第274話:朝の用意支度
一方、そんな傍迷惑なストリートファイトが勃発するより本の少し前。町の一角でそんな事が行われる事になるなどまるで思いもしない英雄及び四騎士の一行は、朝早く起床した後に各々の慣習と任務に沿った行動を各自取っていた。日頃の鍛錬で身に付いたその統率された用意支度は見事なもの。全王立軍の中でも選び抜かれた極一部の優秀者しか配属されない事からも分かる通り、流石王国内で指折りの精鋭とも称される四騎士直属部隊なだけの事はある。
そして、そんな精鋭達に混ざって行動を共にする事になった客員兵士待遇を受ける英雄ことセナとアルバートもまた、この部隊の指揮官たるガリアノットと共に身支度を整える。彼らもまた指揮官及びそれに相当する立場という事もあり、他の一般兵以上に仕事と責任が山積していた。
故に、兵士としての訓練を一切受けていないアルバートは彼ら一般兵の統率された一挙手一投足に惚れ惚れすると共に、彼らに置いて行かれない様に忙しなく右往左往していた。対して、抑として人間ですらない為に身支度の必要性が無いセナは睡眠の必要が無い事も相まって暇そうに町の景色を眺めていた。
窓辺に腰掛ける彼の姿は、宛ら額縁に飾られた絵画の様に美しく、菫色の髪と瞳が朝の陽射しを目一杯受ける事で健やかな輝きに濡れていた。一応悪魔と人間は本質こそ異なれども姿形に差異は無い筈だが、しかしとてもそうとは思えない程に美しかった。
そして、そんな二柱のまるで異なる態度振る舞い乃至状況をアルバートの影の中から静かに見守るルルシエは、一人その状況を楽しむかの様に笑みを零していた。英雄としてその存在を認知されていない為に仕方無いとはいえ、その態度は彼女が隠れている影の主であるアルバートからしてみれば何とも言えない腹立たしさを抱かせてくれる。
しかし、幾ら不満を抱けども、だからと言って何かが変わる訳では無いのだ。確かに彼女はアルバートのサポート役としてスクーデリア達の指示に従って彼に付き従っているが、決して母親では無いのだ。実際、今やその命令以外にも個人的な好意からアルバートの支えになろうと彼是力を差し伸べているが、だからと言って身支度に迄介入するのは程度が過ぎるだろう。何より、アルバートもそれは望まない。それ処か、こうして見られている事すらちょっとした羞恥体験ですらある。
だからこそ、ルルシエはこうして楽しんでいる事は内緒にしつつ、しかしその上で好き勝手堪能するしか無かったのだ。勿論、アルバートがそれに気付かない筈が無いのは承知の上での話である。立場の違いから彼が拒絶出来ない事を利用した、彼女なりの悪戯心だった。
『随分と楽しそうだな』
彼女の脳裏に精神感応を繋ぎつつ、セナは微笑ましそうに見つける。上位悪魔として後輩たる彼女を見守る様な温かみと、上位種族として下位種族たる彼を管理する温かみを内包したその声色は非常に静か且つ柔らかい。普段日頃の彼とは少々異なる印象を抱かせてくれるそれは、寧ろ違和感と気味の悪さすら感じさせてくれた。
その為、それを発するセナにも受け取るルルシエにも揃って悪気は無いのだが、両者の間には微妙な心理的距離が構築された。決してこの場以外に於いては一切の悪影響を及ぼさない程度の遊びとしてのそれだったが、しかし存在している事自体は確実だった。
『えっ、そう見える? まぁ、強ち間違いじゃないかもね。だって、私って人間と触れ合うのは今回が初めてだし。それに、アルバートって何だかんだ言って放っておけないからね』
それで、とルルシエは適当な雑談は程々にして単刀直入に話を切り込む。アルピナ程無駄話は嫌いでは無いが、しかし何もする事無く只人間達の用意支度を待っておくのも暇で敵わない。かといって町の中で一人散策する程の自由も無いという事もあって、仕方無い行動だった。
