第267話:町の様子と情報不足
数時間後、ベリーズの門を小規模な一団が静かに潜る。何れも洗練された武器防具を身に着け、傍から見るだけでもかなり裕福な立場にある者だと確信出来る。気候を考えれば少々暑苦しそうな気も否めないが、しかし魔獣が跋扈する平原をこれ以上の薄着で駆けるのはリスクが大きい為仕方無いのだろう。
それは、四騎士ガリアノット・マクスウェル率いる部隊に英雄二人を加えた即席の部隊。此処ベリーズに出現したと思われる魔王の真偽を確認しつつ必要に応じて対処する事を目的とした彼らは、其々《それぞれ》警戒心を強く宿した瞳で周囲を見渡す。
「これは……!?」
彼らは、自身の瞳に飛び込んできたその光景が信じられず絶句してしまう。如何言葉に言い表したら良いのか、それに相応しいだけの語彙力を有していなかった。辛うじてレインザードよりはマシだ、と心中で同情する事しか出来無かった。
それ程迄に、ベリーズは荒れ果てていた。温暖で陽気な漁業の町として栄えてきたとは到底思えない殺伐とした冷たい姿は、宛ら蝗害が過ぎ去った後の農村地帯の様にも捉えられ得るだろう。仕事とはいえ、余り直視したくない光景だった。
それこそ、出来れば夢であって欲しいな、と無意識の内に心中で呟いてしまう程に悲惨な姿。憖レインザード攻防戦時と異なり民間人に相応の負傷者が出ている事が、その悲惨さに拍車を掛けている。或いは、この光景こそが正常であり民間人から一人たりとも負傷者すら出なかったレインザード攻防戦の方が異常なのかも知れない。しかし、一度知ってしまった最高の結果は正しく麻薬の如き依存性を孕んでいたのだった。
一方、そんな絶句して立ち尽くすガリアノット達に反して、世間から英雄と持て囃されるセナとアルバートに関しては平時と何ら変わらない平然とした態度を保っている。若しかしたら民間人をこれ以上不安にさせない様に表面上だけは取り繕っているのかも知れない、と思ってしまうが、しかし如何やら心の底から感情を揺さぶられていない様だった。確固たる証拠は無いが、直感的にそう判断出来るだけの雰囲気を彼らは携えていた。
また随分と派手にやったなぁ……。
英雄の一人、菫色の短髪と同色の瞳を陽光の下で輝かせつつ南方から吹き込む温かな海風を雪色の肌で浴びるセナ・キトリアは心中で呟く。英雄であり乍らその実は魔王の同胞たる悪魔でもある彼は、眼前の惨状に対して人間的な感想を抱いた。
と言っても、それは表面的な感想に過ぎなかった。幾ら巷で英雄と持て囃されて人間的な生活に身を投じていようとも、しかし本質は神の子たる悪魔に他ならない。別に下位種族たるヒトの子を見下している訳では無いが、それでも本能的価値観の影響で彼らの事を他人事の様に冷たく遇ってしまうのだ。
同時に、彼と肩を並べる様にして横に立つアルバートもまた心中で同じ様な印象を抱いていた。セナと違い純粋な人間である彼は、眼前の光景を真摯に受け止める。幾ら天使に魂を支配された経験を持ち、その後悪魔と契約を結んで魂を売り払っていようとも、本質的な人間性迄は喪失した覚えは無かった。勿論、悪魔と行動を共にする様になって多少の価値観の変化こそあったものの、純粋な神の子程薄情にはなり切れなかったのだ。
また、彼の影の中で彼の視界を勝手に共有して外の様子を窺っているルルシエは、やはり悪魔という事もありセナと似た様な感想を抱いていた。戦後に生まれ、未だ新生悪魔としての区分から卒業していないとは雖も、ヒトの子に対するその上位存在的な冷め切った思考回路迄は融解していなかった。或いは、ヒトの子との関わりを絶たれていたからこそ本来あるべき神の子としての本能的な思考回路が発露しているのかも知れない。
