舞い上がる。無人の家々は衝撃を受けて脆くも崩れ落ち、轟音と振動を生み出して一層の瓦礫埃を舞い上がらせるのだった。
次回、第282話は7/6公開予定です。




