第263話:殺気と萎縮
「仕方無いだろ。数と状況を考えてくれ。たかがヒトの子にしては良くやった方だろ?」
自分で自分を称賛しつつそれを他者にも求める光景は何とも惨めで不甲斐無い姿にしか映らないが、しかし事実としてクオンは良くやった方だろう。それは、他者に対する情が基本的に薄い方だと自他共に認めるアルピナですら同意する程。
事実、クオンにしろその背後の少年にしろ、どれだけ悪魔乃至龍と関与が深くとも身と心は只の人間と変わらない。対して、彼らの周囲を取り囲むのは正真正銘の天使。ヒトの子と神の子のカタログスペックを考慮すれば、今尚こうして生き延びている事自体本来であればあり得ない事なのだ。
だからこそ、アルピナとしても彼の言葉をそのまま否定する事は出来無い。幾らクオンとその少年の魂に刻まれた秘密を秘密裏に知ってい様とも、しかし目に映る現実としての彼らを否定する事は出来無いのだ。
「フッ。まぁ、そういう事にしておこう。しかし、幾ら数的不利があるとはいえ、たかが中位三隊以下の天使程度に追い詰められている様では先が思い遣られる。恐らく今後は上位三隊の天使も多く復活を果たすだろうからな」
やれやれ、とばかりに、アルピナは先行き暗い未来に対して溜息を零す。幾ら過去や未来には如何なる手段を以てしても干渉出来無いとは雖も、それでも分かり切った未来なら予想するに難くは無い。或いは、干渉出来無いからこそ避け様が無い悪い将来に対して苛立ちを覚えているのかも知れない。
兎も角、とアルピナは気持ちを切り替える。魂の内奥にある魔力の生成器官を加速させ、濃密な黄昏色の魔力をより強く溢出させる。軈て右手に宿したその魔力で一筋の光を描くと、彼女はそれを一振りの魔剣として具現化させる。
「先ずはこの状況を打破するのが先決か? これだけの数を殲滅するのは流石のワタシとは雖も骨が折れるが、しかし今のワタシは少々気が立っている。悪いが、八つ当たりに付き合ってもらおう」
さて、とアルピナは魔力を徒に放出する。それに当てられた天使達は揃って萎縮し、その四肢を震わせる。大戦時のアルピナを知っている者もそうでない者も等しく恐怖のどん底に叩き落すその様は、正しく文字通りの悪魔そのものだろう。
そして何より、味方にして助けられた対象の筈のクオンでさえ、そんな彼女の後姿には恐怖しか感じなかった。一歩でも動けば瞬きにも満たない刹那程の時間で肉体を砂粒レベルに迄粉々にされてしまいそうな感覚が脳裏を過ぎった。
尤も、幾ら彼女が稀代の大悪魔で悪魔公の地位に就任していようとも限度というものはある。それは精々スクーデリアを好戦的にした程度でしか無く、そんな刹那程の時間で人間一人を砂粒同然に斬り刻む様な事は出来無い。
それでもそれが出来そうに思わせられるのは、偏に彼女の全身から滲出する濃密な魔力が齎す冷徹な殺気によるものだろう。嘘を現実と虚構出来るだけのそれは彼女の根源的な性格を如実に反映した代物であり、一朝一夕で身に付くものでは無かった。
その最中、混乱に乗じてスクーデリアとクィクィもまた彼女の直ぐ側に集結する。両者共に瞳には笑顔が窺い知れ、アルピナの帰還を待ちに待っていました、と言わんばかりの相好を浮かべている。と言っても、それは純粋に彼女を望んでいた訳では無く、天使を遇う為の戦力としての期待だったが。
それでも、スクーデリアとクィクィがアルピナの事を待っていたという事実には変わりない。だからこそ、結果としてそれが存在する限りに於いて、そこに至る迄の過程など彼女達には大した意味を成さなかった。
「ふふっ、戻って早々随分と血の気が多いのね。凡そ予想は付くけど、神界で何か嫌な事でもあったのかしら?」
「おかえりっ、アルピナお姉ちゃん!」
