第242話:神と悪魔⑦
尚、神が何故アルピナが自分で魔法を創った事に対して態々《わざわざ》素直に称賛したのかについては単純な理由による。それは、これ迄のアルピナは魔法を創る事が出来無かった事に他ならない。少なくとも神龍大戦終戦時点ではそうだったが、約10,000の間に出来る様になったのだ。それは自転車に乗れなかった我が子が乗れる様になったかの如き喜情を齎してくれる。
因みに、悪魔が用いる魔法に限らず天使の聖法や龍の龍法にも言える事だが、これら技法を新たに生み出すのは相当の困難を極める。既存の技法の大半は神の子を創造する際に神によって用意されたものであり、彼女達が自ら生み出したものでは無いのだ。
それでも、歴代二代の天使長両名及び初代悪魔公、そして皇龍は何れも自身の種族が使用する技法を新たに開発する事は出来ていた。唯一アルピナだけがこれ迄一度たりとも出来無かった。その代わり、新たに魔法を生み出すのは初代悪魔公及びスクーデリアによって行われていた。
尚、アルピナが魔法を創造出来なかったのは彼女にそれだけの力が無かった訳では無い。寧ろ十分過ぎる程の力は有していた。それは悪魔公として選出される程なのだから当然だろう。しかし、壊滅的な迄に魔法の創造と相性が悪過ぎたのだ。特に理由がある訳でも無く、宛らアレルギー反応の様に彼女は創造に拒絶されていたのだ。
それでも、終戦後の約10,000年の放浪生活が功を奏したのだろう。今ではすっかりその頃の名残は見られず、自由に魔法を創造する事が出来る様になっている。尤も、あると便利な魔法は粗方スクーデリア達によって生み出され切っている為に今更それが役に立つ場面は余り残っていないのだが。
兎も角、そういう経緯もあって神としてもアルピナの魔法創造には格別の想いを抱いてしまうのだ。出来たから如何だとか出来無いから如何だとかいう事は無いが、しかしどんな些細な事でも新たに何かが出来る様になったというのは素直に喜ばしい事なのだ。
しかし、それを言われる側であるアルピナにとってはそんな単純な話では無い。確かにこれ迄の長い生活の中で出来無かった事が最近になって出来る様になった事は確かに嬉しい事である。仮令今後余り出番が無い様な技能とは雖も、それでもやはりこれ迄の不遇な感情を鑑みれば嬉しい事に相違無い。
それでも、かといって単純に全てに対して同様に嬉しく思う事は出来無い。幾らそれが喜ばしい事とは雖も、神からそれを褒められても全く以て嬉しいの感情が浮かんでくる事は無い。それとこれとは話が違うのだ。
「君に褒められても一切嬉しく無いが、一応は誉め言葉として受け取っておこう」
だからこそ、アルピナは神のその称賛に対して素直に受け止める様なマネはせずに適当に遇う。或いは、やや皮肉めいた粗暴な処理とでも言った方が良いだろうか。そんな軽い塩対応で彼女は神の言葉を受け流すのだった。
しかし、そんな態度も普段の彼女の態度振る舞いを考えれば特別珍しいものでは無い。確かに他の神の子に対する彼是と比較すれば幾分か大人しいし、神龍大戦当時と比較すれば随分とお淑やかな性格になったとは思う。それでも、その暴力性は正しくアルピナを表すに相応しい代物だった。実際、直前の暴力行為だって確か過去にも数度あった様な気がするのだ。尚の事だろう。
故に、神はあっけらかんとした態度と飄々とした振る舞いを両立する重みの無い笑顔でアルピナを見つめる。端整な顔立ちに相応しい外見年齢相応の可愛らしさは、とてもこの冷徹で傲慢で不遜なアルピナをも従える上位存在とは思えない。何方かというと搾取される側、それも搾取されている事にすら気付いていない純粋無垢な最下層階級に属していそうな雰囲気にしか見えなかった。
