第253話:天使長と悪魔公Ⅱ-⑦
「それも考えたが、流石に未だ彼らをワタシ達の喧嘩に巻き込むには荷が重すぎる。徒に死者を増やすのはワタシの本意では無い」
現在、このアルピナとセツナエルを発端とする一連の対立と龍魂の欠片を巡る直近の抗争に参加している悪魔は非常に少ない。アルピナ、スクーデリア、クィクィ、ヴェネーノ、ワインボルトという神龍大戦を生き残った五柱の悪魔と最近復活してきた大戦を経験した悪魔及び件の世界で生まれた新生悪魔のみ。
その為、終戦後に大量に生まれた新生悪魔に関しては件の世界で生まれた者以外は全て不参加となっている。一応、復活した悪魔と共に蒼穹を渡って件の世界に行く事も不可能では無いのだが、しかしアルピナの命令で各世界に待機という手筈になっているのだ。
それは、悪魔の本来の本分は天使と戦う事では無くヒトの子の魂の転生を管理する事にある為。くだらない対立と抗争に労力を費やしてすべき事を見誤らない様にする為にも、他の世界の魂の循環を滞留させないだけの余裕は保たせておく必要があるのだ。
何より、新生悪魔は戦力として頼り無さ過ぎる。スクーデリアと契約を結んだ英雄ことアルバートを軽く遇えるだけの力を有しているルルシエを見れば一見して大丈夫そうに見えるが、しかし裏を返せばその程度でしか無いのだ。
一応新生悪魔としては最初期——それこそ、大戦直後の最初の団塊世代——に生まれた彼女だが、しかしそれでも真面な戦力としては見做せない程に貧弱である。相性上不利となる天使は仕方無いとしても、相性上優位な龍の中でも大戦末期生まれの彼らにすら手も足も出ない有様なのだ。
それ処か、龍魔力を纏うクオンでもルルシエ達新生悪魔なら相性差や種族的格差を無視して上回れる程の力しかない。平和な時代に生きたが為に戦う技術を持たない弊害かも知れないが、しかし幾ら彼の契約主がアルピナであり龍と悪魔の力を使い熟しているとは雖も人間にすら負ける様では話にもならない。
確かにクオンが少々特殊な事情を持っている事を考慮すれば致し方ないかも知れない。しかし、生身の人間に勝てない様では相性上不利な天使、その上仮に同じ戦後生まれであろうとも勝てる見込みは先ず無きに等しいだろう。
では、そんな貧弱な世代を戦場に連れてきて果たして何の意味があるだろうか? 弾避けだったり雑用だったりとしての利用価値は見込めるかも知れないが、しかしそれも件の世界にいる者だけで十分熟せる。不必要な材を無駄遣いして何の成果も無く使い潰してしまうのは、仮令アルピナであろうとも無視出来るものではない。
憖彼女自身がこの対立の原因というお陰もあって、仮にそんな新生悪魔達が肉体的死を迎えて復活の理に流されでもしたら合わせる顔も無いだろう。悪魔公として全悪魔の魂を導いている立場にある以上、その責任からは逃れる事は出来無いのだ。
そういう訳もあって、アルピナは彼彼女らに対してお留守番を言い渡している。その代わり、同じ世界に生まれたのだから、という理由で件の世界に生まれた新生悪魔達には精一杯働いて貰おうとしている。今後の悪魔種全体の立場を決する大一番という事もあるし、何より大戦終結後に真面な教育を施してあげられなかったお詫びという事もあり、ちょっとした課外授業も兼ねたものだった。
勿論、幸か不幸か巻き込まれてしまったそんな新生悪魔達が肉体的死を迎えない様に、最大限の配慮は確保している。最前線以外の裏方作業にのみ従事して貰ったり、或いはルルシエの様に直ぐ近くに歴戦の先達が常にいる状況を確保したりといった、下手な人間社会の労働環境よりもよっぽど恵まれた環境を与えられている。