何れにせよ、悪魔である彼彼女にとっては眼前の悲惨な光景など至極如何でも良かった。しかし、一応は英雄として人間達の平和の使者乃至希望の光として扱われている事もあり、それを表立って発露する事は無かった。
「やはりこれも……魔王とやらの仕業なのか……?」
四騎士が一人にしてこの部隊の指揮官を務めるガリアノットは、同じく周囲を見渡し乍ら特定個人に問う訳でも無く独り言の様に呟いた。たった今し方到着したのだから、聞いた所で正解を知っている者がいない事くらいは明白な事。だからこその曖昧な呟きだった。
そして、だからこそ彼の部隊に属する誰もが彼の問い掛けに対して口を噤む。非確定事項を客観的事実を抜きにして話すのは只の妄想と変わらない事を強く知っているし、何よりそれで余計な混乱を生む可能性は部隊全体を危険に晒す事になると分かり切っているのだ。
しかしそれでも、ガリアノットは微かな希望を求めるかの様に英雄二人をチラリと一瞥する。自分達と異なりレインザード攻防戦に参加していた彼らなら何か情報が得られるのではないか、という微かな望みだった。その辺の住民達に聞く方が断然手っ取り早い気もするが、内輪で解決出来るのならそれに越した事は無いだろう。
対して、そんな瞳に一瞥されるセナとアルバートは其々《それぞれ》如何返事すれば良いか心中で思案する。馬鹿正直に言った所で何故それを知っているのかの説明が出来無いし、かと言って嘘偽りで糊塗した雑な妄想で返答をするのも余計な混乱を生み兼ねない危険性を孕んでいる。
その為、あくまでも現状手に入れられる情報の範囲内且つ部隊全体を混乱させない程度には裏事情を悟られないだけの嘘を張り巡らす必要があった。尤も、只普通に感想を述べるだけなら然したる問題は生まれない以上、そこ迄深刻になる必要も無かったりする。故に、心中で彼是思考を深めるのもそこそこにして素直に心境を言の葉に乗せる。
「如何でしょうか……? 未だ住民達から当時の状況を聞いてみる迄は何とも言えないでしょう。しかし、状況からして人間業とは思えませんので恐らくその可能性は高いかと。やはり、無いと楽観視するよりはあると警戒して事に当たるべきですね」
魔王と思しき襲撃から5日程度経過している。未だ未だ被害状況は深刻だが、しかしそれなりに復旧は行われている。それに伴って住民達の心身状況もそれなりに落ち着いている今なら、多少は事情を聞いて情報を集める事も出来るかも知れない。そんな行き当たりばったり感の拭えない提案だったが、これでもセナとしては比較的真面目に考えた方なのだ。何しろ人間社会に潜入して日が浅く、人間の価値観に合わせるのも試行錯誤している最中なのだ。
しかし、何だかんだセナの提案は受け入れられそうだった。ガリアノットしてもそれ以上の良い案が思いつかなかったし、何よりこういうのは対魔王戦を経験している者の意見を参考にした方が無難なのだ。頭でっかちなワンマン社長の様に傲慢な独裁者になる積もりは毛頭無かった。
そうだな、とガリアノットは頷きつつ部下達の方を向き直る。大柄で筋肉質なその躯体は陽光の下で合金の様に輝き、指揮官として相応しいだけの凛々しさと頼もしさと勇猛さを感じさせてくれる。そして、その肉体に相応しいだけの勇ましい声で、部下全体に対して情報収集を始めとする今後一連の行動に関する指示を飛ばすのだった。
そんなガリアノットの指示を適当に聞き流しつつ、セナは長閑に空を見上げる。態々《わざわざ》真剣に聞かなくても何をするのかは大体分かるし、余程の奇行に走られない限りその場その場の対応で如何とでもなる。たかが人間如きに出し抜かれる程、セナ自身耄碌した覚えは無かった。
次回、第268話は6/22公開予定です




