第259話:鬱陶しい襲撃
【輝皇暦1657年7月15日 プレラハル王国:ベリーズ近郊】
潮騒の調奏と香りが遠方から微かに齎される平原。白雲一つ無い澄み渡る青空が何処迄も広がり、遥か彼方で海原と一筋の境界線を形成する。季節に見合う温暖な南風が柔らかく吹き抜け、宛ら平和な世の中が到来したかの様に錯覚させてくれる。
しかし、そんな長閑で平和的な風景を粉々に破り捨てる様に間断無く鳴り響くのは、硬い金属同士が激しく衝突し合う様な高音と人間のものの様に感じられる怒声と悲鳴と叫声。意地と矜持によって生み出されたその声色は、この平原に生息する凡ゆる野生動物よりも迫力に満ちていた。
「くそ……キリが無いな……」
その平原の直中でぼやき声と共に剣を振るうのは人間クオン・アルフェイン。人間であり乍らも悪魔の契約と寵愛及び龍の魂を授かった異端者にして世間から魔王と恐れられる存在。本人に一切その気は無いものの、しかし今や彼は人類文明の敵とも呼ばれる恐怖の象徴へと昇華されていた。
そんな彼が対峙しているのは背中から一対二枚の翼を伸ばした人間の様な存在。と言っても、それは正確には人間では無く神によって生み出された人間を管理する上位種族たる天使。人間を始めとするヒトの子の魂の輪廻を管理する存在であり、本来であれば天界に生息している筈の上位存在。
しかし、今やそんな平時なら当たり前の常識はまるで意味を成さず、この平原こそが天使と悪魔の対立抗争を決する戦場と化していた。そしてそれを証明する様に、ヒトの子の魂の転生を管理する悪魔がクオンと肩を並べる様に天使を遇い乍ら彼彼女らを容易く弄んでいた。
「そうね……これで何回目の襲撃かしら? まったく、これだけ戦力に余裕があるのが羨ましいわ」
「だよねぇ。ボク達にも少しくらい分けて欲しいよね。まぁ、封印されてたボク達にそんな事言える権利なんて無いけどね。それより、如何する? このままだと埒が明かないよ。一回魔界に隠れる?」
面倒臭そうに溜息を零し乍ら赤子を捻る様に天使を蹂躙するのは、彼彼女らと対になる存在にしてヒトの子の魂の転生を司る上位種族たる悪魔スクーデリア及びクィクィ。今や魔王クオン・アルフェインと契約を結び彼と共に地界で生きる彼女らは、飽きる程執拗く襲撃してくる天使達の猛攻に対して辟易としていた。
尚、最初こそ気晴らしだったり八つ当たりだったりといった意義を見出せていたものの、しかし余りの執拗さにその意図も最早冷め切ってしまっていた。抑としてスクーデリアに至っては全悪魔の中でも指折りの穏健派として有名であり、戦いを好まない性格をしている。クィクィに関しては戦う事自体はそれ程嫌いでも無いのだが、しかし人間社会に紛れ込んで人間と遊んでいる方が断然好きな為、それを邪魔される形となっている現状には憤懣しか感じない。
故に、スクーデリアもクィクィも嘗て無い機嫌の悪さを隠す事無く、天使達にその感情をぶつけている。勿論、最低限のルール及びマナーを破る事無く、その上で人間達に被害が及ばない最低限の力だけを行使するだけの冷静さを保ちつつの事だった。
それでも、その様は周囲に恐怖を振り撒くには十分過ぎるだけの威圧感は確保されていた。それは彼女達を知る旧時代の天使は勿論の事、彼女達を余り知らない新生天使や彼女が味方している筈のクオンでさえも、無意識の内に萎縮してしまう程だった。それも、表面的な恐怖では無く各個体の源とも言える魂の深奥から湧出する根源的な恐怖として行動を萎縮させていた。
そのお陰もあってか、圧倒的な迄の数的不利な状況であるにも関わらず、クオン達三柱及び彼らが保護している人間の少年だけでも如何にか天使達の襲撃を退けられていた。最初こそ少年の保護に手間を取られて色々苦労していたが、今や天使と共に襲撃してくる聖獣相手なら如何にか死なずに遣り過ごせる程度の自衛力は身に付けられていた。
