第254話:天使長と悪魔公Ⅱ-⑧
「それ程迄に忙しいのであれば、先ずは草創の108柱を全員復活させるべきだと思うがな。ミズハエルとジルニアは兎も角、未だ何柱かはそこで眠っているだろう? と言っても、我々神の子には復活順位を操作する権限は与えられていないがな」
アルピナが静かに呟きつつも見つめるその視線の先、そこには他の繭とは一線を画す程に強大且つ濃密な聖力乃至魔力若しくは龍脈を零す繭が複数個吊るされている。其々《それぞれ》が持つその力は、やはり他の神の子と同じく各種族に合わせた色を有している。それと同時に、その繭の中に眠る各個体に宛がわれた固有の色もまた同時に内包している様だった。
それは、アルピナもセツナエルも良く見知った存在。彼女達と同じく草創の108柱として神の手により直接創造を受けた原始の神の子だった。只でさえ長い時間を生きてきた上に謂わば神の子の試作品として生み出された経緯も相まってか、一般的な神の子と比較して異様な強さを持っている事が多い彼彼女ら。しかし、それでもこうして死亡の後復活の理に流されているのだから、件の大戦の苛烈さが良く思い出される。
しかし、そんな特殊な存在である彼彼女らと雖も本質的には神の子である。その為、仮に肉体的死を迎えてしまったら一般的な神の子と同じく復活の理に魂を流された後に復活の繭に収められる手筈になっているのだ。
だが、他の大多数と異なるのはその復活に必要な所要時間。抑、復活の繭の上部には小さな時計の文字盤の様な意匠が刻まれており、非常に緩徐乍らも時間の経過と共に針に相当する装飾が動いている。それが一回転して時計でいう12時を指し示す位置迄戻れば復活完了となり改めて肉体を授かるのだ。
だが、草創の108柱と呼称される彼彼女らはその復活に掛かる迄の時間が他の大多数と比較して非常に長めに設定されている。一応、復活に要する時間はそれ迄生きた時間に比例して長くなるし多少の個体差もあるのは承知の上。しかしそれでも、草創の108柱として数えられる彼彼女らの復活に要する時間は飛び抜けて長いのだ。
それこそ、草創の108柱の最後の方に生まれた子と神による直接的創造から生命の樹を介した間接的誕生へと移行した直後の第一世代とでは精々1.0×10^6年程しか変わらないにも関わらず、仮に同条件で死亡したとしても復活に掛かる時間は2倍程の差が生じてしまうのだ。
そんな彼彼女が復活したら一体どれ程楽が出来るだろうか? 単純に考えて、アルピナ及びスクーデリアと同等若しくはクィクィを少々上回るレベルの戦力が追加されるのだ。幾ら悪魔の数が絶望的に不足しているとは雖も、仮に一柱だけ復活しただけも戦術レベルを通り越して戦略レベルで根本的な話が変わってくる。
しかし逆に言えば、そんなレベルの敵が増え兼ねない危険性も孕んでいるという事。セツナエル一柱相手にするだけでもアルピナが必須なのに、彼女と同レベルの敵が増えてしまえば必然的にスクーデリアを宛がう必要に迫られ、結果的にクオンを守る戦力が減少してしまう。クィクィがいれば大抵の神の子なら対処出来るだろうが、しかし幾ら彼女でも数的不利は如何しようも無いのだ。
その為、口でこそ草創の108柱早期復活を望んでいるものの、しかしその内実ではかなりの不安と危惧に揺さ振られている。未だ復活迄は時間が掛かるし大丈夫だろう、とは思っているものの、しかし根拠の無い不安が彼女の脳裏にこびり付いて剥がれなかった。
しかし、一体何が原因でそんな不安を抱いてしまうのか彼女は皆目見当が付かなかった。抑、ヒトの子の輪廻及び転生は天使乃至悪魔によって管理されているのに対し、神の子の復活は神によって管理されている。アルピナ達が普段戦闘中に行っているそれは、あくまでも死した肉体と魂を紐付けした上で理に流す事。そこから復活の繭に入れられる迄の一連は全て神による手作業で行われているのだ。
