第280話:ガリアノット達の接近と撤退の意思
『ごめんごめん、説明してなかったね。私達もまさかアルピナ達があんな事してると思わなくって。えっとね、あれは認識阻害の魔法だよ。私は使った事無いし抑初めて見るんだけど、ザックリ言うと第三者から見た時の姿形の認識を変える魔法よ。その中でもあれは肉体に掛けられている認識阻害だね。だから魔眼で見た魂はアルピナ達のままだけど、肉眼で見る姿形が違って見えるの。……こんな説明で良いかな、セナ?』
影の中からセナをチラリと一瞥しつつ、ルルシエは確認を取るかの様に問い掛ける。認識阻害の魔法などという骨董品と呼んで差し支え無い様な古い魔法を見られた事に対するちょっとした感動とそれに素直に引っかかるアルバートの困惑を面白がる気持ちが綯交された、可憐な笑顔を浮かべていた。
『ん? あぁ、そんなもので良いんじゃないか? それにしても、まさか今の時代になって使ってる場面に出会すとは俺ですら思わなかったな。あの魔法、確か俺が生まれた時にはもう既に廃れてた魔法だったからな』
やれやれ、と感心にも呆れにも似た複雑な微笑を携えて、セナはルルシエの説明に過誤不足が無い事を認める。同時に、何故アルピナ達が態々《わざわざ》そんな古い魔法を引っ張り出して迄こんな所で天使と戦っているのかや、人間側として如何介入するのが正解かを彼是思案する。
そして小さく息を吐き零し乍ら、兎も角、とセナはそんな思考を放棄する。どれだけ考えても何ら尤もらしい答えなど出て来る訳も無く、やはり直接問い詰めるより早いものは無い事を改めて強く実感するのだった。
『一先ずアイツ等の所に行ってみるとするか。此処でジッとしていた所で得られるものなんて何も無いし、何よりこの人間達が俺達の意見を待ってるみたいだからな』
セナはガリアノット達人間に悟られない様に注意しつつ彼彼女らを一瞥する。彼彼女らはそんなセナ達の意見を今か今かと待ち侘びており、彼は魔眼で彼らの魂を詳らかにさせる事でその真意を表面上の感情ではなく深奥の本心で捉えるのだった。
「あれは……何でしょうか? 申し訳ありませんが、私共にも理解し兼ねます。ですが、顔立ちからしてレインザードを襲撃した魔王ではない様です。しかし、何時迄も此処で待っていた所で状況は何も変わらないでしょう。僭越乍ら意見具申致しますが、住民達から不安の種を除去する為にも、やはり直接制止に向かうべきかと」
セナは、適度に嘘を交えつつガリアノットに意見具申する。魔眼がある為にあれがアルピナ達——人間達の言葉を借りるなら魔王達——である事は事実なのだが、しかし彼らの思考に話を合わせる様に認識阻害に掛かった振りをする。
幸い、魔眼を閉じて魂を見えなくすればセナでも彼女らの認識阻害には容易に騙される事が出来る。その為、認識阻害を受けた状態の彼女らの姿形に関して彼彼女らと齟齬が生じる心配も無かった。何やらアルピナ達に良い様に弄ばれている様な気分で少々癪だが、しかし仮に敵対していたら絶対に騙されるのだから今更憤りを覚える事は無かった。
「あぁ、そうだな。では、早速行動を開始しようか」
そして、そんなセナの意見具申を素直に受け入れてガリアノットは作戦決行を覚悟する。この手の指揮官は大抵自身の能力を過信して部下の意見具申を軽視する傾向があるのだが、しかしガリアノットは意外と柔軟性に富んでいる様だった。40代という自身の能力に比較的自信を持てる時期であり且つ比較的思考が凝り固まり始める年代という事を考慮すれば、随分と新鮮味がある態度振る舞いだろう。尤も、人間を殆ど知らないセナとルルシエにしてみれば知った事では無いのだが。
