第261話:心配
しかし、そんな天真爛漫な瞳に見つめられるクオンとしては堪ったものでは無い。そうやって同意を求められても彼としては一体如何答えれば良いのか皆目見当が付かないのだ。同意すればスクーデリアに、しなければクィクィに其々《それぞれ》怒られる未来しか見えず、彼は頭を抱えるしかなかった。
かといって、聞かなかった事にすれば良いのでは、ともなるかも知れないが、それはそれで色々と問題が出てしまう。まず間違い無くクィクィが拗ねるか怒るかするだろうし、そんな甘ったれた逃げ道を用意してくれる程彼女達も甘くは無い。良くも悪くも彼女達は悪魔なのだ。悪戯っぽい笑顔の裏では悪魔という種に相応しいだけの苛烈さと意地悪さを有しているのだ。
勿論、何か肉体的及び精神的な害を及ぼす様なマネは決してしない。契約を結んでいる以上クオンは彼女達にとって正真正銘の仲間であり、契約にそぐわない行為で契約者を蔑ろにする様な事は決してしないのだ。
何よりクオン自身知らないものの、彼は契約による紐帯以上に特別な存在である。到底、蔑ろにして良い相手では無いのだ。仮にそんな事をすればアルピナに殺されても文句は言えないし、彼女抜きに考えても彼の事は蔑ろにしたくなかった。契約以上に重要な紐帯がある限りにおいて、スクーデリアもクィクィもクオンを決して害する事は無いのだ。
だからこそ、却って余計にクオンはクィクィの言葉に如何返せば良いのか分からなくなる。普段の態度から彼女達が自分の事を大切にしてくれているのがありありと伝わっている以上、尚の事彼女達を蔑ろに扱う事が出来無いのだ。
しかし、だからと言って今更他人行儀な堅苦しい態度を取るのもバカバカしい話である。何より、そんな意図も汲み取れない程彼女達悪魔は話が通じない理不尽な存在でも無い事くらいはクオンも知っている。だからこそ、そんな配慮や苦悩は適当な所で葬り去ってありのままの感情で言葉を返す。
「いや、俺に言われてもなぁ……。でも実際如何なんだ? どうせ、大丈夫だろうとは思うけど……」
背後で戦う少年を気に掛けつつも、クオンはスクーデリアの方をチラリと一瞥しつつ問い掛ける。口でこそ心配している雰囲気を浮かべているものの、しかしその相好は全くの別。心配とは正反対の無関心に近いと言うべきか、或いはクィクィの言葉に乗じて揶揄っている様な素振りすら感じさせる。普段全く以て頭が上がらない事に対する反撃とでも表現すべきその様子は、彼の年頃のあどけなさと初々しさを思い出させてくれる様なものだった。
その態度振る舞いは、初めて悪魔という存在を知った時から比較して随分と柔らかくなったものだった。とても上位存在と下位存在の間に交わされる会話とは思えない対等な、しかも戦いの最中とは思えない程に平和的だった。
そんなクオンの態度を傍から見てクィクィは虚を突かれた様な相好を浮かべ、受け取ったスクーデリアもまた意外性に驚くかの様に微笑んだ。別にクオンが何か言ってくるのは初めての事では無いしアルピナとの会話を見ていたら大して違和感も無いのだが、しかし改めて受け止めると中々如何して面白いものだった。
というのも、たかが人間如きが神の子たる悪魔——しかも自身の契約主の一柱——を心配するなどという狂行はこれ迄彼女が生きてきた数十億の時の中でもクオンが初めての体験だった。確かにクィクィと異なりスクーデリアはヒトの子との交流がそれ程盛んでは無かった為に仕方無いのかも知れないが、しかし事実として受け取った感情自体は正真正銘の事実であるのだから何一つ取り繕う必要は無い。
それでも、一介の人間如きに心配されるというのは何とも言えない気持ちにさせてくれる。当然、クオンからの心配に不快感など生じる筈は無いのだが、しかし悪魔としての矜持からそれを素直に受け入れたくは無かった。憖アルピナを介してクオンの秘密を知っている事も相まって、すんなり受け入れるのは癪でしか無いのだ。
