第248話:天使長と悪魔公Ⅱ-②
「それは此方の台詞だ。相変わらず君は平和的だな、セツナエル。とても天使と悪魔の対立構造を生み出した張本人とは思えない」
やれやれ、とばかりにアルピナは溜息を零す。怒りの感情を捨て去ろうとする余りつい無意識的に溜息の回数が多くなっている様な気もするが、しかし平常心を保つ為には仕方無い事だと割り切るしかない。下手に我慢して感情に飲まれるくらいなら此方の方がよっぽどマシだろう。
しかし、アルピナが一人勝手に怒りの感情を沸き上がらせてしまっているお陰もあり、両者の間にある精神的余裕の格差がより一層広がっている様な気がした。一応は溜息と共にその感情も吐き捨てられている為にそうは見えないが、それでも多少の差は生じてしまうのだ。
それでも、最早慣れた事である。神龍大戦の直接的原因となるアルピナとセツナエルの対立事件が勃発したのは、クオンが住んでいる星の暦を基準にして今から約|1.0×10^8《100,000,000》年前。それだけ長い時間が経って尚感情のコントロールが出来無い程彼女も幼くは無いのだ。
それにしても、とセツナエルはアルピナの言葉を無視して自分の言葉を紡ぐ。何とも自分勝手な様に見えるが、しかし、別にアルピナも何か答えを求めてセツナエルに問い掛けている訳では無いので特別何か気にする様な事は無かった。
「……もう以前の様には呼んでくれないのですね、アルピナ?」
以前の様に、という言葉を聞いて、アルピナは少しばかり胸が痛む様な気がした。確かに何時かの対立以降何処か他人行儀になっている様な気もするが、しかし状況が状況だけに仲良しこよしな関係性を築く訳にはいかない。
勿論、出来る事なら今直ぐにでも以前の様な確執の無い横並びな関係性に戻りたい所ではあるのだ。しかし、確執の原因となった自分達だけがその問題を解決する前に以前の様な仲睦まじい関係に戻る訳にはいかないだろう。
「呼んで欲しいのであれば、そう呼ばれるに相応しい言動を心掛ける事だな。今の君からは、嘗ての様に呼ぶに値する価値は残念乍ら見出せそうには無い。勿論、それはワタシにも言える事だろうがな」
だからこそ、アルピナは心を鬼にしてセツナエルの問い掛けに対して拒否の姿勢を示す。内心で渦巻く悲しみを如何にか押し殺し、過去の楽しかった思い出でその空虚で惨めな心情を上塗りする事で如何にか誤魔化す。何とも情けないが、しかしこれも何れ来る平和な未来の為の先行投資なのだ。そうでは無いかも知れないが、そう思う事にするのだ。
そして、それはアルピナだけでは無くセツナエルも同様だった。何より、彼女こそ天使と悪魔が対立する事になった諸悪の根源なのだ。幾ら悪者とは雖もそこ迄心が死んでいる訳では無いのだ。最低限の罪悪感だってあるし申し訳無いとも思っている。故に、セツナエルもまたアルピナと同程度には心情が乱れている。
そして、だからこそアルピナにはその埋め合わせの意味も込めて昔の様に呼んで欲しいのであり、決して過去の罪を忘れた訳では無いのだ。少しでも心が軽くなれば、という彼女なりの無意識的な逃避行動によるものだった。
しかし或いは、単純に昔の呼び名が恋しかっただけかも知れない。アルピナの事が身近に感じられない今の他人行儀な呼び方が単純に嫌なだけかも知れない。果たして何方が本心であり何方が取り繕った言い訳なのか、それは彼女自身さえも分からなかった。しかし、そんな細かな違いはこの際如何でも良かった。
それでもやはり、立場が立場なだけにそんな平和的になれない事は誰よりも深く理解していた。約|1.0×10^8《100,000,000》年前の一件で犯した罪は仮令如何なる贖罪を施そうとも決して許される事が無い大罪なのは自覚している。それに、その理由も理由だけに誰からも到底許される事が無いと承知している。