兎も角、進むべき方向性が定まった事からガリアノット達は早速行動を開始する。王国の中でも取り分け練度が高い組織の一部隊という事もあり、やはりその身の熟しは流石としか言い様が無い。本を正せば単なる民間人として収斂されるアルバートからしてみれば惚れ惚れする様な姿だった。だからこそ、そんな彼彼女らに後れを取らない様に、彼もまた相応に気持ちを引き締めて彼彼女らに追従するのだった。
一方で、彼と同じく英雄として崇め称えられているセナやアルバートの陰に潜んで彼をサポートしつつ事の成り行きを見守っているルルシエは、彼とはまた異なる思考を描いていた。彼と異なり根本的な種族からして人間ですらない彼彼女の価値観では、別にガリアノット達に対してそれ程迄に類稀な身の熟しを見出せなかったのだ。
確かに、その辺の民草を捕まえてそれと比較すれば、彼彼女らから立場相応の良さが見出せるのは事実だろう。しかし、裏を返せばその程度でしかない。悪魔というヒトの子より明確な上位存在としての格がある限りに於いて、彼彼女らの身の熟しは何処迄突き詰めようとも畢竟人間でしかないのだ。
その為、英雄として表に出ているセナは、彼彼女らの人間的価値観に於いて素晴らしいと称される身の熟しに合わせる様に力を制御して彼彼女らに追従する。同時に彼は、横で肩を並べるアルバートの様子を適宜見守りつつ、アルピナ達は果たして何を企んでいるのだろうか、と頭を悩ませるのだった。或いは、彼女達の事だからまた勝手気ままに暴れ回っているのだろうな、と事後処理の面倒臭さに溜息を零しつつ、しかしあくまでもそれを悟られない様に平常心の仮面を被るのだった。
同時に、アルバートの陰の中から彼を支援乃至庇護するルルシエもまた、アルピナ達の企て事が一体何かを楽しむ様に好奇心を高めていた。それは、セナと異なりアルピナ達が勝手気ままに暴れていた時代を知らず彼女らの御遊びに巻き込まれた事が無い為に生まれる純粋で平和的な感情だった。セナからしてみれば羨ましい事この上無いが、同時に無知である事に対する憐憫の情を改めて実感するのだった。
そして、そんな決意と覚悟と誇りを宿して不審な動乱の解明と制止をしようと駆け寄ってくるガリアノット達を視認しつつ、アルピナ達は其々《それぞれ》小さく息を零す。天使も悪魔も揃って動きを止め、聖力も魔力も全て魂の内奥へと帰還していた。瞳も其々《それぞれ》彼彼女らが一柱一柱個別に保有する個体色へと染め戻り、煌びやかな宝石箱の如き燦然たる美しさを齎していた。
同時にクオンもまた、そんな彼彼女らの態度から戦闘意思が消失した事を認識し、自身が身に纏っていた薄い龍魔力を分解して其々《それぞれ》魂と遺剣に帰還させる。そして、少年を伴いつつアルピナ達と合流する様に彼女らの方へ近付くのだった。
また、つい先程迄少し離れた所からアルピナ達の様子を眺めていたレムリエルもまた、何時の間にやら地上に降り立ちアルピナ達の直ぐ近くに迄やってきていた。と言っても、何か危害を加えてやろうというつもりは更々無く、殺気も無ければ聖力も一切放出していない穏やかな藤色の瞳をしていた。
「残念だけど、此処迄かな?」
「おや? 君ともあろう者が人間を相手に尻尾を巻いて逃げ出すつもりか?」
邪魔者の乱入に微かな不満を覚えつつも、しかしあくまでも普段と変わらない穏やかで可憐な態度乃至口調を崩さないレムリエルは、小さく溜息を零しつつも撤退の意思を口にする。人間達とのトラブルは余計な手間が増える要因でしかない、と本能的に察知しているが故の逃げ足の早さだった。
対して、そんな彼女の意思を分かり切っているアルピナは、分かり切っているからこそ敢えてそれを嘲笑するかの様に彼女を挑発する。臆病者、と見下しつつ思考を否定する言葉で投げつけ、敢えて場を混沌とさせようとしているかの如き質の悪い相好で睥睨する。
次回、第281話は7/5公開予定です。