「あら、私を心配してくれるのね。ありがたいけど、未だ貴方に心配される程耄碌してないわ。それとねクィクィ、余りクオンを困らせたらだめよ。またアルピナが機嫌損ねたりしたら面倒になるじゃない?」
やれやれ、と溜息を零しつつ呆れ果てるスクーデリア。クィクィの天真爛漫で無邪気な言動の数々には何時も楽しませてもらっているものの、こういった手綱を握り切れていない言動には何時も振り回されてばかりだった。決して嫌では無いものの、気苦労が嵩んで堪らない。
何より、その影響を一番大きく受けるのはアルピナなのだ。彼女の事は大好きだし不満など一切無いのだが、だからこそ彼女を困らせる可能性は極力排除したかった。同じ草創の108柱として悠久の時を共に生きる幼馴染である彼女を、スクーデリアは決して傷付けたくなかったのだ。といっても、箱入り娘の様に一切の瑕疵も穢れも無い存在として崇めたい訳では無いのでそこ迄固執している訳でも無いのだが。
何よりそれ以上に大きな理由としては、極力彼女にはジッとしておいて欲しい、というスクーデリアとしての想いもあった。それは、幾星霜の彼方より繰り返し行われていたアルピナとジルニアの小競り合いが原因だった。
当時は未だ各世界が創造されておらず、存在していたのは神界及び神の箱庭としての異名を有していた蒼穹のみ。当時は全神の子が神界に集って生活しており、時折蒼穹に出ては遊びに興じるというのが日常茶飯事だったのだ。
そんな中で蒼穹全体を舞台にその小競り合いは行われていたというのだから傍迷惑も良い所だろう。そんな娯楽の一環として行われていたそれは周囲への被害など一切御構い無く行われており、直截的被害こそ出ていないもののそれ相応に迷惑していたのは記憶に新しい。
そして、それを仲裁する役目を負っていたのが他でもないスクーデリアだったのだ。本来なら当時未だ対立前だったセツナエルと共にそれをする筈だったのだが、彼女が早々に匙を投げた上に一緒になって遊び始めるものだから全てスクーデリアの一人仕事と成り代わってしまったのだ。
そんな面倒臭い仲裁役はこの星の暦を基準に数十億年程続き、漸く現れた協力者こそ当時新生神の子として神界の生命の樹より生まれたクィクィだった。彼女は当時未だ新生悪魔として漸く認知され始めたばかりだったが、それにも関わらず類稀な才能でスクーデリアの補佐役として肩を並べる程に急成長した天才だった。
そうした経緯もあり、頼むから暴れ散らかさず大人しく悪魔としての業務を遂行して欲しい、というのがスクーデリアの魂の深奥に渦巻く本心だった。勿論、彼女にも彼女の生き方がある以上それを強要する積もりは無いししたくも無い。それに、何だかんだ言って彼女の我儘に振り回されるのも楽しいのだ。だからこそ、そんな本心と気苦労とは裏腹に対して精神的な消耗は感じていなかった。あくまでも口先だけの抑止だった。
そして、クィクィもそれを知っているからこそスクーデリアの言葉を馬鹿正直に受け止める事は無い。え~っ、とワザとらしく落胆しつつ舌を出して恍けた様に笑う。その片手間で向かい来る天使達を一周しつつ、飛び散る鮮血で雪色の肌を染めるのだった。
優雅で上品な所作を崩す事無く天使達の魂を神界へ送り続けるスクーデリア及び天真爛漫で無邪気な所作と虫かごの羽虫を弄ぶ童の如き猟奇的且つ残虐非道な言動を振り撒くクィクィ。方向性こそ異なれども、その生きとし生ける者の生死に無頓着というか命の価値を恐ろしく安く見ているかの様な雰囲気を節々から感じさせる彼女らの言動は、正しく彼女達が悪魔である事を実感させてくれる。
次回、第262話は6/16公開予定です。