『今日は如何するの? アルピナ達と合流するの今日に先延ばししてたけど、具体的な集合場所とか時間とか何も決めてないよね? 若し必要なら私だけ先に会いに行こっか?』
影の中にいるお陰で彼女の姿形は拝めないが、しかし首を傾げつつ疑問符を頭上に浮かべている様はセナの脳裏に鮮明に浮かぶ。健気で微笑ましく感じる態度は実に新生神の子らしい生真面目さだな、と嘗て自分も同様だった事を思い出す様に懐かしみつつ、セナはルルシエの提案の内容を逡巡する。そして、ものの数秒である程度の方向性を取り決め、その流れに沿う形を彼女に投げ返す。
『いや、態々《わざわざ》出向かずとも精神感応で何時でも連絡は取れるから放っておけば良いだろう。それに、人間社会の活動時間から考えれば別にそこ迄急ぐ必要も無い。昼を過ぎて連絡が無ければ、その時こそこっちから動けば良い。それに、一応アルピナ達からの指示では基本的に英雄としての活動を優先しろって言ってたからな』
表向きの相好では眉一つ動かさない寡黙な態度を保っているセナだったが、しかし精神感応が繋がれている脳内では普段の彼らしい知的な穏やかさと明るさが花咲いていた。上位悪魔としての経験と人間社会潜入組最年長としての責任感によって生み出されるその鷹揚な態度は、何とも頼りになる姿だった。
故に、ルルシエはその言葉に対して何一つ反論も反駁もする事無く素直に受け入れる。全幅の信頼と最大限の信用を胸に、りょ~かい、と彼女はにこやかに言葉を返すのだった。同時に、影の中であっても燦然と輝く翠藍色の瞳をこれでもかと主張しつつ彼女は静かに精神感応を切断した。
そしてそれとほぼ同じタイミングで人間達の用意支度も完了した様だった。ヒトの子って何かと不便だなぁ、と言いたくなる気持ちをグッと押し殺し、セナはアルバートと肩を並べる様に集団の輪に属し、ルルシエはアルバートに意識を向ける。
両者共に人間達や町そのものに対して深い思いや情などは欠片たりとも持ち合わせておらず、只アルピナ達の意に沿う様に任務を遂行する事とアルバートを最後迄護り抜く事の二点しか考えていなかった。
対してアルバートは、そんな二柱の悪魔から寄せられる重たい加護をありがたく思うと同時に、彼らに対して羨望の想いを向ける。幾らスクーデリアと契約を結んでいるとは雖も彼らと異なり只の人間でしかない彼としては、彼らの様な余裕に満ち溢れた態度を取れる余裕が無かった。
だからこそ、アルバートは楽しそうに談笑する彼ら悪魔を放置して英雄としての本業に専念する。彼らの様に、その場その場の対応で如何とでもなる、と豪語出来る程の圧倒的な力も頭脳も持ち合わせていなかったのだ。
それに加え、せめて誰か一人でも話を聞いておかないと変に怪しまれるという彼なりの懸念もまたそれを促していた。別に会話と精神感応の両立程度訳無い、とセナは常々思っているし、ルルシエも影の中故に受け答えこそ出来無いものの聞く分には支障無く可能ではある。しかし、当の本人であるアルバートが出来無い事には仕方無いだろう。
未だ神の子の力の一端を授かってからは日が浅いし、本質的にはヒトの子でしか無いのだ。機能的には可能でも能力的な側面から困難を極めていた。誰もかれもがクオンの様に直ぐ様凡ゆる力を使い熟せる訳では無いのだ。
そして、其々《それぞれ》がそんな思いや思考を脳裏で回している間にも、ガリアノットとの情報共有と伝達は滞り無く進む。といってもする事自体は昨日とほぼ何も変わっていない為、大した会話も交えていないのだが。精々、そろそろ魔王の捜索に本腰入れて着手したい、という意思が統一された程度でしかない。気持ちばかりが先行して技術的な困難さ迄は解消されていない以上、その程度でしかないのは仕方無い事だった。
次回、第275話は6/29公開予定です。