そんな雰囲気に流されてついつい油断してしまいそうになるが、しかし眼前で目的も無く室内を無作為に歩き回る男の子は文字通りの創造神。神話や創作物にて登場する非現実的な存在そのものなのだ。決して搾取される様な下級の存在ではないのだ。
そして神はアルピナのそんな皮肉めいた言葉を受けて足を止める。何か癪に障る様な事があったのではないか、と神を知らない者なら警戒してしまいそうな緊迫の瞬間。しかし、アルピナは決してそんな張り詰めた警戒心を抱く事は無い。冷静さを取り戻した理性を最大限前面に押し出す事で、普段の平時と何ら変わらない可憐さと冷徹さを両立する少女としての姿を晒し出す。
「素直じゃないね、アルピナちゃんは」
「君は逆に素直が過ぎる。多少は腹芸の一つでも覚えてみるべきでは無いのか? ……いや、素直では無いからこそ事の真相を話そうとしないのか? まぁ、この際何方でも良い事か」
神は屈託の無い笑顔と飄々とした笑い声を崩す事無く呟いた。アルピナの全然素直じゃない態度に対して、それを敢えて突き付ける様な言葉を投げ返す。何とも意地汚い性格をしているが、しかしこの押し問答はある種の定番と言って差し支え無いだろう。取り分け何か意図がある訳でも無い恒例行事でありお約束でもあるこれは、ヒトの子に限らず神の子や神であっても同じ様に通用するのだ。
つい今の今迄殺伐とした一方的な暴力行為が繰り広げられていたとは思えない程に平和的なやり取り。神と神の子——その中でも草創の108柱という神の直接的施しを受けた存在——という謂わば親子に近い関係性だからこそ、両者共に命の取り合いに対して本気にはなれないのかも知れない。
だからこそ、せめてもの妥協点として神もアルピナも厭味ったらしく言葉を投げ付けるだけに留める。決して本心から出たものでは無い、寧ろ本心とは丁度真逆に位置する様な辛辣なそれは、両者共に素直になり切れない面倒臭い性格そのものだった。
奇妙な時間が数瞬だけ流れる。全体として一秒にも満たないその空白の間は、しかし両者にとって非常に意義深い思考の転換点だった。というのも、アルピナがここに来た理由は何も神と口喧嘩をしに来た訳では無い。神だって、そんなアルピナを意地悪く出迎えようという気は晒さなかった。アルピナはアルピナで相応の目的があって神の許を訪ねたし、神だってそれに応えるに相応しいだけの用意は拵えていたのだ。
それを改めて思い出しつつ気持ちの整理をして意思を切り替える為にも、その数瞬の空白時間というのは非常に意義あるものへと昇華されたのだった。双方の意図せぬタイミングでありつつも、しかし一切無駄にする事無く両者揃って明後日の方向へと飛躍していたくだらない思考を引き戻すのだった。
そして、神はその行為を対外的にも示すかの様に再びその姿形を空間に溶け込ませる。空気の代わりを成す様に空間内を満たす神力と一体化する様に、神はその姿形を朧気にしていく。その姿は、相変わらず何時見ても異様な光景でしかなく、仮令神の子であるアルピナであっても原理を理解し兼ねる程に複雑な御業だった。
軈て空間の中へ完全に消失した神はそこから反転する様に再度姿形を構築する。まるで映像を巻き戻しているかの様な光景だが、しかしそうでは無いと確信出来る。それは、再度構築されつつある神の姿形が先程迄の少年体では無い為。外見年齢はアルピナとスクーデリアの間、人間でいう所のアエラに近しい世代の女性型に移ろいつつあったのだ。
そして、神は再びその姿形を具現化させる。外見種族は人間の女性型と同一。魔眼や聖眼や龍眼と同じ金色の瞳を日輪の様に燦然と輝かせ、後頭部で一つに纏めた御髪もまた瞳と同じ金色に輝いている。そして、神だけが持つ特別な瞳である神眼が鋭利に輝く事で、魂から放たれる神力と併せてその女性が正真正銘の神である事を裏付けてくれる。
次回、第243話は5/28公開予定です




