第275話:奇妙な騒ぎ
その後、一通り情報及び意思の共有が完了した彼らは揃って宿を出て町に降り立つ。魔王襲来らしき兆候が確認されてから6日程経過したが、こうして一目見る限りではそれを感じさせない程の平和が回復しつつある様だった。勿論、良く良く見てみれば倒壊した建物やそれにより住む場所を失った者がチラホラ確認されるが、レインザードの惨劇を思えば比較的優しく感じる。或いは、ちょっとした自然災害が過ぎ去った後の様にも思わせてくれる。
しかし、民草の平和と安寧を確保する事を生業とする以上、この状況に良しという事は出来無い。四騎士として、或いはその直属部隊として、将又人間社会の救世主たる英雄として、彼らは眼前の現状を直視するのだった。
「さて、それじゃあ今日も早速だが——」
そう言ってガリアノットが部隊全体に改めて声を掛けようとした、正にそのタイミングだった。突如として町の中心部の方角から奇妙な騒ぎ声が届く。しかも、平和的な喧騒では無く何らかの被害とそれに伴う混乱によって齎される喧騒だった。
何だ、とガリアノットはそんな声が響いてくる方角を向く。建物に阻まれて遠くの様子は何も見えないが、しかしその方角から多くの人が逃げる様に現れ出て来るのを見て只事では無いと確信する。それこそ、幾度と無く人間達を苦しめ続けている魔獣だったり、或いは最近現れた新たな脅威である魔王の可能性すら考えられる。考え過ぎかも知れないが、しかし寧ろそうであって欲しいとすら思っている始末だった。
同時に、英雄として人間に協力しているセナとアルバート及び彼の影に潜伏しているルルシエもまた彼と同じ様にその方角を見る。魔眼を開き、彼らは肉眼で見えない部分を魂の動向を利用する事で全て詳らかにしようとする。勿論、魔眼などという存在を人間達に露呈してしまわない様に細心の注意を払った上で、且つ魔力量も必要最低限迄絞っての行動だった。
『これってアルピナ達の魂だね』
『あぁ。見つける手間が省けたというか、朝早くから暴れ過ぎというか……』
一体何があったんだ?、と彼らは揃って心中で首を傾げつつ脳裏に疑問符を浮かべる。状況を何一つ把握していないという事もあり、現状に対して皆目見当が付かなかった。未だそこ迄大きな騒ぎになっていないという事だけは理解出来るが、しかしそれだけだった。
そんな中、アルバートは一つの疑問を抱く。最近になって漸く魔眼が使える様になったという事もあり、得られる情報はかなり少ないし抑そうして得られた情報に対してイマイチ確信が持てない。しかし、何度も確認する事でそれが見間違いでは無い事を彼は確信する。それでも、改めてその違和感が本物である事を確信する為に、彼は二柱の悪魔にそれを確認する様に精神感応で問い掛ける。
『ですが、一体誰と戦っているんでしょう? 俺の魔眼ではそれらしい魂が映りませんが……』
アルバートは魔眼に注がれる魔力量を少しばかり上昇させつつ、改めて問題となる地点の様子を探る。しかし、それでも尚アルピナ達が相対している者の魂が見えてこない。状況や魂の動向からして何らかの戦闘行為が勃発したのだろうとは推察出来るのだが、しかし肝心の相手が見えないのだ。
若しかしたら魔眼の出力が弱過ぎて見えないだけなのかも知れない、とも考えたのだが、しかし人間以外のヒトの子の魂でも把握出来る程度の出力は確保されているのだ。とても出力不足とは考えられなかった。
だからこそ、彼は自身より魔眼の出力も操作性も優れている二柱の悪魔に確認を仰いだのだ。知識も経験も全てが不足している自分では不可能な領域も、種族として根本的に格が上の彼らなら何か見えてくる筈だ、という最大限の信用によって抱かれる思いだった。