というのも、輪廻及び転生の理はヒトの子という下位種族を対象にしているお陰もあってか魂を乗せてさえしまえば後は全て自動で処理されるのに対し、神の子は少々特殊な生態をしているという事もあってか全て神による手作業で処理する必要があるのだ。
それは、神が持つ神力とそれによって行使される神通力が必要不可欠な為。聖力を用いて聖法を行使する天使や魔力を用いて魔法を行使する悪魔や龍脈を用いて龍法を行使する龍では復活の理に介入する事は出来無いのだ。
つまり、神がセツナエルに味方して天使勢力のみ優先的に復活させる様な暴挙を仕出かさない限りアルピナが脳裏に思い描いている不安が実現する事は無い筈なのだ。そして、当の神は蒼穹内の一切合切に対して不介入且つ中立を維持する以上、可能性を考慮する方がバカらしい迄ある。
しかし、頭ではそう分かっていても心がそれに制止を掛けようとするのだ。何か具体的且つ客観的な根拠や証拠がある訳では無いのに、何故か今回に限っては真面な思考を働かせられなかった。彼女は何時に無く自身の理性に対して自信を無くしていた。
「……ん?」
そんな時だった。アルピナはふと奇妙な違和感を知覚する。それは刹那程の時間にも満たない上にちょっとやそっとでは気付かない様な僅かな違和感。アルピナですらそれに気付けたのは偶々か運が良かった程だった。しかし同時に、彼女からは何処かワザと気付かせる為に大げさに事を為した様な雰囲気も感じられるものだった。
それは、繭に刻まれた時計の意匠から齎された違和感。つい先程迄見ていた草創の108柱の繭では無く、その他大勢を占める一般神の子——その中でも零出する力の波長や色からしてそこそこ古い天使——の繭に生じた変化だった。
より具体的に語るなら、ずばり時計の針の加速だった。全体的に針の動きが速くなっているという訳では無く、何方かと言えば外部から無理矢理針を動かした様な感覚だった。復活迄もう暫く掛かりそうだったその針が、今やもう間も無く迄短縮されていたのだ。
「如何しましたか?」
セツナエルは事も無げに尋ねる。飄々とした態度とお淑やかな言動は、宛ら可憐で周囲から大切にされている箱入り娘の様でもあった。しかし、その瞳はこれ迄と同じ金色であり乍らも何処か神聖な雰囲気を醸し出しており、アルピナをして少々身を強張らせてしまう程だった。
だが、それもまた一瞬しか感じられず、或いは気のせいだったのでは、と自分の感覚に疑問を抱いてしまい兼ねなかった。それでも、アルピナとしては自分のそれを疑う気にはなれず、絶対に何かあったと強く確信していた。
しかし、だからと言って何かが分かる訳でも無い。寧ろ分からない事が増えてしまった程だ。抑としてセツナエルが何を目的に動いているのかも初めから何一つとして分かっていないのだから、その困惑具合は相当だった。
時計の針を動かしたのか? いや、それには神力が必要な筈……。
如何いう事だ、とアルピナは心中で思考を深める。その間も視線はセツナエルの方へと絶えず向けられ続け、微かな変化や手掛かりも見逃すまいと見開かれている。瞳に魔力が集約し、神龍大戦時を彷彿とさせる程に魔眼の出力が増大されていた。
しかし、だからと言って何か新たな手掛かりが得られる訳では無かった。尤も、この程度の事で何か手掛かりが得られていたら初めからこんなに苦労する事は無かっただろうし、そんなに長時間見つめている訳でも無いのだ。
それでも、アルピナは現状得られた手掛かりから少しでも正解に近い仮定を導き出せる様に思考を深める。正誤判定は出来ずとも、可能性として考慮する事が出来れば何らかの対処を構築する事も出来るだろうという、あくまでも希望的観測によるものだった。
次回、第255話は6/9公開予定です