其々《それぞれ》が其々《それぞれ》の性格に見合った口調と声色と内容でアルピナに声を掛ける。何れもアルピナの帰還を心待ちにしていた事が隠し切れていない穏やか且つ華やかなそれであり、とても戦闘中とは思えない平和的な香りが漂っていた。
その姿は、眼前に大勢集う天使達を歯牙にも掛けない自己中心的な空間を生み出していた。一見して無防備な態度振る舞いは何とも腹立たしいが、しかし彼我の実力差を考慮すれば当然の反応とも言える以上余り強く反駁出来無い。
唯一対抗出来そうなのはレムリエル程度だが、しかし彼女でも精々がクィクィと同格か条件次第では上回るかも知れないといった所。アルピナとスクーデリアを抑えるには抑として数が不足している上に、最低でも智天使級以上は確保する必要があるだろう。
そして、彼女達を崩し得る唯一の弱点と目される人間クオンと少年も、今や三柱の悪魔に周囲を取り囲まれる形で守られている為に手の出し様が無い。尤も、クオンに関しては龍魔力による相性的優位性を考慮しても中位三隊迄なら上回れる為、そう簡単に手は出せないのだが。
故に、天使達はこれだけ数的優位に集っているにも関わらず無様にも攻め倦ねているのだ。天使-悪魔間の相性差を考慮すれば情けない事この上無いが、年齢差の前ではそれも仕方無いという事にしておこう。そうでもしなければ状況に説明が付かないのだ。
一方悪魔達は、そんな現状など如何でも良いとばかりに天使達に対して猟奇的且つ好戦的な眼光を向ける。アルピナが帰還した事による士気の向上もあるだろうが、それ以上に階級故の緊張感がそれを強く補強していた。
そんな彼女らに守られる様に囲まれるクオンと少年も、現状を受けて多少の落ち着きを取り戻しつつあった。クオンは兎も角として、少年は大した力も待たない為にかなりの消耗具合だったのだ。命に別状こそないものの、外見年齢から察するに相当の無理は強いられただろう事は容易に想像が付く。
対してクオンは、多少の龍魔力の消耗こそあれどもそれ以外は全く以て問題無かった。体力及び気力に関してもその消耗した龍魔力が補填した分で事足りているし、傷に関しても同じく龍魔力が肉体に備わる自然治癒を底上げしてくれているお陰もあって問題足りえなかった。
だからこそ、クオンもまたアルピナ達に混ざる様に一歩前へ踏み出して天使達と相対する。契約の関係があるとは雖も、守られてばかりの立場には立ちたくなかった。聖獣とそれを指揮する天使達には色々と恨みつらみがあるのだ。
何より、アルピナとの契約に際して願ったのは聖獣によって殺害された師匠の敵討ち。その根本的な目的はやはり自らの手で果たさなければならない。だからこそこうして魔力を授かったのであり、こういう状況だからこそ使わなければならないだろう。
尚、クオンこそ一人内心でそんな確固たる意志と覚悟を抱いていたものの、しかし当の契約主であるアルピナは大して気にも留めていなかった。確かに契約時にはそんな意図があったのかも知れないが、全部が全部自らの手で鉄槌を下す必要は無いだろう、というのが率直な思いだった。時には楽をしても彼女としては何ら問題は無かった。
というか、アルピナにしろスクーデリアにしろクィクィにしろ、彼女達全悪魔は共通してクオンの無事が第一優先事項だった。その為なら多少契約内容と現実の行為乃至結果に多少の齟齬があっても黙認する用意は出来ていた。
勿論、完全な違反だったり不履行だったり破棄だったりしようものなら相応の説得はするし、それでも改善しない様ならそれに見合うだけの罰を与える積もりではあった。極力避けたいが、規則は規則としてある以上、如何してもそれだけは無視出来ない事情なのだ。
次回、第264話は6/18公開予定です。