それはこれ迄の大戦時乃至大戦以前のアルピナからは考えられない様な変貌ぶりだった。セツナエルが知っている彼女と言えばもっと傍若無人で傲岸不遜な性格をしており、周囲への被害などまるで考える事無くジルニアと戦い続けてきた我儘娘という印象が強い。
対して、思い遣りや配慮と言った行動乃至意思はセツナエルを始めとする極少数の限られた存在にのみ向けられていた。一方で、雑多なその他大勢に関しては一応役職の都合から全員認知こそしていたものの、しかし取り分け何らかの行動を向ける事は殆ど無かった。それこそ、業務上に必要となる最低限のコミュニケーション程度の関係が大半だった。
だからこそ、彼女からこんな思い遣りに満ちた言葉を聞くのは違和感が非常に強かった。気味が悪いと言ってしまっては申し訳ないが、しかしそう言ってしまって文句が無い程には異様な光景だった。それこそ、数十億年もの長い付き合いがあるセツナエルにとっては人間達が普通に想像する違和感処の騒ぎでは無く、別人とすり替わったのではないかと疑いたくなってしまう程だった。
或いは、若しかしたら全てスクーデリアの主導によって行われた行動かも知れない。彼女はアルピナと異なり強硬派が多い悪魔全体の中でも比較的珍しい穏健派である。彼女なら、こうした仲間思いな行動を選択しても違和感は無い。
その上アルピナはスクーデリアに頭が上がらない為、彼女がそれを提案すればアルピナがそれに逆らう可能性は先ず無いと断言出来る。自分だって同じ状況に立たされれば逆らえないのだから先ず間違い無いだろう。
果たして正解は何方だろうか。別にどっちだからと言って何かが変わる訳でも無いし、何より嘗て無い程にくだらない議論でしかないが、しかしセツナエルの好奇心はそれを強く自身の魂に縛り付けた。それでも、きっと彼女の事だから何らかの精神的成長の機会を得たのだろう、と信じてセツナエルは柔らに微笑む。10,000年も凡ゆる世界を放浪していたのだから全くないとは言い切れないし、そうでなくては放浪した意味も半減するというものだ。
「10,000年の放浪で随分と優しくなりましたね、貴女も」
「放っとけ」
だからこそ、とでも言うべきだろうか? セツナエルはアルピナのそんな成長を表向きには素直に称賛する。何処か小バカにした様な雰囲気が両立している気もするが、しかし決してバカにする気は無かった。それに、純度100%の称賛はちょっと恥ずかしかったという事もあり、これくらいの気楽さが丁度良かった。
そしてアルピナもまた、聖女的な優しさに包まれていてもその背後では意地悪な嘲笑でほくそ笑んでいる様な彼女の態度を受けるのが楽しかった。これ迄の幾星霜の付き合いを考えれば、寧ろ純粋な優しさだけを向けられる方がくすぐったいし気味が悪い。彼我の関係上、こうした気楽で軽口を叩き合えるというのは何よりも代え難い最高のひと時だった。
それでも、それが長続きしない事もまた彼女達は痛い程知っている。セツナエルは自身の行った過去の罪が決して許されないと知っている為、アルピナはセツナエルが行った過去の罪を決して許してはならないと知っている為、そして何より、今尚件の世界ではジルニアの龍魂の欠片を巡って熾烈で苛烈な争いを繰り広げている為。
故に、彼女達は束の間の平和なひと時を束の間で終わる様に切り上げる。煮え切らない思いと後ろ髪を引かれる様な名残惜しさについつい負けそうになりつつ、しかし完全に負けてしまわない様に己が心を正す。
「まぁ、私としてはシャルエル達にも早く復活して欲しいですよ。あの子達、草創の108柱ではありませんが智天使級天使として相応の力を有していた事には相違ありませんし。何より、あの子達には幾つかの雑務を一任していたんですよ。貴女方に殺害されてしまったお陰で、最近は雑務に追われて慌ただしくしてますよ」
次回、第254話は6/8公開予定です