尚、最初は真面な装備すら碌に持っていなかったし真面な使い方すら彼は知らなかった。別に幾ら国内情勢が魔獣被害に脅かされていようとも剣術を始めとする軍事技術は習得義務にはなっていないし、抑として軍の訓練校が定める入学規定年齢にすら外見的には達していそうに無いので悪い訳では無い。しかしそれでも、守る側としてはこの上無い都合の悪さだった。
しかし、こういう時だからこそクオンの出自が意外な役目を果たしてくれた。武器防具の製造を担う技師として昔から師匠に師事していたお陰もあり、その手の方面には多少の馴染みがあったし人脈も相応に広かった。
というのも、嘗てクオン及び師匠が製造していた武器防具は全て王国の正規軍に採用されていた。王都でよく顔を合わせていたエーデルワルト伯ナイトハルトが王立軍・四騎士・近衛騎士といった王国に所属する全軍の武器防具の管理を一括して担っていたという事もあり、その伝手で得た取引だったのだ。
尚、流石に王族の身辺警護を担当する近衛兵に使用される程のランクでは無かったが、四騎士直属の部隊には手配されていたらしい、というのも昔師匠から聞かされた覚えがあるのだ。その為、一部方面から彼らは相応の信頼を得ていたし、師匠に至っては四騎士ともそれなりの面識があったらしい。
その為、子供用の武器防具はそうした旧知の伝手で直ぐに安く手に入ったし、簡単な使用方法の指導なら彼でも十分熟せた。整備点検に関しても当時の知識がそのまま使えたし、なんなら剣に至っては刻印を見る限り師匠が造ったものらしい。意外な所でまた助けて貰ったな、とクオンは一人心中で感動してしまうのだった。
それにしても、とクオンは少年を守りつつ彼を一瞥する。僅か5日程度で此処迄の実力を身に着けられるのははっきり言って異常だ、とクオンとしてはつい思ってしまうのだが、しかし彼もまたアルバートと同じく人間の領域から足を踏み出した逸脱者と呼ばれる存在としての才能を持っていたのだろうか?
普通の人間と逸脱者の客観的な違いを未だ把握出来ていないクオンにそれを確かめる術は無いが、スクーデリアとクィクィが大して驚いていない辺りから察するにきっとそうなのだろう、と彼は一人納得した。
それでも、彼女達の事だし何か隠し事をしていても不思議では無いだろう、という考えもまた抱いてしまう。憖この少年の正体が不明だし天使に狙われているという点から怪しさもある故に、クオンとしては全幅の信頼を預ける訳にもいかなかった。
しかし、分からない事はどれだけ考えても分からないのだから余り深く考えるのも無駄でしかないし、抑として天使の集団を相手にそんな余裕を衒らかしている暇も無い。その為、クオンは改めて少年を守る事と天使を斃す事の二点にのみ集中する。
だがしかし、斃せども斃せども天使達は諄い程に何度も何度も襲撃してくる。最初は街中で相手をしていたのだが、余りにも程度が過ぎるし認識阻害を掛け続けるのも億劫になってきた、という事もあって戦場を町の外に移動した程だ。
尚、これに関しては周囲を気にする事無くのびのびと戦えるという点で双方好都合という事もあり、特別嫌では無かった。それでも一向に背中の翼を顕現させる気配が無いスクーデリアとクィクィについては、流石だな、という他無いだろう。態々《わざわざ》そこ迄力を出す必要も無い、と暗に示す彼女らの態度は、味方乍ら腹立たしく感じてしまう程だった。
そうして早くも5日が経とうとしていたのが現状という訳だ。平原は見るも無残な焼野原へと変貌しており、平和だった名残は遠くの彼方へと去っている。町の住民も恐怖と絶望から町の外へ出る事を拒絶し、逆に外から町へ入る者もいなくなってしまっていた。
次回、第20話は6/14公開予定です。




