第271話:天使の翼と悪魔の翼
そして、そんな二柱から不安そうな顔で視線を投げ掛けられるクィクィは、その意図を察知したのか露骨に嫌そう且つ不機嫌そうな顔をして二柱を睨み返す。まるで自分の事を馬鹿にされている様な気分になり、寧ろ望み通りにしてやろうか、と思考を過ぎらせつつムッとするのだった。
「酷いなぁ、二柱とも。ボクの事を何だと思ってるの? それとも、お望み通りならホントにやってあげるけど?」
緋黄色の瞳を金色に輝かせつつ、クィクィは魂から黄昏色の魔力を放出させる。周囲で驚いた様に身を強張らせる彼女が好んでいる人間達をまるで気にする事無く放出されるそれは、温暖な海風と共に大路を疾走する。
軟弱なヒトの子の魂を容赦無く蝕むその覇気は、彼女より僅かに年上であり実力もそれ相応に格上であり相性上有利なレムリエルでさえも圧倒されてしまう程。レインザード攻防戦時でさえも放出した事が無い本気の殺気だった。
それはつまり、クィクィが放ったのその言葉が冗談でありつつも冗談では無い事の証左。お望みなら本当にそれをする事も可能だ、と暗に示している態度振る舞いだった。或いは、既に半分程不機嫌になっているのかも知れない。そんな印象だった。
だからこそ、アルピナはやや本気になって慌てる。露骨に態度振る舞いに出したりこそしていないものの、心中では彼女の普段の態度に似つかわしくない程の狼狽を浮かべていた。それこそ、クオンが死に掛けたらこれくらいは動揺しそうだな、と予想出来る程度には、彼女は感情を乱されていた。
「まさか、只の冗談だ」
それより、とアルピナは改めてレムリエルに話の意識を向ける。殺気を含む魔力で魂を刺し、決して嘘を付いて言い逃れする事も振り切って逃走する事も許されない緊張感と恐怖感で状況を支配する。悪魔公としての地位や品格を最大限活用したその態度は、普段の彼女以上に悪魔らしかった。
そして、そんな彼女の態度に促される様にクオンもまた気持ちを切り替えてレムリエルを睥睨する。冷汗を額から流し、眼前の陽気で朗らかな天使に対して最大限の警戒を浮かべる。同時に、つい先程迄アルピナ達の会話に流されて気を緩ませていた己を心中で恥じるのだった。
それ程迄に、レムリエルは強者なのだ。アルピナから授かった魔力と遺剣から注がれる龍脈のお陰で智天使級天使とも多少は渡り合えている為に忘れてしまいがちだが、本来クオン程度では如何頑張っても上位三隊の天使と対等に戦える筈が無いのだ。
実際、シャルエルに肉体的死を与えたりクィクィの魂からルシエルの天羽の楔による精神支配を引き剥がせたのは奇跡に近い。それこそ、彼彼女がクオンを只の人間だと慢心していたかアルピナやクィクィの支援があったからこそ為せた事なのだ。決して自分一人の力で事を為せた訳では無い。
それに対してレムリエルは、クオンの事を決して侮ってなどいないし慢心もしていない。クオンの事を純粋に強者として認めた上でアルピナ、スクーデリア、クィクィと同程度に警戒している。その上でこれだけ隙だらけな姿を晒しているのだ。警戒しない訳にはいかないだろう。
何より、彼女を含む現在ベリーズにいる天使達の魂が見通せないという問題を未だ解決出来ていないという事実もまた、その不安と警戒に拍車を掛けている。今も龍魔眼を開いて如何にか探ろうとするが、これだけ眼鼻の距離にいて尚そこに魂が存在している事を認識出来無いのだ。
これがアルピナと出会う前、即ち神の子という上位存在やそれに根付く凡ゆる知見を認識する前なら何も疑問に思わなかった。魔眼も龍眼も持たず、抑として魂なる存在の実在性を有していなかったのだから疑う余地すら無いのだから当然だろう。
