第247話:天使長と悪魔公Ⅱ
「この紅茶、以前スクーデリアちゃんから戴いた物なんですよ。私も貴女方と同じく飲食は必要としませんが、しかし同じく楽しむ事は出来ますので」
神が取り出したそれはスクーデリアを中心に一部の悪魔達が挙って愛飲している紅茶だった。アルピナも以前彼女に半ば強引に勧められて以降よく飲んでいるし、最近はクオンも嵌りつつある様だった。
そして、それを今では神もまた彼女達と同じ様に堪能しているというのが、神がスクーデリア達を気に掛けている理由だったのだ。折角の楽しみを今後とも続けられる様にせめてスクーデリア達だけでも無事にあって欲しい、という何とも期待外れな理由で彼女の事を大切にしていたのだ。
因みに、紅茶の本当の出所はスクーデリアでは無くクィクィだったりする。彼女が何時かの時に何処かの世界の地界で遊んだ帰りにお土産としてスクーデリアにプレゼントしたのが事の始まりなのだ。そしてだからこそ、神はスクーデリアと同じ様にクィクィの事も大切にしているのだ。
「成る程、そういう理由だったか。……良いだろう。その方が、あの子達も多少は喜ぶだろうからな」
そういう訳で神がスクーデリアとクィクィを心配する様な言葉を発した理由に合点がいったという事もあり、改めてアルピナは神に別れを告げる。別に二度と会えない訳では無いし新世代の神の子の様に神界に来る事すら困難という訳でも無いので、別に名残惜しさは感じられなかった。とても創造主と久し振りに再会したとは思えない程に淡泊な別れを告げ、アルピナはさっさと神々の間から退室するのだった。
そんな扉の奥へと静かに消えていく彼女の小さな背中を眺め乍ら、神は一柱物思いに耽る。彼女の口から直接語られる否定の意志を受けて一度は納得したものの、それでもやはり彼女の自己破滅的な死相が脳裏から離れる事が無かった。きっと大丈夫だろう、と頭では理解出来ていても心がそれを拒絶するのだ。
「本当に大丈夫なのですね……アルピナ……」
静かに、そして神妙に神は呟く。最早その言葉を聞いてくれる当人は眼前から遠く離れてしまっていたが、しかしそう呟かずにはいられなかった。それでも、そんな創みの親としての不安心と対極する神としての心がそれを拒絶する。神として不介入及び不関心を貫こうとする冷徹な意思がアルピナに対する寄り添いを存在しないものへと上書きしようと跋扈するのだった。
一方、神に別れを告げて神々の間を退室し、そのまま神々の宮殿からも後にしたアルピナは一柱敷地内の庭園を歩く。そこは、人間達が宗教や妄想の中で頻繁に描き出す楽園としての姿形をそのまま具現化した様な長閑且つ美麗な空間たる〝魂の庭園〟。色取り取りの植物が計算され尽くした配置で並び、誰も管理していないにも拘らず其々《それぞれ》が最も映える姿形を保持していた。
何より、赤色にしろ青色にしろ黄色にしろそのどれもがこの世のものとは思えない可憐さや美麗さを有していると同時に、一見して同じ色の様に見える色もその一つ一つが微かに異なる色味をしていた。それは宛ら神の子達が有している種族色や個体色の様であり、まるで彼ら彼女らの命と紐付けられているかの様に思わせられる。
そんな美しくありつつも何処か奇妙な感覚を覚えさせられる庭園をアルピナは一人のんびりと散策する。想定より早く神との面会が終了したという事もあり、それ程急いであの世界に帰還する必要にも迫られていなかった。
確かに、一刻も早くクオンの傍に帰りたいのは紛れも無い事実。しかし、未だスクーデリアとクィクィに怒られる程遅くはないし、何よりそうがっついて迄傍に行こうとするのは体裁の観点から如何しても憚られてしまう。別にクオンから嫌われる様な事は無いだろうが、しかし彼女のプライドが変に不安視してしまうのだ。