しかし、そんな彼の目論見は大きく外れる事となる。彼がアルピナ達の敵を確認出来無い様に、セナとルルシエもまた同様に本来見える筈のものが見えなかった。そんな本来であれば到底あり得ない状況に、彼ら二柱は揃って困惑の顔色を浮かべつつ言葉を零す。
『うん、私の魔眼も一緒。別に戦っている訳じゃ無いって事かな?』
『いや、戦闘中なのは確実だ。ただし、魔剣とか魔爪みたいな武器を使って戦ってる訳じゃ無く素直に素手で戦ってるみたいだな。だからこそ、余計に相手が見えないのは違和感があるな』
セナの魔眼はアルバートやルルシエが持つそれよりも遥かに精度が高い。幾ら一度死と復活を経験して大きく弱体化しているとは雖も、しかし一応は旧世代の神の子なのだ。死亡期間を抜いて考えても、ルルシエがこれ迄経験してきた時間を100倍して尚彼の足元にすら及ばない程の長い時を生き抜いてきたのだ。未だ未だ彼女に負ける訳にはいかない意地があった。
そして同時に、それだけの魔眼を持っていて尚認識出来無い何かがある、という事実には驚愕の色を隠す事は出来無い。出来無い事は無い、と得意気になる積もりは毛頭無いが、しかし余程のものでもない限りは出し抜かれる事は無いだろうと確信していた。
しかし、現実としてこの状況になってしまった。苛立ちこそ無いものの、しかしそれに等しいだけの違和感と警戒心だけはしっかりと抱いていた。何かマズい状況になった、と改めて緊張の糸を張り詰めると共に、只英雄の御飯事をするだけに終わらない事を実感するのだった。
『状況からして戦ってるのは多分天使かな? でも、別に魂を秘匿しているとかそういう事じゃないみたいだよね。如何しよう? 如何にかして様子を見に行ってみる? 人間達にはリスクが大き過ぎるとは思うけど……』
『そうだな……これが仮に神だったら降りてきた時点で気付かない筈が無いし、仮令龍だとしてもこの程度の距離だったら肉眼でも見える。何より、ヒトの子だったら魂に干渉出来ない。そうなると、やはり相手は天使しかないだろうな。だが、別に彼是理由を付けて様子を見に行く必要も無いだろう。態々《わざわざ》そんな事しなくてもこの人間なら——』
そう言いつつ、セナは直ぐ側で様子を見ているガリアノットを一瞥する。正義感と責任感に満ち溢れたこの男がこの状況を前にして採る行動は一つしかない、とセナは確信していた。別に特別信頼も信用もしていないが、利用価値の観点で見ればこの上無い行動力として頼りになるのだ。
そして、やはりセナの予想通りとでも言ってしまいたくなる程に、ガリアノットはセナの目論見通りの反応を示す。彼は小さく息を吐くと背後に侍る自身の部隊全体へと向き直る。そして、覚悟を決めたかの様に部隊全体に対して大きく指示を飛ばすのだった。
「今日も復旧作業と情報収集に各自当たって貰おうと思ったが、悪いが予定を変更する。如何やら町の中心で妙な騒ぎが起きている様だからな。先ずはそれの確認と鎮静化をしするとしよう。魔王ではないと思いたいが、何やら悪い予感もする。何より、この騒ぎでは復旧作業処の話では無いからな」
英雄殿もそれでよろしいか?、と同意を求める様にガリアノットはセナとアルバートに問い掛ける。指揮権は全て彼に移譲している手前態々確認を求める必要など無いのだが、しかしあくまでも外部の者としての体裁を保たせる必要があるのだろう。それならそれで無理に改善させる必要も無いな、と適当に受け流しつつ、二人は揃って頷く事で同意を示すのだった。
そして、ガリアノットの指揮に従って彼らはその騒ぎの中心地へと向かう。統率された一糸乱れぬ動きは見事なもので、軍隊としての練度の高さが窺える。そしてそれは、それを見る人々に安心感を齎すのに一役買うのだった。
次回、第276話は6/30公開予定です。