故に、セツナエルは自身のそんな淡い自分勝手な希望に見切りを付ける様に溜息を零す。何時かまたそんな平和が来れば良いなと思いつつも自分がいる限り決して訪れる事が無い、と自覚しているが故に孕む諦観の境地だった。
「あら、それは残念ですね。ですが、何時かまたあの時の様に呼んでくれる事を期待していますよ。何と言っても、私と貴女の仲なのですから」
ふふっ、と聖女の如き柔和な笑みを携えて、セツナエルはアルピナにそう願い出る。傍から見れば仲良し同士のお願い事の様にしか見えないが、しかし当事者たるアルピナからしてみれば嘲笑されている様にしか感じられない。憖セツナエルの事はスクーデリアやジルニア以上に自身の片割れの様に知悉しているという事もあり、その感情は一入だった。
それでも、そんな感情に流されるがままに彼女の事を許す訳にはいかない。一瞬だけ気持ちが傾きかけてしまった事を隠す様に彼女は自身の弱い心を心中で嘲笑すると、改めて息を吐き零す。そして、このまま相手の話の流れに飲まれてしまわない為にも、ところで、と話を転換させる。
「態々《わざわざ》神界迄来て君は何をしている? ここに君の探し物は無い。それに、ワタシがいない今こそクオンから龍魂の欠片を奪う絶好の機会では無いのか?」
片腰に手を当てて軸足に重心を預け、身体を休める様にしつつ彼女は首を傾げて問い掛ける。後頭部で一つに纏めた濡羽色の御髪が体動に合わせてふわりと揺れ、甘く可憐な香りが周囲に漂う。生憎同性のセツナエルにとっては如何でも良い事だが、しかしアルピナの本質を知らない様な雑多な男どもなら容易に騙し得る様な魅力がそこには含まれていた。
そんな彼女からの問い掛けは、セツナエルの動向に対するシンプル且つ至極当然な内容。事実、アルピナが神界にいるという事はクオンの防衛力が手薄になっているという事。龍魂の欠片を求めているセツナエルとしては絶好の好機な筈。
その上、悪魔の中でセツナエルに真面に対抗出来るのはアルピナしかいない。スクーデリアとクィクィでも如何にか戦えない事も無いだろうが、しかしクオンを守り乍らともなれば恐らく彼女達には難しいだろう。その上、その二柱以外の悪魔は抑としてお話にもならない。
一応、セナやエルバと言った旧時代の悪魔も一部ではあるが復活してはいる。しかし、一見して強者の様に見える彼ら彼女らも所詮は伯爵級悪魔でしかない。精々、中位三隊の天使を相手にするのが限度である。
故に、今クオン達を襲撃すればほぼ確実に龍魂の欠片を奪える筈なのだ。適当な智天使を何柱か引き連れたら数と相性の利を活かして余裕を以て強奪出来るだろう。シャルエルやルシエルやバルエルの様にチマチマと戦力を小出しにして犠牲を増やす事は無い筈なのだ。
しかし、彼女の眼前にはそのセツナエルが余裕そうな微笑みを携えて立っているし、彼女の魔眼で例の世界を見ても戦闘になっている様子は無い。勿論、距離が離れ過ぎているお陰もあり詳細迄は不明だが、しかし戦闘になれば相応の魔力や龍脈が放出される筈なので間違える筈は無い。
その為、何故龍魂の欠片強奪に専念する事無くこんな遠く離れた地迄来てその身を晒そうとしているのか、セツナエルが抱くその目的がアルピナには理解出来無かった。若しかしたら理由なんて無いのかも知れないが、それならそれでクオンの安全が確実になるのだから理由だけでも把握したかった。
そんなアルピナの気持ちを理解したのか、セツナエルは小さな声で笑みを零す。別に何か可笑しな所がある訳では無く、只アルピナの態度が微笑ましかったのだ。クオン・アルフェインという人間の事を大切にしようとする彼女の少女的な献身的態度にある種の可愛らしさと微笑ましさを見出していたのだ。だからこそ、その思いを叶えてあげる為にもセツナエルは素直にその理由を教えてあげる。
次回、第249話は6/3公開予定です。