それは宛ら意中の男の子の前で自己を可愛く見せようとする乙女の様であり、到底アルピナらしいとは言えない様なもの。だからこそ、外からそれを指摘する事は無いし仮令指摘されても彼女自身何が何でも認めないだろう。尤も、この場にはアルピナしかいないので指摘する様な第三者もいないのだが。
兎も角、アルピナは少しばかりの時間潰しの積もりと単純な気分転換で庭園を散策する。やはり、以前神界に来た時処か各世界に神の子が分散して派遣される以前の全神の子が揃って神界に住んでいた時代から取り分け変化していない。或いは、当時と比較して神の子の個体色を再現した色彩豊かな花々が少々増えた様な気もするが、しかしアルピナもそんな細かい所迄気にした事が無かった。
「あら?」
そうして行く当ても無ければ取り分け深い考え事をする訳でも無く庭園を散策していたアルピナだったが、不意に対面から誰かが優雅且つ徐に歩み寄ってくるのが目に留まる。その存在もまた当然アルピナの存在に気が付き、持ち前のお淑やかで可憐な声色と口調のまま彼女に話しかけた。
「ほぅ、まさかこの様な場所で君と再会する事になるとは思わなかったな。これは偶然か? 或いは、これも君の想定通りか?」
金色の魔眼をより一層輝かせたアルピナは、自身の眼前に立つ天使セツナエルを睥睨した。瞳及び髪のメッシュの色、そして服装及び背中から伸びる翼の形状を除けばまるで鏡写しの様にそっくりな二柱の神の子。幾星霜の時を共に並走した天使の長と悪魔の長が数日振りの対面を果たしたのだ。
アルピナは悪魔的な翼を、セツナエルは天使的な翼を数度羽ばたかせる。それによって生まれた風に乗せる様に、前者は濡羽色に蒼玉色のメッシュが入った肩の長さの髪を靡かせ、後者は濡羽色に茜色のメッシュが入った肩の長さの髪を靡かせる。また、前者の漆黒の服も後者の純白の服も同様にその裾を揺らし、そこから覗く二柱の雪色の肌が艶やかしい輝きを甘い香りに乗せて綯交してくれる。
両者共に人間でいう所の10代後半、それも揃って身長154cmという比較的小柄な外見。大人として見られるよりも子供として見られる事の方が多そうな二柱だが、しかしその外見からは到底考えられない様な凄まじい迄の殺気を放っている。
セツナエルが放つ聖力とアルピナが放つ魔力。地界と異なり天魔の理が適応されないお陰で際限無く何処迄も上昇していくが、単純な量比較ではセツナエルの方がやや有利と言った所。そこに天使と悪魔の相性が重なり合う事で絶対的セツナエル有利な状況が生み出されていた。
しかし、そんな不利的状況に立たされているにも関わらずアルピナの顔に特別不安や恐怖は感じられない。そこには何時もと変わらない冷徹で傲慢な相好が浮かんでいるだけだった。そしてセツナエルもまた、特に慢心も安心もする事無く普段と変わらない穏やかでお淑やかな相好を浮かべていた。
「ふふっ、勘繰り過ぎですよ。単なる偶然です。それにしても、レインザード以来ですね、アルピナ? 御元気そうで何よりです」
アルピナの殺気に一切臆する事無く、セツナエルは久し振りの再会を喜ぶ。とても天使と悪魔が抗争中とは思えない様な平和的なやり取りであり、実は忘れているんじゃないか、と思わず勘繰ってしまいたくなる。しかし、彼女達二柱こそ正真正銘この抗争を生じさせた原因なのだ。とても忘れられる様な立場にはなかった。
だからこそ、穏やかで平和的な相好を浮かべるセツナエルに対してアルピナはそれと対極する様な殺気立った相好を浮かべる。普段の冷徹さや傲慢さとも異なるそれは、正しく彼女の心に巣くう責任感によって生み出されたものであり、眼前のセツナエルに対する怒りの感情がその土台として根を張っていた。
次回、第248話は6/2公開予定です