しかし、こうして魂なる存在の実在を確固たるものとしつつ龍魔眼を得てその存在を視覚的に得られるようになった今、それが見えないという現象が気持ち悪く感じてしまう。これ迄見えなかったものが見える様になった今、その見えるものが見えなくなった時にその見えないという現実が違和感を生むようになったのだ。
故に、まるで相反する二つの状態が重なり合って存在している様を観察している気分になりつつ、クオンはレムリエルを観察するしか無かった。得体の知れない恐怖と如何いう理屈でそれが成り立っているのかに対する興味関心が沸き上がり、しかし敵対しているからこそ最大限の警戒心で心理的な距離を取らざるを得なかった。
しかし、幾ら警戒心を張り詰めて睥睨しても状況は何一つ好転する事は無い。それ処か、一人勝手に警戒して緊張しているだけでしか無く、一人勝手に体力と気力を消耗しているというバカげた自滅状況に陥るだけでしか無かった。
そんな彼の一人勝手に自身の思考に振り回されている無様な姿を横目で微笑ましく一瞥しつつ、アルピナはレムリエルに言葉を投げ掛ける。それは、迂遠でくだらない冗談を嫌う彼女らしい直接的な問い掛けだった。
「用件は何だ? まさか、只の朝の挨拶などとは言わないだろう?」
「昨日の続き。また明日って昨日言ったでしょ?」
忘れてた?、とレムリエルは首を傾げつつアルピナの言葉を否定する様に問い返す。一見して穏やかなその言動も、しかし何時でも戦闘行為に移れられる程の備えは整えられており、クオンや少年の瞳では一切の隙が伺えなかった。
それに反してアルピナ達悪魔は、そんなレムリエルの態度に対して一切の驚きも警戒も無く素直に受け入れる。こうなる事が予め分かり切っていた、と言わんばかりのその態度は、やはり彼女達の実力の高さを窺えるものだった。
そんな刹那程の時間で交わる強力な殺気と殺気の衝突は、何時物理的な衝突に変貌しても何ら不思議では無い程の不安定さを併せ含んでいた。レムリエルも、アルピナも、スクーデリアも、クィクィも、所謂神の子と呼ばれる者達の間にはヒトの子たるクオンや少年では到底参加する事すらままならない程の力が渦巻いていた。
そんな長い様で非常に短い時間が送られている間にも、レムリエルの背後に複数の人間が集結する。それは普段と異なり翼が見えないお陰で一瞬だけ勘違いしてしまったが、人間にしか見えない彼らの正体は全て天使。何れも魂から暁闇色の聖力を滲出させる事でその正体を露わにしていた。
クオンはそんな彼らを見て、全員がレムリエルと同じ無翼の天使とも称される座天使級天使なのではないか、と警戒したが、しかし聖力から推察するに如何やらそうでは無い様子。何れの天使も、アルピナ達と同じく翼を秘匿しているに過ぎない有翼の天使達の様だった。
抑、天使の翼も悪魔の翼も鳥の翼の様な機能的な意義は全く以て無い。飛行は全て聖力乃至魔力によって行われるし、仮にそうでは無かったとしても肉体-翼間の体積比の都合上から如何頑張っても飛行には活用出来無い。尚、龍だけは翼を使用して飛行が可能だが、態々《わざわざ》それをするのも無駄に体力を浪費するだけという事もあり補助的な役割でしか使用していなかったりする。
その代わり、天使の翼は自身の種族が持つ権威の象徴として、悪魔の翼は自身の種族が持つ力の象徴としての意義を有している。言い換えれば、それを秘匿するという事はそれら権威乃至力を否定する事にも繋がるという解釈も可能だったりする。
しかし、地界に於いて天使も悪魔も魂の管理という権威は最大限行使出来るのに対して放出出来る力の量は天魔の理により制限されている。だからこそ地界に降りている間は、天使は権威の象徴たる翼を基本的に出したがるし、悪魔は力の象徴たる翼を隠したがる傾向にある。
次回、第272話は6/26公開予定です。




